トリカブト(復讐) page5

「河村が死んだんだって!」

「え!何で!」


「殺されたの?」

「川に浮いていたらしいよ……」

「じゃあ、自殺?」


「おはよう」

「あ、エリカ……」


「どうしたの?皆んなで集まって」

「おい、洋平まだ来てないか?あの野郎、今日、エリカを迎えに来るとか言って、すっぽかしやがって!」


「嶋岡……河村、死んだんだってよ……川で溺れてたんだって……」


「は?」

「えっ……」


 恵里香と弘行が、洋平の死を知ったのは、朝の教室だった。


 美奈子の死が兄の犯行でないと思えば、恵里香は心の中に詰め込まれた鉛を、少しでも取り除くことができていたが、最愛の友の死を知らされると、取り除いた鉛の球を鳩尾に投げ付けられたように息が止まる。


 嵐の夜に起きた土砂崩れのように心が乱れると、恵里香は吐き気に襲われて教室を飛び出した。


 麻衣子が慌てて追い駆けると、残された弘行を取り囲む皆の視線は、何時かのように、人の不幸を餌にして騒いでいる様子ではない。

 どちらかと言えば、弘行のことを伺いながら、自分達の言葉や行動が刺激を与えてしまうのを恐れ、感情を噛み殺している様子。


 それは麻酔を掛けているにも関わらず、我が身を切り裂こうとするメスを見ると、顔だけは痛みを露わにしてしまう表情。


「溺れていたって……あいつ、何でそんな所にいたんだよ……」

 弘行は目の前にいた裕太に訊くと、裕太は膝から落ちるように椅子に座り、体内に真水が流れているような、青白い顔を見せた。


「知らねぇよ……ただ、ただ……きっと溺れたんじゃねぇよ……」


「どういうことだよ!」

弘行が問い掛けると、裕太は眉を吊り上げて額を狭めながら、時を止めたように壁際の一点を見つめている。


「浮かねぇんだよ……人は溺れたら浮かねぇんだよ……俺は……俺は、弟が溺れているのを助けられなかったんだ……釣りに夢中になっている間に、あいつ川に落っこちちまって、助けを呼びに行っている間に沈んじまったんだよ……その時、助けに来てくれたおっさんが言ってたよんだよ。溺れたから浮いてこないんだって……それで結局、弟は死んじまった……」


 裕太の見開いた目は、瞬きもすることもなく微動だにせず、既に流し尽くしたように、涙を溢すこともない。


 弘行は裕太の話を聞くと、頭の中には恵里香の兄の事が真っ先に浮かんだ。


 そこからは込み上げるのは烈々とした怒りだけで、悔しさや悲しさのような感情ではない。


 その怒りが血に紛れ込んで、身体の中を駆け巡ると、血と怒りの摩擦が体を熱くして化学反応でも起こしたようであり、弘行の脳裏には怒りと殺意が駆け巡る。


 弘行の姿が、亮治の目には人間として見えず、我を失った獣の姿として映っていた。


 きっと、その八重歯が虎のような牙であれば、怒りを持って噛み殺すだけであり、その手に虎のような鋭い爪があれば、憎しみ込めて引き裂くだけであり、その足が虎のように素早い足であれば、殺意を覚えた相手を逃がすことはないいだろう……


 けれど鋭い眼差しだけは、獣の表情に変えられず、友を失って憎悪に満ちている人間の目をしている。


 青白くなった裕太の顔が、息絶える瞬間の洋平を想像させると、それを見た弘行は、荒れ狂った感情を曝け出し、奇声を上げながら教室を飛び出した。


「おい!あいつヤバいぞ!」

 亮治が慌てて弘行を止めに行こうとすると、言葉を失っていた生徒達が一斉に騒めき出す。


「どうしたの!ねぇ、嶋岡君は何処に行ったの!」


「いいから、おまえ達は先生に知らせろ。嶋岡の目を見ただろ?放っておいたら、あいつ人を殺すぞ!」

 亮治は切迫した状況を皆に意識させると、一散に弘行を追い掛けた。


 弘行は誰にも止められることなく自宅に帰り、鍵の掛けられていないドアを乱暴に開けると、部屋では父が寝そべりながら、再放送のドラマを見ているのか、眺めているだけなのか分からぬほどくつろいでいる。


 弘行が寝そべっている父親のことを気にもせず跨ぐと、「あほんだらぁ!親を跨ぐ馬鹿がおるかぁ!」と、父の怒鳴る大声が狭い部屋に響いた。


 そんな声も聞こえぬように弘行は、小さな収納ケースの引き出しから、バタフライナイフを取り出してポケットに仕舞うと、窓から差し込んだ光がそれを仄かしたのを父は見逃していなかった。


「なんや、素手じゃ勝てんのか……情けないのぉ」

 父の言葉を聞いて弘行は動きを止めると、駆け巡る血の流れが、突然として弱くなる。

 いつもなら苛立つような言葉でもあるが、今は感情を抑える唯一の人間であることに体が反応した様子。


「なぁ……もし、俺が人を殺したらどうする?」

 弘行の言葉を聞いても、父は驚いている様子もなく、背を向けて寝そべったまま「帰ってくるな」と言い放つ。


 あぁ、きっとこの人は、まだ一三歳の子供が何を言っているんだくらいに思っているのだろう……弘行はそう考えると、緩やかになっていた血が、また少しずつ流れを速める。


「ニュースでやっとったぞ。川で死んどったの、この前のヒョロッこい坊主じゃろ。ほんなら、帰れる程度にやり返してこい」

 若い時からあちこちを転々としていた父の入り交じる方言は、故郷のない人間のようであり、いつもなら聞き苦しいはずが、今日はその言葉を聞くと何故か背中を押されたように思える。


「自分で帰ってくるから、何があっても迎えに来なくていいから」

 普通の親なら驚きだしそうな息子の言葉だが、微動だせぬ父の姿は、子供の将来を考えることもなければ、親の体裁も考えてない態度。

 そんな父の背中を目に焼き付けると、弘行は静かに家から出て行った。


 それから弘行は、心迷いすることなく恵里香の家へ向かった。

 ゆっくりと歩く姿は、獲物を狙う虎が体力を蓄えている様にも見えるし、悲壮な覚悟を決めた姿にも見える。


 そこへ向かう理由や、恵里香の兄がいる核心を突いた訳でもなく、それは唯、動物の勘が働いたのと同じ行動。


 空に東の太陽が昇る時間に、中学生が町中を歩いているのを、道端にいる若妻達は気に掛けることなく、ましてやその少年がナイフを忍ばせているとは、思っている筈もない。


 中学生が外にいるのを許されるのは昼下がりくらいであり、本来ならば窮屈なほど自由な時間はない。

 朝ぼらけの町や、おぼろ夜の町、真昼でさえも、制服の学生がふらつき歩いていると、警察に補導されるはずだが、今日は洋平が浮いていたあの川に集合しているのか、会議室で事件の謎解きをしている真っ最中なのか、人気のない交番の前を、弘行は素通りする。


 恵里香の家に辿り着くと、弘行が来ることを見通していたように、白金が先に訪れていた。


「来ると思ったよ、やっぱり彼は殺されたと思うんだろ?」

 図星を突かれたことに対する驚きはないが、警察すらも目星がついていない事件なのに、白金が正鵠を射るようにしてこの場にいるのは、弘行でも不自然に思う。


「君の考えは当たっているよ、彼のアリバイ工作は、至ってシンプルだったのさ。彼は態と職場の先輩を怒らせて自分を殴らせると、それに腹を立てて店を飛び出すという芝居を演じた。その後に新幹線に乗ってこの町へ来ると、片山美奈子に偶然出会い、この家の場所を訪ねたが、犯行を中止しなければ警察に訴えると言われて、彼女を殺害した。その後に一度福岡に帰り、反省した様子で職場に戻るけど、次の日も同じ手口で店を飛び出した。そして今度は、洋平君を殺したのさ」


「何でそんなことを知ってるの?まぁ、いいや……それなら、早く警察に教えた方がいいんじゃない」

 そもそも死んだらどうなるなんて話を白金から聞いた後に洋平は殺されていることが、巫術的な考えで薄気味悪く思う。


 事件に関して客観的で、推理小説の内容を語るような白金の話しを聞いて、『エリカの事を追っかけている奴等なんて、所詮は皆んな同じだ』と思えば、警察も、白金も一体何をしているのだと思い、大人への印象を悪くさせる。


 白金の話しは、ロールプレイングゲームであれば、謎解きへ導く村人の言葉だが、それに耳を傾けず、とにかく魔王の城へ向かうようにして、弘行は恵里香の家を訪れると、インターホンを押すが無反応。

 無作為にドアノブを引いてみると、すんなりと開いてしまうのに少し驚いた。


「おい、恵里香……おい、居るのか!」

 名前を呼んでも返事は聞こえず、玄関には恵里香がいつも履いている、白いデッキシューズも置いてない。


 男性はいないはずのこの家に、大きなスニーカーのつま先が交互に重なって置いてあるのに気が付くと、弘行は靴を脱ぎ棄てて家の中に上がり込んだ。

 閉めた扉が日を遮ると、玄関からリビングを伝う廊下は薄暗く、天井に向けて耳を澄ますと『ミシ、ミシ』と木が撓る音が聞こえる。


「エリカ!エリカ!いるのか!」

 大声を出しても返事はないが、物音が聞こえたのは確かなので、二階への階段を掛け上る。

 この家は恵里香の部屋意外に入った事が無いから、とりあえず恵里香の部屋を訪れるが、部屋の中に人影は無い。


 続けざまに隣のドアを開けると、そこは部屋というよりも物置になっていて、窓に掛かるカーテンには、大きな罰点を記すように、刃物で切り裂いた痕がある。

 その裂け目から部屋には僅かな光を取り込んでいて、本棚の前には崩れ落ちた書物が床に散らばっている。


 その書物は植物辞典やガーデニングの本ばかりであるが、花言葉の本が混ざっているのを見つけると、引き寄せられるように手に取った。


 パラパラと無造作にページを捲ると、途中に栞が挟まっていることに気が付く。

 そのページはエリカの花言葉が書かれたページであり、栞には達筆な文字が書かれていた。


《恵里香(エリカ) 孤独の花言葉を持ちながらも、荒野に咲くその花を見れば、そこを歩く人に、安らぎを与えるような人間になってほしい》


 その栞を見付けてから、改めて部屋を見回すと、散乱している書物などは父親の遺品であるのが予想される。


 しかし、何故、こんなにも部屋が荒らされているのだろう……考えると言うよりも、その疑問についてぼんやりしていると、壁の向こう側から僅かに聞こえる物音に気付いた。

 ミシミシと鳴る音に混ざり、呻き声が聞こえる……それを耳にすると、弘行は手に持っている本を棚に置いて、部屋から飛び出した。


 部屋の前に立つと、ドアの向こう側から足音と呻き声がはっきりと聞こえた。

 弘行は躊躇うことなくドアを開けると、痩せ型ではあるが、大柄の男性が立っているのと、手、足、口をガムテープでグルグルと巻かれた女性が床に転がりながら、苦しそうに呻いている姿がある。


「なんだ、恵里香じゃあないのか、君、誰?」

 弘行は大柄な男の顔を見上げると、それが誰であるかを確かめもせず、直感で恵里香の兄だと決めつける。


 目の前の男が恵里香の父と片山美奈子、そして洋平を殺した殺人犯であると思っていても、弘行の感情は恐怖を覚えることなく、薄ら笑みを浮かべる男の表情にも屈せず、的を狙うように睨みを利かせる。


「あんたが洋平を殺したのか……その人だって、エリカの母ちゃんだろ……今度はどうするつもりなんだよ!」

 恵里香の母は、瞬きを失ったように目を見開き、真っ赤に染まった眼球に涙を潤ませている。

 息を荒くした鼻孔から鼻水を垂れ流し、陸に上げられた魚が暴れるように、縛られた足を動かしているのを見ると、股下には漏らした尿が垂れているのを目にした弘行は、そのような汚辱を蒙る兄に対して、憎悪の念が増していく。


「恵里香の前で殺そうと思って待っているんだけどね、そろそろ恵里香も来るのかい?」

 弘行は、兄の右手に握られた刃物を目にして危惧されると、握りしめた右手の拳を開き、ズボンのポケットに手を入れて、忍ばせたバタフライナイフを掴んだ。


「そろそろ始まるのかい?」

 背後から声が聞こえて弘行が振り向くと、カメラを手にした白金が、不敵な笑みを浮かべながら立っていた。

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