4-7 紅く染まる世界の中で

 目が痛いのは、西日のせいに違いない。

 遮る物がない屋上で、夕日の真っ赤な光を浴びながら、俺はそんなことを思った。


 だから、この瞳を濡らす雫も、単なる生理現象に過ぎないのだ。


「ぅん、……」


 と、隣で玉森が、小さくのびをした。

 紅姉の意識が途切れたとき、玉森の意識もまた、眠りについていたらしい。


 だからだろう。普段なら、誰かが意識を手放せば数瞬のうちに玉森に切り替わるのだが、今日はすうすうと寝息を立てるばかりだった。


「って、ええ?! ごめん、藤久良くん」


 目覚めた玉森は、慌てたように俺に謝罪する。

 頬が赤いのは、西日のせいばかりじゃないだろう。


 どうやら、玉森の意識は眠っていたがために、数分前に自分の身に起きた、九死に一生の大救出劇のことは知らないみたいだ。


「あの、私、寝言とか言ってなかった?」


 っていうか、よだれとか垂らしてたらどうしようー! と、隣で玉森がわたわたとしている。


 少し前、紅姉は俺に手を伸ばし、そして、俺の肩に頭を預けたまま、意識を手放してしまったのである。


 その結果、玉森の身体は俺の肩に頭を預けたまま眠ることなった。

 玉森を堅いコンクリートの屋上に寝かせる訳にもいかず、また、しばらくひとりで気持ちの整理をしたかったこともあり、俺はそのまま、玉森が起きるのを待っていたのだった。


 玉森に気づかれないよう、ごしごしと袖で乱暴に瞼を拭う。


「あー、寝言チョー言ってたぞ。肉まん食べたいなーとか」


 俺がそう言うと、玉森はかあっと頬を赤らめた。先ほどとは比べものにならないくらい真っ赤だ。


 かと思うと、俺の表情をみて自分がからかわれているだけだと気づいたらしく、「もうっ」と頬を膨らませた。


 そんな玉森の様子がおかしくて、思わずけらけらと笑う。

 つられるように、玉森もふにゃりと笑った。


 そこには、先ほどまでの不敵な笑みも、いたずらな「にひひ」という笑みも、乾いた「かはは」という笑みもない。


 どこまでも、玉森の笑みだった。

 何がそんなにおかしかったのか、二人でひとしきり笑ったあと、玉森がぽつりと小さく言う。


「ねえ、藤久良くん。あのね、かなしいときまで、無理して笑わなくてもいいんだよ」


 今度は俺が目を見開く番だった。

 あの時眠っていたはずの玉森から、会話を聞いていなかったはずの玉森から、奇しくも俺が紅姉に言ったのと同じようなことを言われてしまった。


「あ、ごめんね。なんか偉そうなこと言って。でも、泣くと案外すっきりしたりするし、だから、その、なんていうか」


 反応のない俺を見て不安に思ったのか、玉森がまたもわたわたし始める。

 そんな様子が可愛らしく、おかしいはずなのに、今度の俺から零れたのは笑いではなく涙だった。


 ぼろぼろと、紅姉の前ではこらえられていたはずの涙が、大粒の雫となって零れだす。


 こらえようとしても、まるで壊れたじゃぐちのように、次から次へと涙は溢れて止まらない。

 紅姉が死んでから約一年。俺はその日、はじめて声を上げて泣いた。



 翌日。

 ようやっと、日常が戻ってきた。

 隣の席に玉森のいる、日常が。


 ちなみに、五日ぶりに登校した玉森は、最近仲良くなってきたクラスの女子に囲まれて「大丈夫?」「ノート見せるからいつでも言ってね」などと次々に声を掛けられ、わたわたしながらもどこか嬉しそうにしていた。


「なあ藤久倉、さっき授業中寝ちゃってさ。ノート見してくんない?」


 と、休み時間に入るや否や、同じクラスの田中が、両手を胸の前でパチンっと頭を下げながら頼んできた。


「ったく、またかよ。しょうがねえな」


 俺はいつもの通り、そう返事をし。

 不意に、玉森と目が合った。

 そして、


「……とでも言うと思ったか。たまには寝ないで、ちゃんと授業受けろよな」


 気づけば、そう口にしていた。


 言ってから、自分で驚く。

 これまでなら、言おうと思っても、舌の根が石になったように動かなくなって、決して言えなかった言葉だ。


 けれど同時に、それは俺が前々から思っていた本音でもあった。

 突然断って、田中は気を悪くしただろうか。


 不安になって視線を田中の方に向けると、「この裏切り者~!」なんて口では言ってるが、別段怒った様子も、驚いた様子もない。


 本人も、寝ていた自分が悪いという自覚はあるのだろう。

 藤久倉が見せてくんないなら、他のやつに頼むもん! と座席から離れていった田中を尻目に、なんとなく視線を再び玉森の方にやる。


 すると、玉森は俺の方を見て、これまでのふにゃっとした笑みとは異なる、にっ、とした満面の笑みを浮かべ、ピースサインを作った。

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