シオン(追憶〜君を忘れない〜) page1
洋平の通夜が執り行われると、斎場には黒い学蘭と、セーラー服姿の参列ができた。
堀北中学校の生徒の他に、洋平と同じ小学校に通っていた隣町の中学生も、最期の別れに来ている。
裕太と亮治は御焼香を済ませると、心の中で別れを告げることもできずに、額の中でニッコリと笑う洋平の写真を、ぼんやりと見詰めていただけ。
参列する人々を見れば、学蘭、学蘭、セーラー服、セーラー服、喪服を挟んでブレザーの制服と、大人の数は少ない。
ブレザーの制服を着た中学生達は、涙を流しながら参列しているが、学蘭とセーラー服を着た中学生の大半は、蝋人形のように無表情であり、参列の流れに身を任せて並んでいる。
堀北中学校の生徒は一年A組以外も来ているが、性格が大人しくて級友と以外は話すこともなく、部活動にも入っていなかった洋平だから、大半は洋平と話したこともない生徒達が、学校行事にでも参加している感覚で来ている様子。
「皆んな、何考えながら並んでいるんだろうな……」
並ぶと言う言葉から連想するのは、待ち遠しさ等が思い付くが、この葬儀には感情の無い者もいれば、帰ったら何をするかなどを考えている者もいるのだろう。
洋平と親しかった裕太と亮治からすれば、遣る瀬無い気持ちになるが、心に降る雨を涙には変えられず、未だに現実として受け止めきれない。
麻衣子が玉のような涙を流しながら寄って来るが、二人は何と声を掛けたらたらよいのか分からずに、泣き顔から目を逸らした。
「でも、来ないって言うのも、何か寂しいな……」
亮治が呟くと、麻衣子は涙を拭った顔を上げて、「仕方ないよ、一番辛いのはあの子だもん」と話す。
今日のこの場に、恵里香は姿を見せなかった。
三人の横を上級生の集団が通り過ぎると、斎場を出た所では先頭の男子が、「これからカラオケ行く人!」と大声を上げている。
「行く、行く!」と、はしゃいだ声で話す女生徒の態度が、裕太と亮治の癇に障り、「あの野郎!」と言って苛立ちの声を出すと、覆いかぶさるようにして、「おまえ等、いい加減にしろ!」と、その集団を怒鳴りつける大声が、背後から聞こえた。
振り返ると、いつもはボタンを全て外した学蘭の下に、赤や青のTシャツを着ている中村と白戸だが、今日は第一ボタンまできっちりと止められた姿で歩いている。
裕太と亮治は、彼等に良い印象がないものだから、目が合えば直に逸らすが、『案外、いい人なんだなぁ』と思う気持ちになれば、腹の虫も少しは治まる。
「なぁ、人って死んだら、こんなもんなのか……」
亮治が呟くと、裕太は弟の葬儀を思い出した。
それは家族葬であった為、他所からの参列者が来ることはなく執り行われた。
身内の集まりであれば、当たり前のように皆が弟の死に涙を流す。
裕太も死がどのような事なのかは分からなかったが、弟は二度と目を覚ますことがないのを理解していたのと、その死は自分の不注意で起きた事故だと思えば、罪の意識を表すように、自然と涙が流れた。
それに比べて、洋平の葬儀に参列している人々の表情は、まるで交差点に立ち止まる人の群れに似ていた。
青信号を見て横断歩道を渡り始める時、そこに無表情の者もいれば、友人と並んで何やらクスクスと笑っている者もいる。
「こんなもののわけがないだろ」
亮治の言葉を聞いていた菅村が、三人に声を掛けた。
「生まれてくれば、いつかは必ず死を迎える。今も何処かで誰かが亡くなっていても、その死を世界中の人間が悲しむわけじゃない。その人へ愛がある人達が悲しむんだよ。愛とは、男女の関係だけじゃない。友達だって、家族だって、先生と生徒だって愛があるから人は繫がっていられるし、その繋がりが途切れると悲しみを感じる。だから大切な人がいなくなる事は、とても悲しい事なんだ」
三人と洋平は、恵里香と弘行に比べれば関係も薄いし、深く何かを語り合った訳でもない。
だから涙の一つも出ないのかと思えば、洋平の笑顔を思い浮かべると、悲しみの自覚はある。
「先生、俺、河村が死んだのが凄く悔しいし、悲しいのに、なんでだろう……涙が出ないや」
「俺も……弟の時はあんなに泣いたのに、今は何でだろう……」
その言葉を聞いた麻衣子が、二人の代弁するように泣きじゃくると、菅村は優しく肩を叩いた。
「君達には、まだ河村が亡くなった実感がないだけだろう……中学生が友達の死を覚えるのはまだ早いんだ。きっと、まだ心が、その感情を覚えたくないと言っているのだろう……」
「馬鹿だよ……河村も、嶋岡も、エリカ、エリカって……いっつも人のことばっかり」
参列者の数が次第に減って行くのを見ていると、洋平と過ごした時間まで消えてゆくように思えてしまう。
裕太は立ち並ぶ人の中に、涙を流している少年を見つけると、駆け寄って話し掛けた。
「河村とは、小学校の友達だったの?」
裕太が声を掛けると、少年は涙を流す顔を起こして、小さく頷づいた。
「凄く優しい奴だったよ……いっつもニコニコと笑っていた。なのに、何で死んじゃったの……きっと僕等と同じ中学校に通っていれば、こんなことにはならなかったんだ!」
裕太はその言葉が胸に突き刺さると、何もできなかった自分は、友達に対する意識が目の前の少年よりも浅かったと思い、罪悪感が込み上げてくる。
そして、弟を亡くした時と同じ感情を抱くと、滴のような涙を溢した。
「そうだな……そうかも知れない。なんかゴメンな、河村を守れなくて……」
裕太は少年の気持ちに応えると、泣き顔を亮治と麻衣子に見せるのを恥じらい、逃げるように走り去った。
弘行は今、鑑別所に入っていることを、菅村が一昨日のホームルームで皆に話していた。
弘行の父には、弁護士が幾度となく連絡をしても、「あいつは自分で帰って来るから、迎えに来るなと言っとった」と言う一点張り。
白金は警察の取り調べには答えずに、黙秘を続けてニヤニヤと笑うだけであるから、責任能力の有無を問われて、精神鑑定を受けることになった。
恵里香の兄は、救急車で運ばれる時には既に死亡していて、弘行は自分の容疑を認めているが、何故に恵里香の兄を殺したかまでは述べることもなく、唯、「俺が殺したんだ」と言うばかり。
恵里香の母は病院に運ばれて、今も入院中である。
以前から鬱的な状態にはなっていたが、あの出来事からPTSD(心的外傷後ストレス障害)の症状が表れていて、「あの子が……あの子が殺したのよ」と、繰り返して呟いている。
警察は諸々の事件の犯人が恵里香の兄であるのを確信しているが、被疑者が死亡していては、検察も起訴することができず、弘行が殺した理由を裏付ける証拠も、今は無い。
葬儀の翌日、恵里香が母親の看病をしていると、菅村がプリザーブドフラワーを持って見舞いに来た。
「杉浦、お母さんどうだ?」
恵里香は目を合わせると、椅子に腰かけたまま小さく会釈をする。
菅村は窓際の日差しに当てて花を飾ると、「本当に、河村とお別れしなくて良かったのか?」と、恵里香に訊いた。
「私のせいだから……ヨウちゃんが死んじゃったのも、ヒロ君のことも……」
恵里香は瞼が赤く腫れた目を向けて、母の顔を見つめている。
母はまるで菅村が来ているのを気付いていないように、病室の天井を見つめながら、何やら呟いている様子。
「杉浦のせいなんかじゃない……彼らの君に対する愛情が強すぎただけだ」
菅村が話すと、恵里香の瞳からは一滴の朝露が緑葉から落ちるように、涙を溢している。
「杉浦はまるで、フラスコのような人間だよ……君は人から愛されると、目いっぱいにその愛情を受け止めようとする。その愛情を受け止める器が大きそうに見えるから、周りの人も沢山注ぎ込むが、受け止めた愛情がいっぱいに溜まると、それが管から溢れそうになって、息苦しくさせているんだよ」
菅村の言葉をイメージはできても、その例えが自分に当てはまるのか、恵里香には理解できない。
言葉に詰まった恵里香は、思い迷う気持ちを、大粒の涙にして流した。
『愛情とは、受け止めすぎれば自分が苦しくなる……』
その言葉を思い浮かべると、恵里香は泣き顔を白いシーツに埋めて隠した。
「今は大変だろうけど……お母さんを大事にしてあげなさい。だけどもうすぐ合唱祭だ。皆んなも待っているから、それには参加しなさい」
菅村はそう伝えると、恵里香の返事を急かしたりせず、肩を優しく叩いて病室を後にした。
病院からの帰り道、菅村は恵里香の自宅付近を通り掛かると、家の前に茫然とした様子で立っている女性の姿が見えた。
昨日も洋平の通夜で見た姿だから、それが誰なのかは分かっているが、女性の存在よりも、持っている物が目に付いて気になる。
女性の手には、包まった新聞紙と使い捨てのライターを持っていて、険しい表情を恵里香の家に向けて、新聞紙に火をつけようとしている。
「お母さん!」菅村の声に反応して振り向いた女性は、持っている新聞紙を地面に落とした。その女性は、洋平の母である。
「何をしているんですか!」
菅村が駈け寄ると、洋平の母は落とした新聞紙を慌てて拾おうとするが、菅村がそれを取り上げた。
拾い上げた新聞紙は灯油が染み込んでいて、手に持つと鼻につく匂いが漂う。
「何をしているんですか!まさか、杉浦の家に放火しようとしていたんじゃ……」
理由などは聞くまでもなく、菅村にも想像は付くが、それを見過ごして許す訳にはいかず、不審な行動について問い質す。
「一人息子ですよ……主人にも裏切られて、あの子が心の支えだったのに……何で、何で殺されなきゃいけないんですか!」
洋平の母は溜息を吐くと、荒れた気持ちを切り替えたように、淡々とした口調で話し続けた。
「あの子、どのみち長生きはできなかったんですよ。高校生……高校に入学しても、卒業できるか分からない体だったんです……だから万が一の時に関しては、以前から覚悟していました。その分だけ、あの子が生きている毎日は本当に大切だったんです。朝起きたら、洋平が笑いながら、『おはよう』と言ってくれる毎日が……なのに……何で、そんな命を取り上げられなきゃいけないんですか!」
一度は落ち着いた様子を見せた母も、話し続けると再び感情を高ぶらせて、次第に声を張り上げる。
「お気持ちは分かりますが……こういうことをは駄目です。これでは、お母さんまで犯罪者になってしまう」
「分かりますって……本当に、分かりますか?分からないでしょう。もし、先生は自分の子供が同じ目にあったら、そんな簡単に済ませますか?」
菅村にも今年小学校へ入学した、七歳の娘が一人いる。
娘は至って健康あり、嫁だって毎朝のジョギングが趣味なほどに溌剌としているから、菅村の家庭では、死が身近なものではない。
しかし、愛娘が洋平と同じ事になれば、自分はどうなってしまうのだろうか……
それは想像を絶する模様であるから、彼女の言い分を理解し難いとも言い切れない。
「そうですね、もしかするとお母さんと同じ気持ちになってしまうかもしれません。でも、人間にはその時の感情や立場によって、役割があります。いくらお母さんの気持ちが分かると言っても、誰も止める人がいなければ、一体どうするのですか?それでは、やられたらやり返すのが当たり前になってしまいますよ」
夕焼けチャイムが空に流れて聞こえると、洋平の母は膝から崩れ落ちるように座り込み、町中の人々に悲しみを訴えるような大声で泣き出した。
その姿を目にすると、今日まで『泣いてはいけない』と自分に言い聞かせていた、菅村の目にも涙が溢れた。
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