アジサイ(冷酷) page3

 九月二十二日(月)

 祭りの日の帰り道、林檎飴を渡しに恵里香の自宅へ訪れた時の事、裕太が片山美奈子に会った話しをすると、恵里香はどんよりと沈んだ表情を見せていた。


 それは、曇り空に日差しを遮られた真昼であれども、白い雲は浮かんでいたのが、夕暮れを迎える前になると、灰色の雲が空を埋め尽くしていた時の様子に見える。


 洋平と弘行も、深入りして話を聞くことができずにいたが、片山美奈子が恵里香を探していた理由は、やはりよからぬことであるのを感じた。


 土砂降りになりそうでならぬ雨雲のような恵里香の様子は、あれから一週間が過ぎても変わることなく、登校中の洋平と弘行は、前を歩いている恵里香の背中を見ながら、声を掛けられずにいる。


「おい、話し掛けてこいよ」

「ヒロが行けよ」


 恵里香の様子とは他にも、今日は異様な雰囲気を感じる。


 恵里香の横を通り過ぎると、何やらヒソヒソ話をする生徒達の姿。


 その様子を不審に思った二人は、恵里香との距離を縮めながら歩いた。

 声も掛けぬまま、用心棒のようになって恵里香の背後に付きながら学校に着くと、校門の前に中村と白戸が立っていた。


「よぉ、殺人犯の妹」

 白戸が悪意のある発言をすると、恵里香は俯いたまま背筋だけ伸ばし、まるでゼンマイが切れた人形のように、動きが止まった。


「エリカ、どうした?おい、エリカ」

 洋平が顔を覗き込んで声を掛けても、恵里香は瞼を大きく開けたまま、怖気きった表情で立っている。


 白戸と中村が近寄って来ると、弘行は恵里香を隠すようにして前に立ち、威嚇するように二人を睨み付けた。


 その横を通り過ぎる生徒達は、自分達とは別世界の人間を避けているのか、あるいは触らぬ神に祟りなしと思っているのか、気配を消すように通り過ぎていく。


 いつもであれば誰かしらの教師が校門に立っているものも、今日にかぎって誰もいない。


「おまえに下手なことしないで良かったよ。人殺しの兄貴に、復習されるかもしれないからな」


 中村は恵里香に毒のある言葉を放つが、弘行と洋平には意味を理解できず、単なる言いがかりとしか思えない。


「おい!今度は何の言いがかりだ!」

 弘行が中村の肩を押して突き飛ばすと、それを見た白戸が、弘行の胸ぐらを掴む。

 その拍子に、弘行の学蘭からボタンが外れると、足元を転がって排水溝に落ちた。


「おまえ!調子に乗って粋がるなよ!ぶっ殺すぞ!」

 いつもであれば、このような時は恵里香が声を上げて仲裁に入るところだが、しかし今は、微動だにせず立っているだけ。


「誰か!助けて!」

 洋平が大声で助けを求めると、争いに気がついた菅村が駆け寄ってきた。


「おい!何をしているんだ!」

 その声を聞くと、白戸は先程までの勢いを無くして、弘行を掴んでいた手を放す。


「何でもないっすけど……あ、こいつが第一ボタン外して学校来てるから、調子に乗ってると思っただけっすよ」


「テメェ!嘘ばっか付いてるんじゃねぇよ!」

 白戸が咄嗟に付いた嘘に対して、弘行が反発すると、恵里香がその場から逃げ出すように走り去った。


「おい、杉浦!待て!お前達、まさか変なことを言ってないだろうな!」

 菅村の物言いは、恵里香のことで何かを知っている様子。


「何も言ってないっすよ……マジで」

 白戸と中村も話を誤魔化してその場を立ち去ると、その様子から一部始終を見抜いた菅村は、弘行と洋平から争いの理由を追及する。


「なぁ、あの二人、杉浦に何を言った」


「何か人殺しの兄貴がどうたら、こうたらって……意味分かんないっすよ」

 弘行の話しを聞くと、菅村は苦い表情を見せる。


「先生、一体、何のことなんですか?」


「いいから、とりあえず教室に行きなさい」

 洋平の質問ついて菅村は答えようとせず、二人の肩を叩いて下駄箱へ向かわせた。


「でも、殺人犯の妹ってどういうことだ?」

「さぁ……」


 上履きに履き替え、教室へ向かう階段を上りながら洋平は考えた。

 殺人犯の妹と言えば、『紫陽花の涙』で恵里香が演じた役が頭に浮かぶ。


 白戸と中村は、そのことを揶揄っていたのだろうか……しかし、それだけで恵里香があのような態度を見せるだろうか……と、理由を考えてみるが、他に思い当たる情報も知らない。


 弘行と洋平が教室に入ると、皆が裕太の机を取り囲んで、ザワザワと騒いでいた。


「何だ?どうしたんだ」

 弘行がその群れに割り込んで入っていくと、裕太が一冊の写真週刊誌を広げて、それを皆に見せている。


「あっ、嶋岡……」

「何だ、何を見てんだよ」

 弘行は、目を合わせて渋い顔をする裕太から雑誌を取り上げると、開いているページに書かれた記事の内容を読んで、目を疑った。


《『紫陽花の涙』は実話!子役 杉浦恵里香の消えた理由》

 一世風靡を起こした子役、杉浦恵里香がヒロインで二年前に大ヒットとなったドラマ『紫陽花の涙』

 この物語はフィクションの作品だが、その後に、ドラマを連想させる事件が、杉浦恵里香自身に起きていた。


 杉浦恵里香の父は、二度の結婚歴有。前妻を難病で亡くした後、長男を連れて再婚。

 その後、恵里香が生まれると、家族四人で生活していたが、天才子役と言われた杉浦恵里香を育てる両親に対して、長男は死別した母から生まれた自分が、差別を受けているように感じていた。


 長男は高校に入学すると同時に、家族と離れて生活していたが、その対応も自分だけ追いやられたように思えていた。


 その長男が抱いた嫉妬心により、事件が起こる。

 狂乱した長男は父を殺害し、逃げ出した母は、通報した警察に保護されて免れた。

 福岡県の山奥で起きた殺人事件は、近隣住民の目撃も無く、犯人も未成年のために名前は公表されなかった。


 杉浦恵里香の人気も急上昇していたことと、事件の内容があまりにも『紫陽花の花』と似ていたことから、視聴者やスポンサーからの批判を恐れたテレビ局が圧力を掛けた事から、当時のニュースでは殺害されたのが杉浦恵里香の父とは公表されなかった。

 その後、杉浦恵里香は芸能活動による精神的な疲労という理由で活動休止。


 『紫陽花の涙』で京子の姉役を演じた、女優の片山美奈子は、「恵里香は本当に妹のような存在でもあったし、同じ女優として、良きライバルでもありました。今回の事件を、今になって知ったことがショックです。もっと早く相談してもらい、今でもライバルでいてほしかった」と語る。


 長男は今、少年院に服役中であり、今月出所予定。


 記事の内容もそうだが、弘行が一番気になったのは、載せられていた恵里香の写真。

 それは子役時代の写真の他に、流出するはずのない、現在の恵里香の写真も載っていた。


「何だよ、この写真……モザイク掛かっているの俺たちじゃねぇか……」

 後ろめたそうにする裕太と亮治の様子から、洋平は二人が祭りの時に言っていた事を思い出す。


「あっ!もしかして、あの時もらった千円って、その写真を……」

 洋平が声を張り上げると、裕太が答える間もあけず、弘行は拳で頬を殴りつけた。


「テメェ!エリカのことを売りつけたのか!何をベラベラとしゃべったんだ!」

 弘行は続けざまに亮治も殴りつけると、男子は暴れる弘行を止めに入り、女子は悲鳴を上げて逃げてゆく。


 ガシャン、ガシャンと音を立て倒れる机を蹴り飛ばしながら、弘行は数人に押さえつけられる腕を、囚われた猛獣のように振り払おうとする。


 我を失っている弘行の血眼を見ると、倒れ込んだ裕太は、震えた足で立ち上がることができず、洋平も仲裁へ入ることに恐れを抱く。


 床に落ちた雑誌を皆が踏みつて、その一ページ、一ページが足でもぎ取られて破られると、破れた恵里香の写真を見て、感傷的な気持ちとなった洋平は、その記事を拾い上げた。


「おい、ヒロ、落ち着けよ……なぁ、ヒロ」

 弘行には、洋平の訴えが聞こえていない様子であり、腕を振り切った拳は、再び的を射ようとしている。


 校舎にはチャイムが鳴っているが、廊下から聞こえる絹を裂くような悲鳴と、倒れる机や椅子のパイプが当たる金属音が、その音を掻き消す。


「おい!嶋岡!何をやっているんだ!」

 教室に菅村が入ってくると、裕太は四つん這いで動きながら、菅村の足にしがみついた。


「先生!こいつ、やべぇよ……止めてくれよ!」

 亮治も菅村を盾にするように背後に回ると、声を震わせて助けを求める。

 破れて散らばった雑誌の欠片を見て、菅村は話を聞かなくても、弘行が暴れている理由が分かった。


「とにかく落ち着け。何故、教室で暴れる必要がある」


「裕太と亮治が、週刊誌にエリカの写真を売ったんだ」

 破れた記事を手に持ちながら、弘行のようにまでは気持ちを表せなかった洋平も、込み上げる口惜しさを訴えて、菅村に話す。


「ちげぇよ、なぁ先生、俺達だって知らなかったんだよ。杉浦の友達が探しているから……写真を送ってくれって言うから……売ったんじゃねぇんだよ、信じてくれよ」

 話を聞いた菅井も、弘行の行動は度を超えているが、気持ちだけは理解できる。

 しがみつく裕太を立ち上がらせて、埃で白くなったズボンの汚れを掃ってやると、膝の震えが手に伝わる。


 息を荒くして睨み付ける弘行と目を合わせた菅村は、小さく頷いて同情を示した。


「とにかく皆、机を直して席に着け」

 菅村の指示で廊下へ逃げていた女子達も教室へ戻り、各々の机を元の場所へ戻し始める。


 その中、一人だけ教室から出て行こうとする弘行を、菅村は腕を捕んで引き止めた。


「おい、何処へ行くんだ」

「エリカを探しにだよ」

 菅村には弘行の震える腕が、自分への恐怖心でないことは分かるが、それが怒りなのか、憎しみなのか、口惜しさなのかは分からない。


 しかし今は、教師という立場の常識や権力で、彼の気持ちを押さえ付けることはできないと思う。


「行くのは止めない。だが机は戻していけ。どんな理由であろうとも、やってはいけないこともある」

 すると弘行は、菅村の手を振り解き、自分の机を元の場所に戻すと、目の前にいる洋平の顔も見ずに、ゆっくりと歩きながら教室を出て行った。

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