3-3 小泉ひなたは青春がしたい

 それから十数分後、小泉さんの前には、白い紙が置かれていた。

 そして、その紙には、たったいまこの世に生み出された、クリーチャーがいる。


 なんていうか、脚が五本あるのだ。内一本は、好意的に捉えればしっぽのように見えなくもないが、仮にそうだとしても、この生物が猫やウサギなど、何らかの可愛らしい動物を表しているようには見えない。


 クリーチャーにしか見えないそれは、妙に目力があって、見ているとなんだかこちらを見つめ返してきてるような気がした。こわい。


「えーっと、独創的なイラストを描くのね」


 苦笑いを浮かべながら、漫画研究部の部長さんが言った。

 いくら小泉さんが同世代との交流に慣れていないと言っても、流石に部長さんの言葉がお世辞だと言うことは分かったらしい。


 憧れていたテニス部がだめで、次こそは、と思ってきた漫画研究部だっただけに、理想と現実とのギャップが相当応えたのだろう。視界が徐々に潤んでくる。


「よし、次だ次!」


 料理部。

「えへへ。実はあたし、料理もやってっみたかったんだ。ほら、調理実習とかやったことなくて、憧れててさ。はい、クッキーあーん」

「ならよかったじゃねえか」


 三度目の正直、か。

 ほっとすると同時、小泉さんが何をしようとしているかに気づいて、思わず赤面する。


 ちょっと、私の身体で藤久良くんに、焼きたてのクッキーをあーんとかしないでよ……!


 相変わらず無防備に距離感の近い言動を行う小泉さんにわたわたするのもつかの間、私はひとり、小首を傾げる。


 あれ? 今日作ったのって、チョコクッキーだったけ?

 数秒後、焦げの塊を思い切りほおばり、悶絶している藤久良くんがそこにはいた。


 科学部。

「さっきはごめんっ! 今度こそ、おいしいべっこう飴を……」

「おい! プリントに火がついてるぞ!」

「ああああ!」


 茶道部。

「どうしよ正座で、あし、しびれちゃ、ひゃあああっ!」

 どんがらがっしゃーん。


 私たちは、小泉さんが青春出来る部活を探すため、ありとあらゆる部活を体験した。

 藤久良くんが、クッキーになるはずだった黒いものを意地で食べきり、消火活動を行い、和室で割れた茶碗を片付けて、バスケットボールを顔面に受けて保健室で休んでいる小泉さんと合流する頃には、下校時刻が迫ってきていた。


「ごめんなさい……。今日は、本当に、ごめんなさい」


 保健室のベッドのなか、羞恥と申し訳なさから顔を半分布団に隠したまま、小泉さんが言う。

 朝のやかましさはどこへやら、しゅんとしおれて小さくなっていた。


「あたし、ずっと、自分に言い訳ばっかりしてきたの。あたしは病気だから、どうせみんなと同じにはできないんだって。できなくても仕方ないんだって」


 ベッドから出ていた顔の残り半分も覆い隠すように、小泉さんが手を額に置いた。


「その結果がこれ。長時間起き上がってるのが辛くても、病院で絵くらい描けたのに。料理の仕方だって、理科の実験方法だって、どうせ実習には出られないからっていじけずに、ちゃんと勉強してればよかったんだ」


 その声は、次第に湿り気を帯びてくる。

 泣いているのは、彼女か、私か。


 身体の主導権は小泉さんに預けているはずなのに、私はなんだか、今泣いているのが彼女なのか私なのか、次第に分からなくなっていた。


 だって、あまりにも同じなのだ。

 自分は人とは違うから。だから、みんなが当たり前に過ごしている日々を送ることは出来ない。


 そうやって、やる前からすべてを諦めて、そのくせ心の一番深いところでは全然諦めきれなくて、むしろ誰よりもその当たり前を欲していて。


「どうせあたしは、みんなと違うから、病気だから、きっとこれからも学校には行けないんだって、思い込んで。だから、だからあたしは――」


 言葉を、気持ちを飲み込んで、代わりに彼女は呟く。


「……やっぱり、あたしに青春なんて、無理だったんだよ」


 小泉さんの腕に視界が遮られてしまって、藤久良くんの顔が見えない。

だから、彼がどんな表情で小泉さんの話を聞いているのかも、どんな気持ちでそのあとの言葉を言ったのかも、私には見えなかった。


「なあ、明日。デートしないか?」


「は?」


 は?

 小泉さんのつぶやきと、私の心の声が重なる。


 だって、意味が分からない。あまりに突然の言葉に、私も小泉さんも、動揺が隠せないでいた。


「いや、俺考えたんだけどさ。部活での青春って、一年とか、二年とか、時間をかけて、上手くなって、友情も深め合って、そうやって少しずつ積み上げていくもんだろ」


 それは確かにそうだ。だが、一体、それがさっきのデート発言と、どこでどうつながるのか。

 小泉さんも同じ疑問を持ったようで、抗議の声を上げる。


「ちょっと、藤久良くん、さっきのあたしの話きいて」

「だからさ」


 そんな小泉さんの抗議を遮るように、藤久良くんは声をかぶせた。


「小泉は、やりたいことを諦めてた自分を後悔してるんだろ? だったらさ、遠慮しないで、いちばんやりたいことを、いちばん過ごしたい青春を過ごすべきなんじゃないの?」


 うぐ、と、小泉さんが息をのむ。


「それは、そうだけど……」


 未だに藤久良くんの言いたいことが分からない私とは裏腹に、小泉さんは彼が何を言ってるか分かるらしい。


「つまりさ、玉森」


 と、彼は小泉さんを見ながら、私に向かって話しかけてきた。

 小泉さんの中にいる、私に。


「小泉は、遠慮してたんだよ。本当は恋愛に興味があるのに、デートとかしてみたいのに、流石にそれは身体の持ち主であるお前に悪い、って」


 え?


 気まずそうな小泉さんの中で、私は人知れず、目を見開く。


 でも、言われてみれば、思い当たる節はたくさんあった。

 朝のトーストダッシュ作戦だって、バイクでの二人乗りだって、少女漫画のお約束的展開だ。やや前時代的ではあるが。


 それに、この年頃の女の子にとって、いや、高校生にとって、青春と聞いて一番に思い浮かぶのは、やっぱり色恋だろう。


 青春がしたい、という小泉さんの願いは、決して嘘ではなかったのだろう。高校生活にも、部活動にも、憧れる気持ちは少なからずあった。それもまた、事実なのだろう。


 けれど、一番に思い浮かんでいたはずの願いだけは、隠していたというのか。

 私の身体で、私に迷惑をかけない範囲でできる青春だけを、しようとしていたのか。


 そんなの、心残りがなくなって、行くべきところに行けるようになるわけ、ないじゃないか。


 私に迷惑がかかるからと、諦めて。

 これまでの人生で、もう十分すぎるくらいたくさんのものを諦めてきたはずの彼女が。いや、そんな彼女だからこそ、か。


 そんなこと考えもしなかった、ううん、考えようともしなかった私は、自分のちっぽけさに泣きそうになる。


 正直なところ、私は小泉さんのことが、あまり得意ではなかった。

 年上なのに奔放で、病院で大人に気遣われて育ったからか、ややわがままで。


 けれど、彼女は彼女なりに考えて、私に気を遣ってくれていたんだ。

 彼女の声が聞けるのは、私だけなのに。二十四時間一緒にいたのに、そんなことにも気づかないで。


 子どもっぽいのは、一体どっちだったんだろう。


『小泉さん。ごめんなさい』


 心の中で彼女に謝罪する。

 すると、彼女は年相応の儚げな笑みを浮かべ、


『あたしの方こそ、上手く出来なくてごめん』


 と、声には出さずに私に言った。

 私の中でした小泉さんとの会話は、外には聞こえない。

 急に黙りこくってしまった小泉さんを心配するように、藤久良くんがこちらを見遣る。


 そんな藤久良くんに、小泉さんはいつもの彼女らしい、無邪気できらきらとした笑顔で言った。


「ねえ、それならあたし、行きたいところがあるの!」

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