トリカブト(復讐) page6

「あんた……何やってるの……」

 この状況にいるのが意外な人物の姿を見て、弘行は自分の目を疑う。


「僕は、さっきから待っているんだよ。人が人を殺す瞬間を、このカメラに収めたくてね……さぁ、早く始めてくれ」


「あぁ、白金さん……来てたんだね」

 恵里香の兄は、白金のことを知っているような口調で話している。


「どういうことだよ……」

 弘行が問うと、白金は一枚の写真を差し出した。その写真には、顔を伏せて川に浮かぶ少年の死体が写っている。


「これ……もしかして……」


「前にも話したでしょ?僕は人間の本質を撮りたいんだって。人は生きている数だけ、色々な死に方があるんだ。矛盾していると思わないかい?人間は動物を殺すけれども、人間は殺してはいけないと言う。それでは、あまりにも命が守られすぎているだろ?だから僕は写したいんだ。その矛盾を打ち壊す姿を……そう、それは戦争と同じく、人は人を殺す本質をね」


 昨日の弘行は、白金の言葉に耳を傾けていた。洋平も好意を持って、彼の話を聞いていた。

 しかし、その生きる意味、死への真実を語っていた言葉は全くの偽りであり、今、目の前で話す言葉が真実であれば、まるで自分達が道化者であったように思える。


「あんた、おかしいよ……あんたの言う本質とは、人殺しかい?」


「あぁ、そうだとも。今の人間は、偽りで固められていると思わないかい?正義という言葉だけを振りかざしながら、その言葉を意味するには暴力しかない筈なのに、その暴力は悪だと言う。人は殴ってはいけない、殺してはいけないと……おかしいのは、その偽りだろ?ほら、君だって今、そこにいる彼を殺したいと思っているだろう」


 弘行は白金の話を聞くと、張り詰めていた糸が切れたように、気持ちから迷いが無くなる。


「あぁ、そうさ。でも、あんたの本質で言うと、こいつの後に殺すのは、あんただよ」


「そうかい……ならば頼みがある。僕を殺した後は、その姿をこのカメラに収めておくれ」

 弘行は再び恵里香の兄に顔を向けると、相変わらずの薄ら笑みを浮かべて、こちらを見ている。


「君も恵里香を庇っているの?皆んな優しいんだね……凄く格好いいと思う。でも、やっぱりそういう人は直ぐに死んじゃうよ」


 兄は右の手を差し伸ばすと、洋平の時と同じように、弘行の首を捕らえて掴んだ。

 その締め付ける力で息の流れを封じると、次は左手に持っている刃物を弘行に向かって振り翳す。

 窓の光を遮るカーテンの隙間から、僅かに入り込んだ細い光が兄の握る凶器をちらつかせると、弘行は忍ばせていたナイフをポケットから取り出して、兄が首を掴む腕の手首を、透かさず切りつけた。


 兄が痛みと驚きで、締め付けていた首から手を離すと、弘行のナイフは続けざまに、刃物を握りしめている左手も切りつける。


 握力を失った恵里香の兄は、斬り付けら切られた手首から、絶え間なく流れる血を呆然と見つめている。


 相手の様子を伺いながら、乱れた呼吸を整えている弘行の姿を、恵里香の兄が顔を上げて睨みつけると、弘行はその時を狙っていたように、振り上げたナイフで兄の喉を掻っ切った。


『止めるな、止めるな』

『殺しちまえ』

『洋平の仇だ』

『今、殺さないと、また人が殺されるぞ』

『殺せ!』


 これは自分の言葉なのだろうか、それとも誰かが、SNSのように心の中へ書き込んでいる呟きなのだろうか……


 弘行の脳裏には、これまで考えたことのない言葉が駆け巡り、一突き、抜き取ってはもう一突きと、無意識に兄の腹をナイフで突き刺している。


 赤い血飛沫が横たわる恵里香の母に向けて飛び散ると、ガムテープで塞がれた口を震えさせながら喉を唸らせている。


「素晴らしいよ、これが人間の……いや、生き物の本質だよ」

 カメラのシャッター音が聞こえると、弘行は血が塗りついたナイフの刃を、今度は白金に向けて見せた。


「さぁ……今度は、あんたの番だ。あんたの考えていることは、本質じゃなくて、異質だよ。俺は馬鹿だけど、その意味くらいは分かるぜ」


 恵里香の兄が、湧き出すような血を流しながら、崩れ落ちるように倒れると、その顔は目を開いたまま青白くなってゆく。

 人の死を目の当たりにしたことがない弘行は、自分の手で追いやった無残な姿を見ると、高ぶる感情が我に返り、激しく身体が震え出す。


「よかったね、友達の仇がとれて……大丈夫?こんな風に、僕のことも殺せる?」

 白金は含み笑いをしながら、倒れている恵里香の兄を指差して、弘行に問い掛けた。


「仇?あんたも悪だろうが!何だよ……あんたは、こんな写真が撮りたかった為だけに、この兄ちゃんに人殺しをさせたのかよ……」


 体の震えは止まらないが、この男……白金だけは殺さねばと思う意識は薄れていないから、右手に精一杯の力を入れて、握りしめたナイフを突きつける。


「僕が悪?勘違いしないでおくれ。僕は彼に、杉浦恵里香について知っている人間や、母親の事を教えてあげただけさ……そもそも、唆かしたくらいで人は人を殺すのかい?この彼も、君も、恨みがあったから殺したのだろ?それを誰かのせいにするのは卑怯じゃないかい?彼も、君も、自分の意志で動いただけだ。人を恨めば殺したいと思うのは、人間の本質なんだよ」


 弘行は振りかざしたナイフを一度下ろすと、白金の話す事について、問を投げかけた。


「そんなに言うんなら、あんたは殺したい人はいないのかよ」

 白金は弘行の言葉を聞くと、薄ら笑みも消して、表情を無にする。


「いるよ……僕も、この彼と同じく、自分の親だよ」

 弘行の質問に答えると、白金は気を紛らわしているのか、親指の爪を噛む癖を見せている。


「じゃぁ、殺したのかよ。それが本質なんだろ」


「僕は殺してないよ……あいつらは、勝手に死んだのさ。借金まみれのクソ親共は、僕が小学生の頃、真夏の暑い日に、わざわざ家ごと燃やして死んだよ。学校から帰ると、親も帰る場所も無くなっていて、僕は一人取り残された。それから施設に引き取られ、学校に行けば孤児だとからかわれて、最悪な毎日だったさ。だから僕には、殺したい相手を自分の手で殺せる君達が羨ましいよ」


 同情を引くような話しではあるが、それが身の回りで起きている全ての事件に繋がっているのを考えれば、弘行には情けを掛ける事などできず、蔑むように白金の顔を見る。


「あんたが一番殺したいのは、もしかして自分じゃないのか……じゃぁ自分が死ねばいいだろ」


「何故、僕があの二人と同じ死に方をしなくてはならないのだい?他人の事も、我が子の事も考えずに自害するのは、自己中心的な考えの極みだろ。死んだから、あとは死体をお願いしますと言うのかい?僕は丸焦げになった、父と母の死体を見て思ったのさ……どうせなら、骨まで燃え尽きて灰になればよかったのに……って」


 弘行は倒れている恵里香の兄を見ると、先程までは僅かに動いていた体も、今は血に染まったマネキン人形のようであり、恵里香の母も、甚だしい恐怖を目の当たりにして気を失っている様子。


「だから、親に恨みがあるこの兄ちゃんに、家の場所やエリカのことを教えたのか……」


「それが当たり前だろ?復讐ができる恵まれた境遇にいるのならば、それを逃してはいけないのだよ」


 弘行は自分の示す感情が、正義と悪のどちらなのか判断できずに葛藤していた。

 確かに今、自分は洋平を殺された怒りから、仇を打つ為に恵里香の兄を殺した。

 しかし、これが正しいやり方だとも思わず、この方法しか思い付かない自分が無能なだけであり、そもそも死がどういうことなのかも分からずに、怒りや悲しみを感じている。


 死の向こう側が、暗闇なのか、真っ白なのか、透明なのか、それとも無なのかも分からずに、それを与える事も、受け入れる事も、それが最も悲痛な事だと理性が心に訴えかける。

 そして、その意味を理解できなかった弘行の心は、感情に判断を委ねて恵里香の兄を殺した。

 彼は死んだ後にどうなるのか、何処へ行くのかも知らず、殺したのが自分の意志なのか、人間の本能なのかも分からずに、人を殺めた悪に対して、正義を盾に取り人を殺めた。


「君は、何で、人は人を殺してはいけないのか分かるかい?」

 白金は、再び薄ら笑みを浮かべながら問い掛けるが、弘行はそれに答えることなどできない。

 そもそも、人が人を殺してはいけない理由など聞いたことも、教わったこともなく、生まれてから当然の如く植え付けられた知識のように漠然としたもの。


 人を殺せば罪になる。しかし、その罪を受けてでも憎い者が現れれば、人は人を殺してしまう。それが最愛の親友を殺した人物であれば、尚更のこと。


「殺してはいけないなんて、思ってないよ……」

 弘行の言葉を聞いた白金が笑い出すと、その声が部屋中に響く。

 可笑しいことを言ったわけでもない弘行は、その甲高い笑い声が気に食わず、握りしめたナイフを再び突き出した。


「ほら、君みたいな人間がいるから、人は人を殺してはいけないという決まりを作らなければならないんだ。自分を正当化して、感情のままに動く……人間がどれだけ恐ろしい生き物か分かるかい?人間は地球を支配しているんだ。生きる為に狩りをして、それを食べて生きているのに、人間を狩って食う生物はいない……そう、食物連鎖の頂点にいる僕らは、生命の支配者なのさ。その人間が人間を殺してよいと言えば、君のように感情を露わにして殺す者や、核兵器を作り出して世界を破滅に導く者も出てくる。君のようにね、やられたら、やり返す……これは戦争と変わらない。つまり君の行いは、人間の本質なのさ。人間は、人類を滅ぼさない為に、人は殺してはいけない、命は尊いと言い聞かせているだけなんだよ」


 弘行は震えた手に握るナイフを突き出しながら「あぁ、そうかもね」と呟いた。


「俺は、あんたが言う通りの人間かもしれない。やられたら、やり返す。これしか思い付かないからね……ただ、それは賢い人間のする事じゃないよ、俺みたいな無能な奴がすることさ。でも、洋平は……エリカは……こんな俺でも、普通の人間として扱ってくれた。生まれた意味も分からない俺に、沢山のことを教えてくれた……あんたも、この兄ちゃんも可哀そうだよ。そういう人がいなかったから、そんな腐った考えになっちまうんだ」


 弘行の言葉が、心に影を作る理由の核心を突いていたのか、白金は突然として怒りを曝け出すと、カメラで弘行の頭を殴りつけた。

 割れたレンズの破片で頭皮に傷が付くと、そこからポタポタと血が垂れる。


 反射的に傷口を押さえてしまい、持っていたナイフを落としてしまった弘行は、手落ちに気付いて拾おうとするが、白金はその手を踏み付けて妨げると、ナイフを奪い取って弘行に突きつけた。


「人殺しのクソガキが!偉そうなこと言うんじゃねぇよ!おまえに何がわかる!おまえだって、同じように腐ってるんだよ!」


 弘行は恵里香の兄が持っていたナイフを見付けると、咄嗟の判断で拾い上げて、両手で握りしめる。


 白金がナイフを振りかざして弘行に襲い掛かろうとしたその時、慌ただしく階段を駆け上がる音が聞こえると、スーツ姿の刑事と数人の警察官が、部屋に入り込んできた。


「おい!ナイフを捨てて離れろ!」

 その声を聞いて驚いた白金が動きを止めた瞬間、警察官が猪のように突進して白金と弘行を取り押さえた。


 弘行は警察官にナイフを取り上げられると、小刻みに震えた両手に手錠を掛けられて、剥ぎ取られた学蘭を頭から掛けられると、操られるように連行された。


 春の桜咲く頃に、洋平と出会った時には、まだ糸解れもなかった真新しい学蘭。

 夏の日差しを浴びながら、不良のシンボルマークだと恵里香に揶揄われた真っ黒な学蘭は、哀れな罪を犯した弘行の顔を隠している。


 どれくらいぶりかを思い出せば、母との別れぶりなのだろうか……白いワイシャツには、弘行の目から溢れ落ちた涙の色を染めている。

 手錠をかけられた手首を見て、ワイシャツの袖口が赤く染まっているのに気が付くと、真っ黒な学蘭が白いシャツを血の色から守ってくれたように思えた。


『色だって、物だって、無いものは、無いぜ。透明は透明さ』

 洋平に言った言葉を、ワイシャツに滲んだ濡色を見て思い出すと、余計に涙が溢れた。


 あれだけ血の気を多くして暴れていた白金は、手錠を掛けられると、首を摘ままれた猫のように大人しくなっている。


 弘行は、その後ろから警察に連れられて、一歩一歩階段を下りて外に出ると、覆い被された顔では様子を伺えないが、人の気配や物音から、大勢の人だかりできているのは分かる。


 その人だかりが、どんな群れなのかを確かめることもできないが、響めく騒ぎの中で、「ヒロ君!ヒロ君!」と呼んでいる声だけは、はっきりと聞こえた。

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