0-2 クラスの女子がおじいちゃんになった

「ねえ、藤久良くん。あの、よかったら、帰り、後ろに乗せてもらってもいいかな」


 放課後、玉森さんからそう言われた俺は、思わず固まった。

 玉森さんは、隣の席に座るクラスメイトだ。


 とはいえ、まだ同じクラスになってひと月しか経っておらず、会話をしたことはほとんどない。

 もちろん挨拶くらいは交わすが、玉森さんは男子と積極的に話す賑やかなタイプではないのである。


 それに、玉森さんは、放課後になるとすぐに教室から出て行ってしまうのだ。

 クラスの女子に遊びに誘われているのを何度か見かけているが、その度に眉を八の字にして、「ごめんなさい、放課後はちょっといそがしくて」と申し訳なさそうに断っていた。


 そんな玉森さんからの突然の申し出に戸惑う俺。

 別に、今日はたまたま部活の助っ人にも誘われてないし、先生や近所の人から手伝いを頼まれたりもしていないから、吝かではないのだが、思わぬ申し出にすぐに反応が返せない。


 と、そんな俺の心中を察したのか、玉森さんが慌てて付け加える。


「その、藤久良君って、いつもバイクで登校してるよね? 私、今日どうしても行き

たいところがあって」


 なるほど。確かに俺は四月二日生まれだから、いち早く免許を取って、このクラスで唯一スクーターで登下校をしている。


 どうやら玉森さんは、俺ではなく愛車の方に用があったらしい。

 そういうことなら、と、俺は二つ返事で了承した。


「今日は突然ごめんね。藤久良くんって、いつもみんなのお願いを聞いてあげてるみたいだったから、頼みやすくて」


 スクーターに跨がるなり、玉森さんは申し訳なさそうにそう言った。

 前後に座ってしまっているから表情は見えないが、きっといつものように眉を八の字にしているのだろう。


「気にしなくていいって。ちょうど今日暇だったし」


 突然の申し出だったので、ヘルメットは一つしかない。

 ノーヘルって見つかったら減点何点だっけな。免許とったばっかなのに免停はかっこわるいよなぁ、なんて考えながら、ヘルメットを玉森さんに手渡した。


 玉森さんはおそらく、ヘルメットなしでの二輪車への乗車も、免許を取ってすぐの二人乗りも、違反になるなんて知らないのだろう。「ありがとう」と素直に受け取って、そのまま着用した。


 きっと玉森さんがこのことを知ったら、なおさら恐縮してしまうに違いない。

 俺は、どうか警官に見つかりませんように、と願いながら、グリップを握った。



 そしてたどり着いたのが、この海沿いの国道である。

 幸い警官には見つからず、ここまでやってくることができた。


「なあヒロ坊。魂守の言い伝えは知っとるか」


 不意に、ゲン爺がそんなことを訊いてきた。


「タマモリの言い伝え? いや、知らねえな」

「そうか、ヒロ坊でも知らんか」


 そう言うゲン爺の声は、先ほどまでとは違い、どことなく真剣さが滲んでいる。


「ほら、駅の向こうに魂守神社ってのがあるじゃろ」


 魂守神社、ああ、あそこか。と頭に思い浮かべながら、俺はゲン爺の話を聞いた。


「あの神社には魂守さまがおってな、この町の住人の魂を守ってくれてるんじゃ」

「魂を守る?」


 なんだかオカルトくさい話で、思わず不審げに聞き返す。

 しかし、そんな俺にかまわず、ゲン爺は続けた。


「ああ。魂っちゅーんは、ふだん身体っていう器に入っとる。ところが、身体が死んでしまうと、あの世に行くまでの間はふわふわと不安定になっちまうんじゃな。

そこで、まっすぐにあの世に行ければ何の問題はないんじゃが、中には道に迷ったり、いつまでもぐずぐずと現世に留まろうとする者もおる」


「ゲン爺も、そうなのか……?」


 俺の問いかけに、ゲン爺は「ほほほ」と笑うばかりで、肯定も否定もしなかった。


「それで、いつまでもあの世に行かぬ魂がどうなるかというとな――悪霊になるんじゃ」


 ごくり。思わず生唾を飲み込む。

 ゲン爺は、どうしていきなりこんな話をしようと思ったのだろう。


 まさか。

 まさかゲン爺が、その悪霊なのだろうか。


 それで玉森さんに乗り移って、何かよからぬことをしようとしているのだろうか。

 そう思うと、さっきまで親しげに話していたはずの存在が急に恐ろしい者に思えて、背中が寒くなった。


 グリップを握る手のひらが、自然と汗でしめる。

 しかし、続くゲン爺の声は、どこか優しげだった。


「それでの、それを守ってくれるのが魂守さまなんじゃ。正確には、神社に使える、魂守の遣いじゃな。魂守の遣いは、現世でふらふらしている魂をその身に宿し、あの世に行く手伝いをしてくれるんじゃよ」


「それって……」


「わしもてっきり、古い言い伝えじゃと思ってたんじゃがな。その魂守の遣いが、この子、朱音ちゃんじゃ」


 玉森さんのフルネームは、玉森朱音という。

 ちゃっかり下の名前で呼んでいるのが、女好きのゲン爺らしかった。


「それもどうやら、朱音ちゃんはその大変なお役目を、ひとりっきりでこなしているらしい」


 脳裏に浮かぶのは、「ごめんね、放課後は家の用事があるから」と言う玉森さんの姿だった。

 いつも眉根を八の字にし、まっすぐ帰宅する彼女は、どんな気持ちで誘いを断っていたのだろう。


「なあヒロ坊。よりにもよってお前さんにこんなことを頼むのはどうかと思うんじゃが……朱音ちゃんを、助けてやってくれんか」


 いつもふざけているゲン爺らしからぬ、真剣な声音だった。


「ああ、分かった」


 そんなゲン爺の気持ちに応えるべく、俺は二つ返事で答える。

 正直、魂守の手伝いなんて、何をどうしたらいいのか見当もつかない。 けど、何かしら俺にできることはあるはずだった。


「時間も残り少ないというのに、老婆心から慣れないことをしちまったわい」


 ま、わしはババアじゃのうてジジイじゃけどな、とゲン爺がまた笑う。


「それじゃ、ヒロ坊。頼んだぞ」


 そして、ちょっとお使いを頼むような気軽さでそう言うと、途端、腰に回されていた手から力が抜けた。


「――ッ!」


 慌ててブレーキを踏み込む。後続車がいなくて助かった。


「ゲン爺、ちゃんと捕まってないと危な」


 振り向いてそう言いかけて、思わず言葉を失う。


「なっ」


 見ると、なにやら赤いような白いような顔でわたわたとしている玉森が、そこにはいた。


「な?」

「なーんちゃって」


 そして、にへらとごまかすように笑うと、玉森は少し早口で続ける。


「どう? 私のゲン爺のモノマネ、なかなか上手かったでしょ? びっくりしたか、ヒロぼー、なん、て……」


 玉森の言葉は、後半にいくにつれ、次第に力を失っていった。


「玉森。全部、聞いた」


「聞いたって、なんの話? ああ、もしかして魂守さまのこと? だったら、あれも作り話で」


「なんで、ごまかそうとするんだ?」


 真っ正面から射すくめるように問うと、玉森は「うぐっ」と肩を跳ねらせ、小さくなる。


「だって……」

「?」

「だって、おかしいでしょ。死んだひとの魂が乗り移る、とか」


 先ほどまでのへらへらとした笑顔は消え、俯きながら玉森は言う。

 その唇は、微かに震えていた。


「藤久良くんに、頭おかしい子、とか、めんどくさいやつ、とか思われるのいやだったし」

「俺はそんなこと思わないよ」


 取り付くろうでもなく、本心からそう言う。

 確かに、いきなり「実は私の身体には、死んだ人の魂が乗り移ってるんです」とか言われても、普通は信じられないだろう。


 けれど、俺はもうどうしようもなく理解してしまったのだ。

 理屈ではなく、心で。

 だって、さっきまで俺と話していたのは、紛れもなくゲン爺だったから。

 演技や嘘だなんて考えられない。


 物心ついた時からゲン爺にかわいがってもらっていた俺が、ゲン爺を間違えるわけないのだ。


 それに、こう言っちゃなんだが、唐突に死んだおじいちゃんのモノマネをし始める同級生というのも、なかなか〝あたまおかしい子〟な気がする。


「少し、話を聞かせてもらってもいいか」


 俺の問いかけに、玉森は、


「ちょっと歩こうか」


 と言って、浜辺を指さした。

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