2-5 凸凹な彼と彼女は

 結果は圧勝だった。


 昨日までの、あざといまでの完璧なかわいさに加え、今日の柏木には自信と、どこか切実な物があった。


 玉森の、シンプルながらも磨けばどこまでも光るという素質も幸を制し、柏木はめでたく、桜姫の称号を得たのだった。


 桜を模した淡い桃色の花が散った冠が、柏木の頭にかぶせられる。

 照れるようにはにかむ表情が、少しだけ玉森に似ていた。


「いま、この優勝を誰に伝えたいですか?」


 ミスコンの司会者が、興奮気味に柏木にマイクを向けた。

 突然現れ、ぶっちぎりの優勝を飾った謎の他校生。

 その少女が、どんな言葉を発するのか、校内の人間全部の注目が柏木に集まっていた。


 小さく息を吸ってから、柏木が言う。


「実は、ある人に会うために、ここまで来たんです。コウくん、ボクにもう一度チャンスをください。今日、約束の場所で、もう一度待ってるから」


 言うなり、彼女は軽やかに壇上から飛び降りた。

 そして、


「よし、行くよ!」


 と俺に声をかけるなり、そのまま校門へと進んでいく。

 そのあまりの堂々とした態度に、一瞬制止することを忘れていたミスコンの司会者が、必死で呼び止める声を背中に浴びながら、俺たちは桜下高校をあとにした。



「なんであんな退場の仕方をしたんだ?」

「だって、少しでも話題になった方が、コウくんが気づいてくれそうでしょ?」


 あっけからんと笑いながら言う柏木に、俺は何も言い返さず、はあ、と息をついた。


 場所は、約束の場所こと、駅前の広場である。

 花冠をはずして鞄にしまうと、柏木は、今は水を出していない元噴水に腰掛けた。

 俺もそれに倣い、隣に腰掛けようかと考えたところで、ふと気づく。


「なあ、コウくんを待つなら、俺はあっち行ってた方がいいよな」

「あー、たしかに。それも、そうだね」


 肯定しながらも、柏木の瞳が揺れる。 

 二人とも、気づいていた。

 このままコウくんと会うことが出来れば、柏木はそのまま消えてしまう。


「じゃあ。俺は改札の辺りから見てるから」

「うん」


 けれど、そんなことはお互い口に出さないで、おそらく最後になるであろう会話を終えた俺は、柏木の元を去った。


 そこからは、無言でコウくんを待つ時間が始まった。

 今更気づいたが、もしもコウくんが、文化祭の全行程を終え、片付けまでしてからここに来るとしたら、かなりの長丁場になってしまう。


 それに、先ほどの放送をきちんと聞いていてくれたかどうかも分からないし……。

 そんな不安とは裏腹に、程なくして、コウくんは息を切らせ、駆け足でそこに現れた。


「ほたる……?」

「コウ、くん――?」


 ――そこに現れたのは、黒く美しい髪を後ろで一つにまとめた、女子高生だった。


 切れ長な目の整った顔立ちは、その女子にしてはかなり高い身長と相まって、確かに〝イケメン〟と称されるに相応しい。


 けれど同時に、チェックのスカートを身に纏い、髪をポニーテールにまとめているその姿は、どこからどう見ても女子高生であった。


「ごめん」


 と、その女子高生、コウくんが、がばりと頭を下げる。


「見ての通り、私は女なんだ。騙してるみたいになっちゃって、本当にごめん」


 柏木の目が見開かれる。


「ちがう、謝らなきゃいけないのはボクのほうなんだ」


 そして、柏木もまた、勢いよく頭をさげた。


「約束のあの日、待ち合わせ場所に行けなくてごめん。それに、騙してたのは、騙してるのはボクだって一緒なんだ。だって、ボクは、男の子なんだから」


 え、と、今度はコウくんが言葉を失った。


「でも、ほたるは、その」


 コウくんの視線は、柏木の顔と、控えめではあるが、確かに主張している二つの膨らみとを、いったりきたりする。

 先ほどミスコンで優勝までしているのだ。コウくんが戸惑うのも無理はない。


「それに、あの日ほたると逢えなかったのは、てっきり、私のことをみて、幻滅して帰ったからだと思って」


 その言葉を聞いて、俺は昨日、交番で聞いた話を思い出していた。


〝先週この場所には、男子高校生なんていなかったよ〟


 あの警官は、確かにそう言っていた。俺たちも、コウくんは男だと勘違いしていた。

 あの日確かに、コウくんはこの場所に来ていたんだ。


「そんなわけない! ボクがコウくんに幻滅するなんて。だって、ボクは、こんなにも、死んでも死にきれないくらいに、コウくんに、会いたかったんだから!」


 周囲の視線が、二人に集まる。

 はっとする柏木に、「どこか入ろうか」と、コウくんが声をかける。

 けれど、柏木はかぶりを振って、コウくんを制した。


「ごめん。ほんとうは、どこかでゆっくり話せればよかったんだけど、時間がないんだ」

「このあと、何か用事でも、」

「そうじゃ、なくて。そうじゃないんだけど」


 焦った様子でコウくんの言葉を途中で遮り、柏木が言う。


「あの、ね。あの日、ボクが待ち合わせ場所に行けなかったのは、事故に遭ったからなんだ」


 え、と、コウくんの目が見開かれる。

 コウくんがなにか言うより早く、柏木は続けた。


「コウくんはきっと、ボクのことを女の子だって思ってる。それで、ぎりぎりまで迷ってたのがいけなかったのかな。待ち合わせに遅れちゃいそうになって、走って駅に向かってたら、交差点で車にぶつかっちゃってさ」


 何も言うことができないでいるコウくんに、柏木はぽつりと言う。


「それでね、死んじゃったんだ」

「ほた、る? 一体、何を言って……」


 戸惑った様子で、コウくんが問いかける。

 それもそうだろう。柏木は現に、コウくんの目の前にいるんだから。


「死んじゃって、でも、それでもコウくんに会いたくて。会いたくて会いたくて会いたくて! どうしようもなくて……。そんなときに、この朱音ちゃんが、身体を貸してくれたんだ。コウくんと会えるまでの、期間限定で」


 柏木は目を伏せ、胸に手を当てた。


「突然こんなこと言っても、信じてもらえないよね……。ごめんね、変なこと言って。でも、どうしても伝えたかったんだ。コウくんには、これ以上嘘はつきたくなかったから……!」


「信じるよ」


 今度は、柏木の方が、え、と言う番だった。


「確かに、変だと思ったんだ。だって、喋り方はまるきりほたるそのものなのに、声が全然違うんだもの」


 そうか、と俺は思う。

 柏木の話では、ふたりはかなりの頻度で通話をしていたと言っていた。 話し方は柏木のものでも、玉森の身体を使っているのだから、声も当然玉森のものだ。


「でも、そんなのってないよ。せっかく、ようやく逢えたのに」


 コウくんが言った。

 その声は、震えている。


「ごめん。ごめんね。コウくん。ごめん」


 言いながら、柏木はコウくんの胸に顔を埋めた。


「ボク、もうとっても、眠くて。コウくんに逢えたから、逢えて謝れたから。だから、身体を返さなくちゃいけなくて」


「うん」


 次第にとろけていく柏木の言葉に、湿った声でコウくんが頷く。


「本当はもっと話してたいのに。ずっと一緒にいたいのに。でも、もうだめで。コウくん、あのね」


 埋めていた顔を上に向け、コウくんの顔を見て、柏木は笑った。

 とびきり可愛い、満面の笑みだ。

 両の頬をつたう雫すらもきらきらと輝いて、その笑顔を飾る宝石となっていた。


「ボク、コウくんに逢えて本当によかった。ボクのことをたくさんかわいいって言ってくれて、ボクのことをたくさんかわいがってくれて、好きに、なってくれて。本当に、ありがとう」


 すると、コウくんもまた、涙に濡れたくしゃくしゃの笑顔を浮かべた。


「私の方こそ。ほたると逢えて、本当によかった。ほたるはいつも可愛くて、私がカッコよくいられたのは、そんな可愛いほたるが元気をくれてたからなんだ。私と出逢ってくれて、今日も、逢いに来てくれて。本当に、本当にありがとう」


 そう言うと、コウくんは柏木を包み込むように、力強く抱きしめる。

 やがて、柏木の身体から一瞬うそのように力が抜ける。


 慌てたコウくんが、抱きしめた姿勢のまま無理矢理支えると、数瞬後には再びその身体に力が入り、コウくんから一歩離れて立った。

 柏木はきっと、行くべきところに行ったのだろう。


 玉森とコウくんの目が合う。

 瞬間、コウくんはすべてを理解したようだった。


 カクン、と。

 今度はコウくんの膝が折れた。


 先ほどまでは、無理して気丈に振る舞っていたのだろう。

 だって、大切な子の前なんだ。かっこいいコウくんでいるために、必死でこらえていたんだ。


 慌てる玉森の前で、コウくんはしばらく、泣き崩れていた。

 どれくらいそうしていたのだろう。

 少し経って、コウくんはゆっくりと立ち上がった。そして、まだ残る涙のあとを乱暴に服の袖で拭い、玉森に向かって頭を下げる。


「あの、ありがとう、ございました」


 ほたるの心残りを晴らしてくれて。ほたると会わせてくれて。

 それは、ぐしゃぐしゃになったままの顔とは裏腹に、どこまでも気持ちのよい、きれいな礼だった。


 耳元で吹いた風が、「ね、コウくんはとっても、かっこいいでしょ?」と自慢げに言った気がした。

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