1-6 リトル・ヒーロー
「なあ、にいちゃん! 紙とえんぴつかしてくれ!」
武瑠と別れてしばらくした後、なかなか姿が見つからず困っていた快翔は、目の前に現れるなりそう言った。
「は? 紙とえんぴつ? おまえ修行は、」
「おれ、気づいたんだ! ほんとうのつよさがなんなのか。だから……」
相変わらずまとまりのない、思った順番に口から溢れてくる言葉。
けれど、それ故に込められた熱い思いを受け取って、俺の中にあった悩みが徐々に溶けていくのを感じる。
確かに武瑠の言う通り、快翔はガキだ。
ガキだし、それに、この世のものではない。
だから、快翔からの告白で、優花の心にかえって傷がついてしまうんじゃない、と心配するのも分かる。
でも、いまの快翔ならもう大丈夫だろう。
真っすぐに、優花ちゃんのことを考えらるようになったこの子なら、きっと。
そう考えた俺は、ニヤリと笑って言った。
「それなら、ただの紙なんかじゃだめだ」
へ? と小首を傾げる快翔の手を引いて、俺は駅前を目指す。
「とびきりかわいい便箋を買ってやる。なんせ、一世一代の、告白なんだから」
◇
「あの、藤久良くん」
控えめな呼びかけに振り返ると、そこには頬をほのかに染めた、玉森の姿があった。
慌てて、玉森の手首をつかんでいた手を離す。
しまった。またやってしまった。
先ほどまで中身が快翔だったとはいえ、身体は紛れもなく玉森のものなのだ。これじゃ出会ってすぐ俺にキスを迫ってきた快翔のことを言えないな、と反省する。
「悪い、玉森。でも、いったいどうして」
駅前のデパートに入っている文房具店に、俺たちは来ていた。
理由は、便箋を買うためだ。
俺と再会してすぐに、快翔は手紙で告白をすると言い出した。
最初は、いったいどうした心境の変化かと思った俺だったが、快翔の話を聞くうちに、その思いが伝わった。
そして、「玉森姉ちゃんのお金を勝手に使うのは悪いし……」と、紙を要求する快翔に便箋を買ってやろうと、文具店にやってきたのだった。
「うん。あのね、元々私に身体を返してもらう約束の時間を過ぎてたし。それに、快翔くんが、おれやにいちゃんより、私の方が優花ちゃんの好みが分かるんじゃないかって」
なるほど。確かに、予想以上に種類の多い便箋に戸惑っていたところだ。男子小学生と男子高校生の俺たちが選ぶよりも、女の子である玉森が選んだ方が、安心だろう。
快翔も案外気が利くんだな、と思ってから、さきほどの快翔の言葉を思い出す。
「おれがどうなるかじゃなくて、優花がどうしてほしいかが大事、か……」
なにか言った? と、小首を傾げる玉森に、なんでもねえよと返事をして、俺たちは便箋選びを再開した。
◇
便箋を選び終わると、日は完全に沈んでいた。
さすがに今日は遅いからと、手紙を渡すのは明日の放課後にすることにして、俺たちは解散することとなった。
そして翌日。
放課後、校門を一歩出た瞬間、前を歩いていた玉森が振り返った。
「にいちゃん、いこう!」
快翔だ。言うが早いか、快翔は俺の手首をつかんで、優花の家目指してひた走る。
その手は白くほっそりとしているのに、とても力強かった。
昨日はゆったりとあとをつけながら通った路を、今日はぐんぐん突き進む。
そして。
程なくして、優花ちゃんの後ろ姿が目に入った。
赤いランドセルを背負って、お友達と楽しげに話している。
すると、先ほどまで全力疾走だった快翔が、不意に足を止めた。
「にいちゃん。あとは、まかせた」
鞄から取り出した便箋を俺に差し出し、快翔が言う。
「おう。まかせとけ」
一体どれほどの不安が、彼のなかで渦巻いているのだろう。今にもくしゃくしゃになりそうな顔を、それでもぐっとこらえて作った不器用な笑顔で、快翔は俺に想いを託す。
託された想いは、可愛らしくも上品な封筒で、桃色の小花が散っていた。宛名の欄には、精一杯丁寧に書こうとした努力がうかがえる字で、「百せゆう花さまへ」と書かれている。
優花ちゃんに気づかれないよう、さりげなく後ろを歩く。
程なくして、優花ちゃんは友人に手を振ると、自宅へと帰っていた。
それをしっかりと見届けてから、俺は先ほど彼女が入っていった家のインターホンに指をかける。
後ろを振り返ると、快翔がやはり、不安と高揚と興味と恐怖と、それら全部がごちゃ混ぜになった表情で、電柱の影からこちらを見守っていた。
一度深呼吸をしてから、インターホンを鳴らす。
ピンポンという軽快な音がしてしばらくの後、見慣れた顔が現れた。
「だから! 何度来てもお前は優花に……うっす」
扉を開ける前から聞こえてきた声が、俺の顔を見た途端にしぼんだ。
そして、少し気まずそうに、
「何しにきたんだよ、宏明さん」
「実は、百瀬優花さんに渡しといてほしいものがあってさ」
言いながら、快翔から預かった、その想いの塊である手紙を、武瑠に差し出す。
途端、先ほどまで申し訳なさそうだった顔に、険が走った。
「バ快翔本人だと俺が優花に会わせないからって、高校生使いっ走りにして告白か?」
心底からの嫌悪が滲んだ低い声。そんな武瑠に、俺は「いや、そうじゃない」と否定の言葉をかける。
「だったら……ッ!」
今にも掴みかかってきそうな少年を制止ながら、俺は言った。
「読んでみれば分かるよ」
武瑠の目が見開かれる。
「でもこれ……」
本当にいいのか? そう言いたげな武瑠に、俺は視線を後ろにやることで答えた。
電柱の影に隠れる快翔と、武瑠の目が合う。
快翔が、武瑠に向かってゆっくりと頷いた。
それを受けて、武瑠は封をしている花のシールを、慎重にはがす。
そして、そっと取り出した便箋を丁寧に広げ、読み始めた。
「ゆう花へ
はじめて会ったときからずっと、おれはゆう花のことがだいすきでした」
昨晩、ようやっと訊けた玉森の連絡先を早速有効活用して、俺たちは通話をしていた。
とは言っても、俺が話した相手は玉森ではない。快翔だ。
一人では上手く伝えられないからと、俺と玉森二人で、快翔が手紙を書くのを手伝ったのである。
深夜まで、快翔は必死で言葉を選び、この手紙を紡いだ。
始まりは、ベタで、まっすぐな愛の告白だったはずだ。
「いつもお日さまみたいにあかるくて、まぶしくて、そんなゆう花とずっといっしょにいられたらいいなって、おもってました。でも、おれはしんじゃったから、それはできません」
次に続くのは、悲しい現実だ。
この部分を読んだのだろう、武瑠が眉根をよせ、視線を揺らす。
潤む視界で、武瑠はさらに読み進めた。
「でも、すこしの間はなればなれになってしまうけど、おれはぜったいに、ゆう花のもとへもどってきます。ゆう花の子どもに生まれかわれたら一ばんだけど、風になっても、鳥になっても、虫になっても、花になっても、かならずゆう花のそばで、ゆう花をまもるってやくそくします。だって、おれはつよい男だから」
快翔が見つけたほんとうの強さ。
それは、大切なひとのことを思いやれること、だった。
大切な人の身体も、心も傷つけないように、自分に出来る精一杯のことをする。それこそが、快翔が気づいたほんとうの強さであった。
手紙を自分では渡さず俺に手渡したのも、うっかり優花ちゃんと鉢合わせして、優花ちゃんが快翔のことを思い出し、必要以上に悲しむことのないように、という思いからだった。
昨晩、ラブレターを武瑠に読まれて恥ずかしくないのか、という問いに対して、快翔はこう答えた。
「そりゃあ死ぬほど恥ずかしいよ。でもさ、この恥ずかしさをがまんするってのが、本当の強さだと思うんだ」
「いままでいっしょにたくさんあそんでくれてありがとう。たくさんやさしくしてくれてありがとう。あの日、おまつりの日、話しかけてくれてありがとう。それじゃあ、またどこかで。
おれがまたゆう花のもとに行くその日まで、ぜったいにしあわせに生きてください。
かいとより」
手紙は、そんな言葉で締めくくられていた。
武瑠が、こみ上げてくる物が零れないよう、上を向く。
しばらく、二人とも無言だった。
と、武瑠が手紙を封筒にしまうやいなや、大きく手をあげ上に掲げる。
「“快翔”、この手紙、絶対に優花に渡すから」
瞳からは、ついにこらえきれなくなった涙がこぼれ落ちる。
それが手紙をぬらさないように、必死で両手で拭うも、次から次へと溢れる涙は乾きそうもなかった。
思えば、近所に住む、妹と同い年で、子どもらしく人なつっこい男の子のことを、武瑠が嫌っていた訳なかった。
きっと武瑠は、優花と同じか、あるいは死の意味が分かるぶん優花以上に、快翔の死を悲しんでいたに違いない。
妹に、自分と同じような悲しい思いをしてほしくない。そんな思いから、快翔のことを頑なに優花から遠ざけていた武瑠の気持ちが、今では痛いほど分かる。
けれど、快翔の想いは無事に届いた。
本当の強さを知った快翔は、高い壁を乗り越えたのだ。
それを確信した俺は、静かにその場を去ると、電柱の影で静かに涙を流す、玉森の元へと向かった。
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