2-1 凸凹な彼と彼女は

 玉森と相談して、俺は毎日、朝と夕方にポチの散歩をすることになった。

 なんでも、身寄りのないお年寄りが、「この子をのこして自分だけこの町を去ることはできない」と、留まり続ける例は多いのだという。


 そしてそのたびに、玉森は残された動物たちの引き取り手を探し、その飼い主に安心してもらっているのだそう。

 ただ、いつもポンポンと引き取り手が見つかるとは限らない。


 そういう時は、しばらくの間、玉森が引き取って世話をしているんだそうだ。

 俺が散歩を担当することになったポチも、そんな玉森に引き取られた動物のうちの一匹だった。


 そろそろ日課になってきたポチの散歩も終わらせ、いつものように登校した俺は、いつもとは違う教室の様子に気づいた。


 なんというか、落ち着かないのだ。


 ホームルームまであと十分という午前八時二〇分。教室には七割ほどのクラスメイトがいた。

 その誰も彼もが、ざわざわとしている。

 まるで、修学旅行や文化祭の前日のように。


 そして俺は、そのざわめきの中心が自分の机のあたりなことに気づく。正確には、俺の右隣の席に座っている――


「あ、藤久良クン。おっはよー」


 瞬間。思わず胸が跳ねた。

 なんだろう。


 見た目は確かに、玉森なのだ。

 目立たないけど、実は整った顔立ち。くりくりとした焦げ茶の瞳に、同じ色の肩まで届く髪。

 すっと伸びて、少々控えめな鼻に、薄いのに柔らかそうな唇。


 最近毎日一緒にいるのだから見間違えようもない。俺の目の前にいるのは、玉森朱音、その人のはずだ。

 しかし、目の前の人物は普段の玉森よりも数段〝かわいかった〟。

 姿形は普段と同じように見えるのに、思わず挨拶に詰まるくらいかわいい。


「玉森さん、今日は毛先巻いてるし、リップもかえてるっぽいし、スカートも短いよね」「ってか、それだけじゃ説明つかないくらいかわいくない?!」


 訂正。どうやら姿形も普段と若干違うらしい。朝の身だしなみなんて。顔洗って寝癖整えたらオッケーの俺にはよく分からなかったが、女子の漏れ聞こえてくる会話から察するに、どうやらいろいろと手が込んでいるようだ。


 間違いない、いま玉森の中には、別の誰かがいる。

 誰か、見知らぬ美少女が。


 それにしても、事情を知っている俺は一瞬で事態を察したが、クラスメイトたちは玉森のことをどう思っているのだろう。


「なんで急にこんな変わったんだろー?」「聞いてみなよ。かわいくなった秘訣!」「でも、はずかしいし~」


 どうやら、驚きや戸惑いはあるものの、特に不審には思っていないようだ。むしろ、好意的に受け止めている節すらある。


「やっぱり恋かな?! それしかなくない?!」「えー! じゃあ、藤久良とできてるって話ほんとだったの?! 藤久良って、いい人どまりになりそうなクラスメイトナンバーワンなのに」


「っておい、コラ! いまいい人止まりになりそうなクラスメートナンバーワンとか言ったやつ誰だ!」


 段々無視できない会話が聞こえてきたので、適当に訂正したり黙らせたりしてから、スマートフォンのチャットアプリを起動させる。


「なあ、お前は一体〝誰なんだ〟」


 クラスメイトの前で、魂守に関する話はできない。連絡先が交換できてよかった。

 しかし、やっとの思いで聞けた連絡先を、まさか同じ教室の中で使うとは。


 ぴろん。

 という間の抜けた通知音とともに、玉森のなかの誰かから、返事が届く。


「ボクは柏木ほたるだよ」


 ぴろん。

 続けてもう一通。


「くわしい話は、放課後にね」


 柏木というらしいその人に視線を向けると、にこっと笑みを返された。

 いつものあの、柔らかい玉森の笑顔とは明確に異なる、健康的で、なのに艶めいている、不思議な笑顔。


 そんな不思議な表情に不覚にもどきりとして、俺は思わず顔をそむけた。


 そして放課後。

 まずはゆっくり話が出来るところへ、と、俺と柏木は屋上にやってきていた。


 俺たちの通う高校は、珍しいことに屋上が開放されている。

 周囲にはぐるりと胸ほどの高さの柵が立っていて、色は全体的にアスファルトの灰色だ。


 お昼休みなんかにはそこそこ賑わうが、生徒たちが部活動や委員会など各々の目的地に散った今、そこには俺たち二人しかいなかった。


 そんな屋上の端の方に腰掛け、グラウンドから聞こえる運動部の賑やかな声を遠くに聞きながら、柏木ほたるは口を開いた。


「改めて。初めまして、藤久良クン。キミのご想像通り、ボクは幽霊だよ」


 やはり。ここまでは予想していたことだったので、俺は頷いて先を促す。


「ボクの現世でのやり残し、それは、大切な人に、会って、謝れなかったこと」


 焦げ茶の瞳が、悲しげにゆれる。


「その、大切な人、ってのは? この辺に住んでるのか?」


 目の前の柏木は、とても辛そうに見えた。

 きっと、その大切な人というのは、ほんとうに、とっても大切な人なのだろう。

 すぐにでもその人に会わせて、謝らせてあげたい。家が分かっているなら、その家に向かおう。そう思って問いかけたのだが。


 柏木は、ただふるふると、首を横に振った。

 遠くに住んでいるのか。最悪、学校を休んで遠出をすることになるかもな、と思った俺だったが、しかし、柏木は予想だにしない言葉を放つ。


「知らないんだ。コウくんがどこに住んでるのか。ううん、それどころか、ボクは、コウくんの顔も、名前も、なにもかも知らないんだ」

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