トリカブト(復讐) page3
その頃、弘行と洋平は、教室で皆が予想していた通りの行動を取っていた。
恵里香の母が狙いならば、兄は必ず居場所を嗅ぎつけて来ると推測して、自宅の前に張り込んでいた。
棒付きの飴玉を舐めながら、スタンドを下ろした自転車に跨り、無意味にペダルを漕いでいる時間が一時間ほど経っているが、まだ恵里香の兄が現れる様子はない。
二人は昨日の口喧嘩にしこりが残っているわけでもないが、現れるのを待っているのが殺人犯だと思えば、高ぶる緊張感から無駄な言葉を交える気にはなれない。
いつもなら気にも留めずに擦れ違うサラリーマンや、主婦、老人までもが、もしかすると変装をしているのではないかと思えてしまうほど、疑い深く辺りを見ていると、以前、弘行が嘘をついて追い返した男がやって来た。
「やぁ君達、何をしているの?もしかしてこの家、まだ留守なの?」
男は二人の警戒心を解くように、笑みを浮かべて話し掛ける。
「あ、あの時の……今日は何?またエリカのこと?」
弘行が訊ねると、男は静かにかぶりを振って、「違うよ、今日は片山美奈子の事件について。彼女、ドラマで共演していただろ?だから話しを聞こうと思ったんだけど、やっぱり留守なのかい?」と話す。
「分からない。でも、エリカはそっとしておいてくれない」
男は弘行の言うことに小さく溜息を吐くと、「やっぱり、僕がいると怖いのかい?」と言う。
「いや、今日は、大人がいたほうが都合いいや。でも、エリカの家には行かないで。ここにいれば、もっと大きなスクープが取れると思うよ」
洋平が昨日、片山美奈子と会ったことを話し出すと、弘行は「おい、おまえまで、エリカのことを売るつもりか!」と声を荒立てながら、洋平の腕を強く掴んだ。
「違うよ……でも、僕たち二人で何ができるの?相手は人殺しだよ。もうスクープとかは、どうでもいいんだよ。僕にはエリカが無事であれば」
「人殺しって?」
男はその言葉を耳にすると、食い付いて二人に訊ねる。
弘行は二、三拍の間を置くと、その間に、『まぁ、そうだ、洋平の言う通りだ。いざとなれば、この大人は役に立つかもしれない』と思い直し、「エリカの兄ちゃんだよ……多分、その、なんとかミナコを殺したのも、その兄ちゃんだよ」と答えた。
それから洋平も話しを続けると、男は黙って話しを聞いている。
「それで、君達は、ここで待っていてお兄さんが現れたら、どうするつもりなんだい?」
「どうするとかは分からないけど、エリカを守りたいだけなんだ」
「下手をすれば、殺されるかもしれないんだよ」
「でも、放っておけば、エリカの母さんが殺されるから」
男は洋平の言葉を聞いて何を感じたのか、ひっそりと笑っている。
「分かった、では僕も君達と一緒に見張りをしよう。それに僕は、記者じゃなくてカメラマンだから、情報だけのスクープにはこだわらないさ。どうせ未成年のことを写真に撮っても、顔は載せられないからね。でも、事件の証拠写真くらいは撮れるだろ」
昇ってきた秋空の日差しが暑くなると、男は羽織っていたネルシャツを脱いで腰に巻き、ケースからカメラを取り出した。
中学生の隣でファインダーを除き込む大人の姿は、通りすがる人々から見れば殺人犯が来るのを張り込んでいるカメラマンとは思えぬほど、彼の方が怪しく見える。
「そのカメラ凄いね、高いんじゃない?」
洋平が訊ねると、「まぁね、でも、いい写真はカメラが高いから撮れるわけじゃぁないんだよ」と男は答える。
「じゃぁ、どうやって撮るの」
「本当にいい写真はね、写真を撮る前から素材がいいのさ。それは自分の目で見た瞬間に、はっきりと分かるから。でもね、カメラは綺麗な物ばかりを写すだけじゃない。醜い物や、見たくはない物、そう……こんな風に人の不幸まで写さなければならない。それを僕の目で見た記憶が、どんなに誤魔化そうとしても、カメラは現実をはっきりと写す。そう、カメラは嘘をつかないから、自分も真実と向き合うことが大切なのさ」
二人にあまり難しいことは分からないが、彼の写真に対する考え方が、記念や思い出ばかりではない事は伝わる。
「見たくなくても、見なければならないの?」
「そうさ、生きていれば、そういう事が沢山あるはずだよ」
「例えばどんな事?」
「そうだね……それは、人の死かな……僕はね不思議に思うんだよ。人は生まれてから沢山の写真を撮るけれど、死んだ姿は撮らないだろ?死ぬことは、生きていた証のはずなのに……でも戦争が起きていた時は、空襲で焼け死んだ人々や、虐殺された人の姿を目の前にして、その姿を撮る人がいた。ほら、今でも戦場カメラマンがいるだろ?あの人達は現実に起きている悪夢があることを伝える為に、それを写しているのさ」
男の話しを聞くと、弘行は話の内容を薄気味悪く思うが、洋平は意外にも興味を示して話を繋げようとする。
「死んだら、どうなるの?」
洋平が訊くと、男も共感を得たのに快くなっている様子で質問に答えた。
「さぁ……でも、何も考えずに生きていれば、それはテレビのコンセントを抜いた時と同じ事じゃないかな……今まで映っていたものが、突然プツッと消えるような……ほら、試しに目を瞑ってごらん」
洋平と弘行は言われるままに目を閉じると、初めは閉ざされた視界の中にも、暖色の光が残像を残していたが、徐々にそれが失われてゆく。
光明が途絶えた瞼の裏から、死を連想した弘行は、光を求めて目を開けると、永遠に続く暗闇を意識して、夥しい恐怖に襲われた。
「死ぬって、真っ暗ってことか……」
弘行が問い掛けると、男は「いや、その真っ暗さえも、感じることはできないだろう」と、恐怖を煽るような答えに導く。
「僕、分かるよ……」
洋平は、その闇に慣れているように目を閉じたまま、いつになく落ち着いた様子で話し始めた。
「僕は心臓が悪いから、突然止まってしまうのを想像して、いつも不安になるんだ。だから寝る前に目を閉じて、このまま目が覚めなかったらって思うと、物凄く怖い気持ちになるし、朝になって起きると、目が覚めたことに安心する。それでまた夜になって眠くなると、意識が無くなるのが怖いから、いつも夢を見られるように、心の中でお願いするんだ」
弘行は、自分では今まで思ったこともない話しを洋平から聞くと、恵里香の父親が殺された、母親が殺されるかもしれないと聞いても、死ぬことが何なのかまでは考えていなかったのを気付かされた。
それは、生きている人は死んではいけないと思う本能のような考えに動かされているだけであり、恵里香の母親が死んだらどうなるとかは分からないし、それを守る深い意味や、考え方も持っていない。
「やっぱり、死ぬって怖いことなのかなぁ」
「それはどうだろう……でも、『怖い』と言う字は『小さい布』とかくだろう、それは死んだ時に顔に掛ける布のことを言っていると、僕は思っているんだ……」
弘行には、男の話を聞いても深く考えることは出来ないが、洋平は毎晩自分が考えていることを思い出せば、その意味を理解することができる。
永遠に続く無を想像して、それに恐怖を覚えると、目に映る物や景色の全てが、美しくて神秘的に思える。
それは、窓から差し込む燦々とした朝の日射し。
夏の終わりに眺めていた緑葉が、秋には紅葉となり、やがて黄色く染まる並木道を歩くこと。
真昼の空の下、足元に映る自分の影を目にすること。
水たまりに映る虹。
暁色に染まる夕暮れの空。
あくびをする猫。
窓に映る食卓の影。
数えるほどしか星の見えない都会の空でも、闇夜を照らす月明かりさえあれば、光を失う不安から逃れる。
眠りにつく時には、永遠の無が来ることに怯えながら、風が悪戯に立てる音や、むせび泣くような虫の鳴き声に耳を傾け、それが聞こえなくなると、幻聴のようなモスキート音に恐怖を誘われて、それすらも消えてしまうと、意識は無の中へ入り込む……そこから目を覚ます朝が来ることは、洋平にとって生き返るようなことであった。
「ねぇ、ところで、お兄さんの名前は何て言うの?」
親近感をもった洋平が訊ねると、「僕?僕の名は、白金道彦」と、ファインダーを覗きながら男は名乗る。
「白金さんは、どんな写真を撮りたいの?」
洋平が訊くと、それについて白金はうっすら笑い、「僕が撮りたいものは、人間の本質さ」と答える。
洋平には白金の言う本質の意味は分からないが、その言葉が煌びやかに聞こえた。
「ところで君達は、警察にこの話をしていないの?」
白金の質問に弘行は、「話したよ。でも、俺達みたいな子供の話なんて、聞いてくれやしないよ」と、ふくれっ面で話す。
「聞いてくれないって……いくら子供でも、信憑性のある話だろ」
「シンピョウセイの意味が分からないけど、エリカの兄ちゃんが居なくなった仕事場から、届けでも出ないと探せないって」
それは、普通に考えれば福岡にいる人間のことを東京で話しても、警察が対応するわけがないし、ましてや中学生のから話を聞いても、子供の家出なら腹でも減れば帰ってくるだろうとしか、考えないのが当たり前。
過去に殺人を犯した者と言っても、未成年である恵里香の兄は、事件の起きた当時も顔は公表されなかったから、捜索願でも出ていない限りは、徘徊していても人に気付かれることがない。
しかし、一度殺人を犯している少年が行方不明なのを、野放しにしておいて大丈夫なのか……それは弘行が考えても不安に思うことだ。
白金は癖なのだろうか、親指の爪をカリカリと噛んでいるだけで、何か案を出すわけではない。
『この人、大人なんだから、自分が警察に行って話してあげるとかないのかなぁ……』
そんなことを考えている洋平の背後から、人が駈け寄って来る足音が聞こえた。
「やっぱり、おまえ達、学校を休んで何をしているんだ」
捜索されていたのは自分達であったように菅村がやって来ると、その険しい表情を見て弘行は、「やべぇ」と言いながら、苦い薬でも飲んだような顔をする。
菅村は立ち止まると、遊びや怠ける為に学校へ来なかったのではないと分かっているから、怒鳴り付けるような真似もしないが、「そういう勝手なことをするな」と、少し強い口調で二人を咎める。
菅村は隣に立っている白金に、不信感を抱いて怪訝な目を向けると、目があった白金が会釈をするのに返して、菅村も軽く頭を下げた。
「あの……どちら様ですか?」
菅村が訊ねると、白金は少しまごついた様子で、「あ、週刊誌の者です」と言って、手に持っているカメラを見せて応える。
「あぁ、そうなんですか。私は、この二人の担任で菅村と言います。それで貴方は、どのようなご用件でいらっしゃるのですか?」
菅村が訊くと、白金は殺人犯が現れるのを一緒に待っているとは言えないから、「いや、まあ……」と言いながら戸惑う。
「僕が頼んだんだよ。大人がいたほうがいいし、エリカの兄ちゃんが来たら、証拠写真でも撮ってもらおうと思って」
洋平が援護すると、白金は安堵の息を漏らすが、菅村は「やっぱり、そうか」と言いながら、大きな溜息を吐いた。
「あのな、気持ちは分かるが、こういうことは危ないからやめなさい。あなたも子供が危ないことをしていたら、止めるのが大人でしょう。それを一緒になって……」
菅村の話を聞いて、「すみません」と言いながら頭を下げる白金の姿を見た洋平は、協力を頼んだ身として心苦しく思う。
菅村はジャーナリストなど、ゴシップを求める人間に対しての偏見な思いが強く、白金と自分の生徒が一緒にいるだけでも、見通しが当たったと思える。
「とにかく帰るぞ。ここにいても杉浦のお兄さんは、今も福岡にいるから来ないよ。だから、事件の犯人ではない」
「えっ」
すっかり犯人は恵里香の兄だと思っていたので、洋平と弘行は思わず声を裏返してしまう。
「保護司の人に先生が確認したら、本人とも連絡が取れて、ちゃんと仕事に行っていると言っていた」
それを聞くと、弘行と洋平は途端に拍子抜けしてしまうが、片山美奈子が殺されているのは事実。
きっと彼女が警察に通報すれば、恵里香の兄が図る計画を阻止されるから殺されたのだと思っていたから、そうでなければ、他に犯人は誰なのだろう……ならば何故、片山美奈子は殺されたのだろうと、洋平は考えてしまい、美奈子から聞いた話を白紙に戻されても、別の犯人像とはすり替えることができず、事実と疑念が混乱して戸惑う。
「じゃぁ、片山美奈子は誰が……」
首を傾げている弘行に菅村は、「だから、そういうことは警察に任せておきなさい」と言って戒めると、二人を連れて学校に戻った。
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