1-5 リトル・ヒーロー
「相変わらず快翔は、受け身以外はからっきしじゃの」
優花の兄を追いかける宏明の後ろ姿を見送る快翔に、そんな言葉がかけられた。
「え、じいちゃん、おれ……」
いまだ悔しさから涙の跡が残る表情に、今度は疑問符をいっぱい浮かべた快翔に、快翔の祖父はいたずらっぽく笑う。
「わしが快翔を見つけられないことがあったか?」
確かに、快翔がふざけて物陰に身を潜めたときも、ほかのことに興味を引かれてはぐれてしまったときも、おじいちゃんはいつでも快翔のことを見つけてくれた。
おじいちゃんとはぐれて、急にあたりが知らない町に思え、心細くなったときに、温かい手と声で快翔を捕まえてくれたおじいちゃん。
まるでそのときみたいに、快翔は胸の奥がじんわりとあたたかくなるのを感じた。
「しかし、おかしなこともあるもんじゃの。また、かわいい孫に会える日が来るとは」
心の底からうれしそうに呟くおじいちゃんに、快翔は申し訳なさそうに言う。
「でも、おれ、ほんとはここにいちゃいけないんだ。これは玉森姉ちゃんの身体だから、返さないといけないんだけど、そのためには、心残り? を解消しなくちゃ行けなくて、それで」
焦る快翔の言葉を、ゆっくりと頷きながらおじいちゃんは聞いてくれる。
「おれは、優花に告白したいんだ。でも、武瑠がそれをじゃましてきて、それで、かっこいい大人の男にならなきゃいけないのに、なのに」
感情のままを零す纏まらない快翔の言葉に、おじいちゃんが待ったをかけた。
そして、いつものように優しい目で、問いかける。
「のう、快翔。いい男になるには、なにが必要だと思う?」
「それはもちろん、強さだ!」
間髪入れずに、快翔が答えた。
ああ。と深く頷いて、おじいちゃんはその解を肯定する。
「確かに、強くてかっこいい大人の男には、強さは大切じゃな」
しかし。と、区切ってから、おじいちゃんは言った。
「強さとは、はたして、力のことだけを言うのじゃろうか? 試合に、あるいは喧嘩に勝つことが、本当の強さかの?」
おじいちゃんのその言葉を、快翔はじっと黙って咀嚼する。
かっこいい大人の男には、強さが必要だ。
しかし、おじいちゃんは、強さとは単に力が強いことじゃないと言う。
「じゃあ、じいちゃんの考える強さって、一体何なんだ?」
黒々とした瞳をまん丸にして、快翔が問うた。
「それはの……自分で見つけねばなるまいよ」
それに対して、おじいちゃんの返事はつれない。
その、なんとも肩すかしな回答に、知らず知らずのうちに息を止めていた快翔は、ふう、と脱力する。
「なんだよそれー」
不満げな快翔とは対照的に、おじいちゃんはほっほっほと笑っていた。
「なあに、安心せい。快翔ならきっとすぐ分かる」
快翔はひとの気持ちを考えられる、わしの自慢の孫じゃからな。
そして、快翔は半ば追い出されるように道場をあとにする。
これ以上一緒にいたら別れが辛くなる。そんなおじいちゃんの優しさには気づかず、快翔はただ考えていた。
強さとは、何なのか。
自分はこれから一体、どうしたらよいのか。
その答えを探して、快翔は日の暮れかけた街を、ひとり、歩き出した。
「ああもう、わっかんねーよ!」
頭をぐしゃぐしゃとかき乱しながら、快翔が吠えた。
日はもうずいぶんと傾いている。
もうじき、玉森お姉ちゃんに身体を返す約束の時間だ。
そうしたら、おれはまた明日の放課後まで、自由に動くことが出来なくなる。
それは困る。まだ、本当の強さが何か、かっこいい大人の男になるにはどうしたらいいか、分かってないのに。
絶対に、優花に告白したいのに。
思えば、優花と初めて会った日も、こんな風にむしゃくしゃした夕暮れだった。
沈みかけた陽の赤が、目に痛かったのを覚えている。
あれは、まだ快翔が、今よりももっと幼かった時のことだ。
快翔には、物心ついたときから母親がいなかった。
父は仕事が忙しいため、快翔はいつもおじいちゃんと一緒にいた。
とはいえ、おじいちゃんだって、四六時中快翔の面倒を見られる訳ではない。
おじいちゃんが近所の小学生に柔道を教えている時間、快翔はおじいちゃんのいる道場のそばで、ひとりで遊んでいた。
その日はちょうど自治会のお祭りがあって、片手に綿飴や水風船を、もう片方の手には母親や父親の手を握っている、自分と同じ年頃の子たちで、通りは賑わっていた。
道場の入り口付近、少し開けて、広場のようになっているところでひとり、地面に石で絵を描きながら、快翔はその人通りを見る。
いつもより西日が目に痛かった。
だから、瞳が潤むのは、仕方のないことなのだ。柔道教室が終わったら、じいちゃんと一緒にわたがしやたこ焼きを買いに行けるのだ。
だから、悲しくなんて、全然ないのだ。
そう自分に言い聞かせながら、しかし、視界には依然として、手をつないだり肩車をしてもらったり、楽しそうな子どもたちの姿があって。唇を強く強くかんで、快翔はただ、その時間をやり過ごすほかなかった。
そんな時だった。彼女が現れたのは。
「おえかきじょうずだね。わたしね、なまえのなかに、お花があるんだよ」
そう声をかけてきた少女の顔は、ちょうど逆光になってしまっていて、よく見えない。
背丈は自分よりも、やや高いくらいだろうか。小学生かな、とぼんやり思う。
声の感じから、なんとなく笑っていそうな雰囲気だった彼女は、しかし、快翔に近づくと途端に慌てた様子で言った。
「どうしたの? どこかいたいの?」
少女がしゃがみ込んで、初めて、その心配そうな表情が目に入る。
声の感じから思っていたのより幼い、かわいらしい顔立ち。
もしかしたら、同じ年くらいかもしれない。
そんな相手に心配されていて、それが無性に恥ずかしくて、うれしいのに情けなくて、胸のなかがぐるぐるとして。
そして、そのぐるぐるが、瞳からぼろぼろと、大きな粒となってあふれだしてきた。
「ちが、いたく、なくて。でも、おれ、ひとりで。おまつりなのに、かあちゃんもとうちゃんもいなくて。なんで、おれだけ、おればっかり」
嗚咽とともに、いままで抑えていた感情が、言葉になってこぼれる。
今まで、誰にも言ってなかったことだ。
快翔は母親を知らない。
最初からいなかったのだから、寂しいとか、そういった感情はなかった。
けれど、年を重ねるにつれ、少しずつ、自分の家は普通とちがうと気づいて、戸惑っていた。
テレビの中で見る、普通の生活。それをうらやましく思う気持ちもないではなく、けれどそう思うことはおじいちゃんになんだか申し訳がなくて、自分自身その気持ちに気づかぬふりをしてきた。
それがどうして、いまになって急に溢れてきたのかは分からない。
ただ、不思議と、目の前の少女には言いたいと思ったのだ。
少女には、ひとの気持ちを受け入れて、柔らかく溶かしてくれる力があるように思った。
「じゃあさ」
快翔の言葉をきいた少女は、地面に描かれたお花畑のなか、にっこりと笑って言う。
「わたしが、おかあさんになってあげる」
それは子どもらしい、単なる思いつきだと、大人は思うかもしれない。 けれど、そのときの快翔にとって、それはほんとうに、心の底からうれしい言葉だった。
色あせず胸に残る、大切な記憶だ。
優花と初めて会ったときの、大事な思い出。
優花はその日、兄のお迎えにきた母親に連れられ、道場に来ていた。
その日から、武瑠の柔道教室がある日は、決まって少しだけ早く来て、優花は快翔と道場の前で遊んでくれた。
だから、小学生になり、教室で優花の姿を見かけたときは、運命とはこういうことをいうのだろう、とすら思った。
小学生になってからは、男子と女子が一緒に遊ぶことはなかなかない。
だから、もうずいぶんと優花と遊んではいないけれど、快翔は出会ったその日から今日までずっと、優花のことが特別だった。
だから、絶対に、優花にこの思いを伝えるのだ。
伝えなきゃ、いけないんだ。
それなのに。
これから一体、どうすればいいんだろうか。
むしゃくしゃしてその辺の電柱を蹴り飛ばそうとして、ふと、気づいた。
そっか、この身体はおれのじゃねえんだもんな。大事に使わないと。
先ほどのおじいちゃんの言葉が、脳裏によみがえる。
「ひとの気持ちを考えられる、自慢の孫、か……」
おじいちゃんはそう言ってくれたけど、全然自慢の孫なんかじゃない、と快翔は思う。
だって、ガキだし。今だって、強くなるってのがなんなのか分かんなくて、頭のなかぐるぐるしてるし。
「ひとの気持ち、ねえ」
呟いて、ふと気づく。
ここで言う“ひと”ってのは、つまり、優花のことだよな。
今までは、おれが優花に告白するのに相応しい男になるには、どうしたらいいかばかり考えていた。
けれど、おじいちゃんが言ったのはそういうことじゃない。
優花だったら、おれがもし優花の立場だったら、どうしてほしいだろう。
おじいちゃんが言ってたのは、つまり、それを考えろってことじゃないのか?
そう考えた瞬間、頭のなかにあるひらめきが弾け、おれは走り出していた。
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