トリカブト(復讐) page4

 学校へ連れてこられた洋平と弘行は、いつも通りに放課後までの授業を受けるが、やはり恵里香の兄については、腑に落ちない気持ちのままだった。


 片山美奈子は誰に殺されたのだろう……恵里香の兄がSNSに書き込んだ文の意味は何だったのだろう。

 考えれば、『紫陽花の涙』は、引き取られた従兄が京子の家族を殺す物語であるから、そのストーリーに則って犯行をしているとすれば、美奈子は関係の無い人物であるはず。


 しかし、『アジサイノハナ ツヅキノハジマリ』と書かれた文を思い出せば、あのドラマでは、父、母、姉の三人が殺されるから、現実には姉のいない恵里香の家族であれば、美奈子を姉役として殺したようにもこじつけられる。


 だが、その兄が福岡にいるとなれば、他の犯人など弘行と洋平に思い付くわけがない。

 美奈子を知っている洋平にとっては、彼女の死が謎に包まれているのは、何となく憂鬱な気持ちになる。


 菅村にやめろと言われながらも、学校へ来ていない恵里香を心配する気持ちは変わらずに、二人は再び恵里香の自宅を訪れた。


 菅村に注意をされたからなのか、商売になるようなネタではないと思ったからなのか、今は白金の姿も見当たらない。


 玄関のインターホンを押すと、中に人がいるような物音は聞こえないが、弘行はドアの奥に人の気配を感じ取る。

 耳を立てて、ドアの向こう側から木製の床がゆっくりと踏まれる音を聞くと、静かに開いたドアの隙間から恵里香が姿を見せた。


「ヒロくん、ヨウちゃん……」

 恵里香の顔を見ると、腫れた瞼が余程の恐怖に耐えているのを語っている。


 二人は家の中に入りドアを閉めると、恵里香は膝の力が抜けたように、上り框に座り込んだ。


「ちゃんと寝ているの?」

 洋平が心配して声を掛けると、恵里香は首を揺らしながら、「大丈夫」と応える。


「なぁ、聞いたか?兄ちゃんは福岡にいるらしいぞ」


「うん、朝、お母さんが保護司の人に電話して聞いていた。でも……」


「どうした?」


「でも……そうしたら、誰が片山さんを殺したんだろう……」

 弘行は恵里香を安心させる為に伝えたつもりが、それを聞かせて与えた疑問が、自分達も同じであると、それに答える言葉に悩む。


「わからないけど……でも、ほら、うーん……俺は……何て言えばいいのか分からないんだけど……兄ちゃんじゃなければ、取りあえず母ちゃんは安心なんじゃないか?」


 既に一人の人間が殺されているのに、あまりにも配慮のない弘行の話し方は、弔意と掛け離れている気もするが、自分が逆の立場だとしても、きっと同じ事だろうと思いながら、洋平は聞いている。


「とにかく明日は僕とヒロが迎えに来るから、学校へ行こう……お母さんが心配かもしれないけど、皆んなもエリカを心配しているから」

 恵里香は小さく頷いて、「ありがとう」と言うと、マシュマロのような瞳から、大粒の涙をポロポロと流した。


 二人は恵里香の家を後にすると、しばらくは言葉を交わすことなく、いつもより遅い足取りで歩く。

 これまで幾度となく見た恵里香の涙も、今日は宥めて拭えるような物ではなく、その涙は感情を露わにすると言うよりも、溜まったストレスの排除に見えた。


 洋平がいくら考えても、的を射ることが出来ない問題を解く術などは思い付かないが、今まで鮮明ではなかった朝霧のような気持が、何であったのかは確信していた。


「ヒロ、僕やっぱりエリカが好きだ。それは友達としてじゃないよ」

 洋平の唐突な発言を聞いて、『それは今話すことなのか』とも思うが、あしらうこともせずに、「そうか」と、弘行は曖昧な言葉だけを返す。


「ヒロはどうなの?」


「俺は、あんな親父とお袋を見て来たから、女が好きとか、そういうのがあんまり分からないや」

 愛情や友情など、人への思いを分類することで動き出す洋平の感情とは別に、弘行は人情の一括りであることが大人びて見えるのは、洋平が弘行を友達と思いながらも、嫉妬心を抱いてしまう一面でもある。

 洋平は自らの言葉で自分を辱めたように感じると、「明日の朝、ヒロの家に行くから。じゃあね」と一方的に言い放ち、その場から走り去った。


 弘行は、洋平の気持ちをいまいち捉えきれずに首を傾げると、立ち止まっていた足を再び進ませて歩いた。


 洋平は何故、急にあんなことを弘行に言ってしまったのだろう……と、心に恥じらいだけが残り、その気持ちを紛らわそうとして、河川敷へ寄り道をした。


 雲が掛かる空は、夕方の始まりにしては薄暗く、朝のニュースでは夜から雨と予報していたから、人通りもない。


 三人でここへ来たのはつい先日のことであるが、それを昔の出来事であったように、洋平は懐かしく思う。


『あの時から恵里香は、恐怖を一人で胸に抱えて、苦しんでいたのだろうか……』


 いつものような夕日は雲に隠されていて、黄昏には物足りない風景に寂しさを感じる。


『ここで、花火とかもやったなぁ……』

 そんなことを考えていると、背後からゆっくりとした足音が近づいて来るのに気が付き、洋平は景色から目を逸らした。


「君、杉浦恵里香と同じ中学校?」

 洋平は、見上げるほど背丈の高い男の姿に、もしかすると今、自分の目の前にいるのは恵里香の兄なのかと思い、一歩、二歩と後ずさる。


「もしかして……エリカのお兄さん……」

 感情が驚愕の色を示すと、何故ここにいるのかなどと疑問を抱くこともなく、その恐怖だけに戦慄を覚える。


「僕が質問しているんだよ。何で答える前に、君が質問をするんだい?」

 男は薄笑いの笑みを浮かべると、洋平に近づいて躙り寄る。


「君は、恵里香のことを知っているんだね……何処に住んでいるんだい?教えてくれよ」


「ぼ、僕、知らないよ……エリカなんて……」

 この嘘はさすがに苦し紛れなのだが、洋平には嘘を付いた感覚はない。嘘というよりも、働きをかけた脳が勝手に出した言葉。


 それよりも、近づいて来るのが恵里香の兄であることに確信を持つと、『殺』と『恐』の文字だけが頭の中を駆け巡る。


 そこから逃げることを考えても、脳と体が分別されたように別の働きを持ち、身体を激しく震えさせて竦み上がる。


「恵里香を庇うの?君、格好いいね。でも、そういう人は死んじゃうよ」

 男は嘲笑うように話しながら手を伸ばすと、洋平の首を掴み、両手で強く締め付けた。


 洋平は恐怖から何も抵抗もできず、締め付ける指先が喉を押さえつけて息を塞ぐと、唾を飲み込むことすら許されず、その苦しみに悶えて呻吟する。


 魂が命乞いするように頭の中を呻き声が鳴り響き、体から首が外れてしまうような激しい痛みに襲われて踠き苦しむと、次第に意識が遠のいてゆく。


「君、人は人を殺さないと思うだろ?そんなことないよ。人は人を殺すんだ……さぁ早く、恵里香とあの女の居場所を教えてくれよ」


 魂が身体から離れかけると、僅かな意識の中で、白金の言葉を思い出す。

 それは死に辿り着くまでの苦しみが、テレビのコンセントを抜いたように、突然消えたりはしないのを……洋平の『エリカを守りたい』と思う気持ちは、どんなに自分が追い込まれても消えなかった。


 ポツリ、ポツリと降り出した雨が頬に当たると、その冷たさを洋平は感じることができなくなった。


 そして翌日の朝、洋平が恵里香を迎えに来ることはなく、川の淵で浮いているのを一羽の烏が見つけていた。

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