1-2 リトル・ヒーロー

 とりあえず近所の公園まで来ると、俺はようやく足をとめた。

 すると、さっきまでおとなしく連れられてきた玉森の中にいる誰かが、にやっと笑って口を開く。


「にいちゃん、このねえちゃんのコレか?」


 どこでそんなこと覚えてきたのか、親指を立てながらそう言う少年(仮)。


「い、いや、違うけど」


 思わぬ指摘に、思わず言葉が詰まった。

 っていうか、そんな勘違いをされるのは玉森もいやだろうし、やめてほしい。


 しかし、俺のそんな動揺なんて気にも留めず、その少年(仮)は「ふーん」と興味を失ったように呟く。


「じゃあさ、にいちゃんはねえちゃんの何なんだ?」


 そして、栗色のまっすぐな目で問われた。


「玉森のことを、守る者、かな……?」

「じゃあ、玉森守だな!」

「たまもりもり……」


 何がおかしいのか、タマモリモリ♪ タマモリモリ♪ と上機嫌ではしゃぐ様子をみて確信する。

 こいつはやはり小学生だ。それも、低学年の。


「悪いんだけど、玉森と替わってくれないか?」


 あいにく、ガキの扱い方を俺は知らない。

 こいつに訊くよりも玉森に訊いた方が、事情が早く分かるだろう。


「いいよ。ちょっとまってて」


 そう言うと、ふっ、と玉森の目から一瞬、光が消えた。

 黒に塗りつぶされたビー玉のように精気のないその目に、本能的な不安を抱いたのもつかの間、玉森がいつもの玉森になる。


 そして。


「藤久良くん! あの、さっきは、助けてくれてありがとう……!」


 なぜか、玉森の顔が赤かった。

 そして気づく。


 この公園まで、俺は玉森の腕をつかんで、やってきたのだ。

 そしていまも、俺の手は、玉森の腕をつかんだままである。


「あっ、なんか、わるい」


 慌てて、はじかれたようにパッと手を放す。

 そりゃあ、さっきの少年だって、俺と玉森の仲を勘違いするわけだ。


 あのときは玉森の名誉を守ろうと必死だったし、何より相手は小学生男子だと思って接してたからなんとも思わなかったが、改めて思い返すと恥ずかしい。

 なんとなく照れくさくて、俺は前置きもそこそこに本題に入る。


「あのさ、さっきのは誰なんだ?」


 と、さきほどまでのふにゃふにゃとした赤い顔が、途端にまじめな顔つきになり、玉森が答えた。


「彼は、快翔くん。彼の心残りはね――同じクラスの百瀬優花(ももせゆうか)ちゃんに、告白できなかったことだよ」

 

 黒木快翔くろきかいと。八歳。ほんの二ヶ月前までは浜ヶ﨑西小学校に通う、ごく普通の小学二年生、だった。


 死因は、インフルエンザだという。あまりにも突然に、彼は幼いその命を散らした。


 そんな彼の心残りは、同じクラスの百瀬優花ちゃんに、告白できなかったこと。

 以上が、玉森から聞いた、いま玉森の中にいる小学生の情報である。


「じゃあさ、なんでさっきの男の子は、快翔の告白を阻止したんだ? っていうか、さっきのは誰?」


 玉森から再び入れ替わり、俺が自販機で買ってあげたジュースをうれしそうに飲む快翔(in玉森)に、俺はそう訊ねる。


「そしって、なに?」

「そうさせないように止めるってこと」


 小首をかしげる快翔にそう教えてあげると、彼は脚をぶらぶらと交互に揺らしながら呟いた。


「優花のにいちゃんは、おれのことが、むかしっからきらいなんだよ」


 なるほど、先ほどのは百瀬優花ちゃんの兄か。

 優花ちゃんの帰っていった家に居たのだから、当然と言えば当然である。

 それにしても。


「嫌われてる、ねえ……」


 先ほどの剣幕を思い出して、俺は呟く。 

 なんだか、ただ嫌ってるの一言では言い表せない切実なものが、そこにはあった気がした。


「いっつもおれのこと、バ快翔、バ快翔ってバカにしてくるし……。おれの名前は快翔だっての!」


 唇をとがらせ、快翔が文句を垂れる。


「なあ、その優花ちゃんの兄貴に嫌われてる、心当たりとかってないのか?」


 何でも、優花ちゃんに告白しようと近づく度、あのお兄ちゃんの邪魔が入るのだという。


 それに、まれに今日のように優花ちゃんが一人でいるところに遭遇しても、快翔はなかなか告白をしないらしい。


 なるほどな、と俺は思う。

 この少年の本当の願いは、きっと。


「心当たり……うーん。そういえば、前に優花に告白しに行ったとき、「お前みたいなクソガキに妹はやれん!」っておいだされたけど」


 と、ここで快翔がはっとした。


「つまり、おれがガキじゃなくなれば、優花に告白できるってことだ!」


 目をきらきらさせた快翔は、そのまま俺にずずっと顔を近づけた。

 少年特有の、何者にも曇らせられてない瞳の玉森の顔が、俺のそばに迫ってくる。


「なあにいちゃん! おれに、大人になるほうほう教えてくれよ!」

「ぐっ……!」


 中身が少年と分かっているとはいえ、クラスメイトの女子の顔で、こんなに至近距離でそんなことを言われると、さすがに、くるものがある。 

 落ち着け、落ち着け俺。相手は小二の男児だ。


 必死で平常心を装おうとする俺を見て、快翔が不思議そうに小首を傾げる。

 その気負いのない何気ない動作すら、俺の鼓動を早める原因になった。


「そういえば、キスをすれば大人になれるって聞いたことあ」

「でええええええええいッ!」


 とんでもないことを言い出した快翔の顔面に、俺は手に持っていた鞄を押しつけてむりやり黙らせる。


 快翔はというと、うぎゃーとか言いながら、大袈裟に身体をのけぞらせて鞄から逃れていた。

 そして、なにすんだよにいちゃん……、と恨みがましげに見つめてくる。


「おまえなあ、自分が玉森の身体を借りてるってこと、忘れてないか?」


 俺がそう言うと、快翔は、こっそり夕飯前にお菓子を食べたのがバレた時のように、ギクッとした。


「自分の身体で勝手にキスなんてされたら、玉森が傷つくだろ? そういうことを気にかけられるのが、本当の大人なんじゃねえのか?」


「むう。それは、そうかも、だけど」


 頬を膨らまして俯く快翔は、キッと俺の顔を見上げて言った。


「でも、おれ、どうしても優花にこくはくしたいんだ! だから、どうしても、つよくてかっこいい、大人の男にならなきゃいけねえんだよ……!」


 幼いはずの魂に、あまりにも熱い決意を感じて、俺は思わず押し黙る。 先ほどから話を聞いていて、てっきり、彼の本当の望みは〝優花の兄に認められること〟だと思っていた。


 まだ小学二年生なのだ。好いた惚れたなんてことよりも、同じ男であり、自分より年上の、力も頭脳も何もかも自分より上の、けれど大人ではない近しい存在に認められること。それこそが、彼の本当の望みなんだと、勝手な解釈をしてしまっていた。


 けれど、決意に満ちたまなざしを見て、その認識は覆った。

 快翔の望みは、本当に、〝百瀬優花に告白すること〟なのだ。

 そして、そのためには、優花の兄に認められるという資格が必要だと考えているのだろう。


「分かった。協力する。一緒に、優花ちゃんの兄貴に認められて、告白できる方法を探そう」


 自然と、俺の口からはそんな言葉が漏れていた。

 玉森の、魂守の遣いを手伝うというだけではない。俺自身が、快翔の最後の望みを、叶えてやりたいと思ってしまったのだ。


 差し出した手を、快翔がガシッと握る。

 そして、ニカッっと気持ちよい笑みを浮かべると、こう言った。


「よし、それじゃ、つよくてかっこいい大人の男目ざして、さっそくしゅぎょうだな!」


「ああそうだな。って、……は?」

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