エピローグ となりの玉森さん

「今日は、私もポチの散歩に、ついてってもいいかな?」


 期末テストが終わり、初めての席替えがあった。

 俺はこれまでとあまり変わらず、教室の後列真ん中らへん。

 玉森はと言うと、教室の前の方、入り口付近になってしまった。

 そんな玉森が、放課後俺の席までやってきて言ったのが、先の一言だ。


「ああ、もちろん」 


 断る理由なんてあるはずもない。

 俺はいったん帰ってから、ポチの散歩のため玉森の家に向かった。

 散歩コースはいくつかあるが、今日のコースは、玉森の秘密を最初に知った、あの海岸沿いを歩くコースだ。


 日暮れまでの時間が延びたとはいえ、七時ともなればさすがに日が傾く。

 赤い西日に、水面がきらきらと輝いていた。

 犬の散歩を二人でしながら、玉森が訊ねる。


「ねえ、藤久良くんは人のためにばっかり動くんじゃなくて、自分の人生を歩くって決めたんだよね」


 この前だって、寝てて授業聞いてなかった田中くんにノート見せてって言われて、断ってたし。そう言う玉森の横顔をみて、俺はあの日の笑顔とピースサインを思いだしていた。


 頑張ったね、とでも言われたような気がして、紅姉に頭を撫でられたときみたいに、気恥ずかしさとそれ以上のうれしさがない混ぜになったような気持で、胸が熱くなる。


「ああ、まあな」


「じゃあさ、」


 玉森が、小さく息を吸う。 

 一瞬の間。その一瞬で、玉森の緊張が伝わってきた。


「なんで、私のことは、いまでも手伝ってくれてるの」


 玉森の目を見る。

 その瞳は、祈るように揺れていた。


「なんで、って。そりゃあ……」


 玉森が勇気を振り絞ってこの質問をしたであろうことは、一文字に引き結ばれた唇や、白くなっているリードを握る拳を見れば明らかだ。

 なればこそ、ごまかすような適当な返事をすることは、フェアじゃないと思った。


 だから、足を止めて玉森と向かい合う。

 そして、小さく息を吸ってから、言った。


「そりゃあ、好きなやつの手助けをしたいってのは、当然だろ」


 言った。ついに。

 言ってしまった。

 心臓の音がうるさい。顔からは火が出そうだ。


 熱い。

 玉森はいったい、どんな表情で、俺の言葉を受けとめたのだろうか。

 少しばかりの恐怖を好奇心と期待が塗りつぶし、俺は玉森の顔をしっかりと見つめる。


 瞬間。玉森の顔がにたり、と歪んだ。

 そして、笑ったのだ、と認識したときには、玉森の纏う雰囲気は、全く別人のものになっていた。


 状況が出来ない俺をよそに、目の前の誰かは、耳から黄色いスポンジのようなものを取り出した。


「あーおもしろかった。いやあ、青春だねえ。若いっていいねえ」


 まさか、玉森では、なかったというのか。

 じゃあ、俺は勘違いして別人に、渾身の告白をしてしまったというのだろうか……?


「えっと、あなたは一体」


 戸惑う俺に、その人は愉快そうな雰囲気のひとは、手をひらひらさせながら言う。


「あー安心して。この子にはキミのさっきの言葉は聞こえてないから」


ほらこれ。耳栓してたの。と、先ほど取り出したスポンジを見せてくる。


「まあ、私は唇が読めるから、なんて言ったか分かるんだけどね」


 俺の質問に一切答える気のないその人は、にやにや笑いながら話し続ける。


「それにしても、いいもん見せてもらったわー。私さ、おもしろいこと大好きなんだよね。ほんと、最後にいいもん見れてよかった」


 名前も分からない彼女は、笑顔を崩さない。

 けれど、その笑みには先ほどまで浮かんでいなかった影があった。

 影、あるいは、寂寥感とでも言うのだろうか。


「もっと見てたかったけど、だめだね。満足しちゃったんだな、私」


 見ているこちらが切なくなるような笑顔で、彼女は言う。


「ありがと、いいもん見せてくれて」


 朱音ちゃんとおしあわせにねー……。

 最後にそう呟いたかと思うと、玉森の瞳から一切の温度が消えた。

 かと思うと、目の前には、今度こそ本物の玉森がいて。


「そっか、弦子さん行ったんだね」


 ふにゃりと笑う玉森は、今度こそ、本当にいつもの玉森だ。


「さっきのは?」


 いまだ混乱する俺がそう問うと、玉森が教えてくれる。


「いまのはね、弦子さんだよ。弦子さんはね、女優さんになりたくて、ちっちゃな劇場で演劇をしてたんだって」


 座ろっか。そんな玉森の誘いで、俺たちはいつかの岩場にやってきた。 

 俺が初めて、玉森の秘密を知ったときの、あの岩場だ。


「弦子さんの願いはね、〝自分が演技をして、誰かになりきることで、ひとの心を動かすこと〟だったんだ」


 なんか、満足して行ったみたいで良かった、と。玉森が胸に手を当てて笑う。

 その顔は夕日を浴びて、水面に負けないくらいきらきらと輝いていた。


「ねえ、藤久良くんは弦子さんとどんな話してたの?」


 と、玉森がそんなことを聞いてきた。

 思わず返答に詰まる。

 やべえ、頬が熱い。赤くなってしまっているかもしれない。


「面白いこと好きの弦子さんが満足するって、どんな会話? ねえねえ」


 まさか自分が告白されてたなんて思ってもない玉森は、いたずらっぽい笑みを浮かべながら楽しそうに詰め寄る。


 ここでもう一度。きちんと告白をしようかとも思ったのだが、あいにく、今日の分の勇気は先ほどの告白で使い切ってしまっていた。


「そういえば、前に私が、「なんで藤久良くんは、私のこと助けてくれるんだろう~?」って言ったら、「今度訊いとくね~」って言われたんだけど、もしかしてそれ?」


 玉森が、にわかに核心に触れた。

 思わぬ事実への急接近に、俺の頭は真っ白になる。

 だから。


「おう、そうだぞ」

「なんて答えたの」


 だから、こんなしどろもどろで、ばかげていて、下手したら告白よりも恥ずかしいことを言ってしまったのかもしれない。


「俺の隣には、玉森がいないとな、って。ほ、ほら。この前の席替えで、席はなれちゃったろ。それでちょっとさみしくて、これからも隣にいたいというか、だから」


 死ぬほど恥ずかしくて、でも、心からのまっすぐな思いを。

 わたわたと纏まらない、言い訳めいた言葉が、俺の意思なんてお構いなしに口から溢れてくる。

 すると、玉森がおなかを抱えて、くの字になって笑った。


「藤久良くん。なんか、それってちょっと、プロポーズみたいだよ」


 まあでも、なんかありがとうね。笑いすぎてでてきた涙を指の背で拭いながら、玉森が言った。

 玉森の頬が俺に負けじと赤いのは、笑いすぎたためか、夕日に染まっているからか、それとも。


「ほら、行くぞ。早くしないと日が暮れちまう」


 おとなしくお座りをして待っていたポチのリードを引き、歩き出す。

 これ以上、この場の空気に耐えきれなかった。


「あ、待ってよ。からかってごめんって」


 言いながら、玉森が追いかけてきた。

 そして、俺の隣に並んで、歩く。


 きっとこれからも、玉森といると、こんな目に遭うのだろう。

 一世一代の告白をしたら、その相手が全然知らない人だった、みたいな目に。


 けれど。

 それでも俺は、玉森の隣を歩いて行こう。

 ちょっと天然で、ふにゃっと柔らかく笑う、誰よりも心優しい、玉森の隣を。

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隣の席の玉森さん 秋来一年 @akiraikazutoshi

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