ニチニチソウ(若い友情) page2

 二人が古いアパートの前を通ると、階段を上がった部屋の前で、仁王立ちしている男の姿を見付けた。

 よく見ると、それは弘行の父である。


 弘行の父からは、「今日返すって言っただろ!金返せ!出てこいボンクラァ!」と、罵倒する大声が聞こえる。


 その様子を見て洋平は、借金取りのように見えたのは、ありのままの姿だったのかと思う。


 恵里香は弘行の父を見ると、「ねぇ、ヨウちゃん、警察に通報したほうがいいんじゃない?」と言って、また震えながら怯えていた。


 通報すれば、弘行は今後、どのような生活を送るのだろうか……と、洋平は考えた。

 あの男が家に帰れば、また弘行に八つ当たりをする可能性も考えるし、通報して今の生活環境が知られれば、弘行は施設に送られるのではないかとも思う。


 小学校の頃に施設に送られた宏太は、今頃どのような生活をしているのだろうか……施設で過ごすことは、彼にとって良い事だったのだろうか。


 弘行は今の生活から逃れて、施設に入る方が幸せなのだろうか、それとも、辛くても今のままを望むのだろうか……


 熱で魘されていた宏太を見たのは、救急車で運ばれていた時が最後であり、翌日から学校へ来ることはなかった。

 弘行も施設に入れば、二度と会えなくなると思えば、洋平の脳裏は、良識な考えと感情的な思いが葛藤して渦を巻く。


「いや、今日はこのまま家に帰ろう」

 洋平は感情的な思いを選択をすると、恵里香を連れて、その場を立ち去った。


 翌日も洋平は、補修授業の為に登校した。

 今日は二年生のプール授業の日だから、恵里香に会うこともなく、補修を終えた洋平が下駄箱で靴を履き替えていると、いつも弘行を訪ねて教室へ来ていた、二年生の中村浩司と白戸隆則が尋ねてきた。


「おまえ、いつも嶋岡と一緒にいる奴だろ?嶋岡は何をしてるんだ」

 中村が、洋平に訊いてくる。


「さぁ……知らないですけど」

 洋平は質問を誤魔化すように、から返事で応えた。


 菅村が二、三年生に弘行に関わることや、一年生の教室に出入りするのを止めるように指導したので、弘行が先輩に絡まれることはなくなったが、学校から外を出れば、不良のレッテルを貼られた弘行を狙っている先輩も少なくはない。


 それは、弘行を見つけ出して暴行を加えるとか、危害を及ぼす目的ではなく、大半の先輩は、自分の傘下に加えることで、子分のようにするのが目的である。

 だが、弘行の性格で、そんな話しに乗るはずがない。


「家を知っているだろ?今から案内しろよ」


「いや、家なんて何処だか知らないですよ」

 洋平は咄嗟に嘘を付いた。


「嘘を付くな、おまえがいつも嶋岡と一緒に帰っているのを見ているんだぞ!」


 中村と白戸がしつこく洋平に絡んでいるを見つけた菅村が、「何をしてるんだ」と言いながらやってくると、二人は言い訳などもせずに、その場から逃げ去った。


「何を話してたんだ」と聞く菅村の質問に対して、洋平は「いや、ヒロはいないのかと聞かれていいただけです」と、話半ばにして応えた。


 このままでは、弘行が施設に入れられてしまうと思い始めてから、問題事を大人達に相談することに抵抗を感じる。


 洋平は軽く頭を下げると、話の追求から逃げるように、その場を後にした。


 帰り道の洋平は、中村と白戸に後をつけられていないか不安そうにして、辺りをキョロキョロと見回しながら帰宅する。

 あの二人が何処からか情報を仕入れて、家を見付けるのではないかと不安に思い、確認する為に弘行が住むアパートの前を通りかかると、そこでは恵里香が落ち着かない様子で、ウロウロと歩いていた。


「エリカ、どうしたんだ?」


「あっ、ヨウちゃん」

 洋平の顔を見ると、恵里香はまるで砂漠にオアシスを見つけたような表情をしている。


「やっぱりヒロ君が心配で、家まで来てみたんだけど、もしお父さんがいたら、私にはどうすることもできないと思って、どうしようか迷っていたの」


 今の洋平にとっては、弘行の父よりも中村と白戸に見付かってしまう方が心配なので、詳しい訳も話さずに恵里香の手を引っぱると、慌ててその場から離れた。


「ちょっと!ヨウちゃん、どうしたの」

 洋平は何も言わずに足早になって歩いているが、後ろ姿を見ただけでも、誰かから逃げている事は、恵里香にも分かる。

 しかし、背後を見ても誰もいないことから、恵里香には洋平が亡霊にでも追われているように思えてしまう。

 洋平は、いつもの公園に足を止めて恵里香の手を離すと、ベンチに座って顔を俯かせ、乱れた呼吸を整えた。


「ヨウちゃん大丈夫、一体どうしたの?」

 心臓の弱い洋平は、少しの運動でも人一倍に体力を消耗してしまう。

 ここまでだって、恵里香を引っ張りながら、百メートル位の距離を早足で歩いただけだが、気持ちが焦っていたのもあるからか、会話の受け答えもままならないほどに息切れている。


 洋平はベンチから立ち上がると、フラフラと水飲み場へ向かって歩き出し、蛇口を捻ると、頭を下げて水を飲んだ。

 喉に押し込むような勢いで水を吸い込み、幸福感から息苦しさへ変わるまで飲むと、恵里香が横からハンカチを差し出した。


「ねぇ、だからさぁ、どうしたの?」

 受け取ったハンカチで口を拭くと、洋平はようやく話し始める。


「さっき、先輩にヒロの家を聞かれて、何故だか分らないけど、きっとろくなことに巻き込まれないと思ったから……」

 洋平から理由を聞いた恵里香は、気遣わしげな表情をして、眉を顰める。


「夏休みに態々探しているくらいだから、きっと喧嘩にでも巻き込もうとしてるんじゃないのかな……」

 洋平は再びベンチに戻って腰掛けると、冷静な口調になって話した。


「どうしよう……ヒロ君に教えなくっちゃ」


「駄目だよ、今、ヒロを探してウロウロしていたら、先輩に見つかるかもしれない」


「じゃぁ、家まで行けばいいじゃない」


「そんな所を見られたら、家までばれちゃうし、僕は家を知らないって言っちゃったから、嘘だとばれたら話がややこしくなるよ」


 起きている問題を止めなくてはと思っても、解決策など思いつかない二人の気持ちは、雪山で遭難したように慌ててしまう。


 弘行を友達と思っていても、住んでいる環境や、置かれている立場の違いを痛感すると、洋平は遣る瀬無い気持ちが込み上げた。


「ねぇ、じゃぁどうすればいの?」

「僕だって分らないよ!」


 恵里香の言葉が、洋平には頭の中で駆け巡る難題を、『解け、解け』と急かすように聞こえて、つい口調が荒くなってしまう。


「菅村先生に相談した方がいいんじゃない?」

 洋平が解決策として真っ先に消去した方法を恵里香が提案すると、こうも気持ちが噛み合わないのかと思い、余計に苛立つ。


「駄目だよ、それは絶対に駄目。これ以上大人が絡めば、ヒロは学校に来れなくなる」


「じゃあ、何の為に私達がいるの?友達に何もしてあげられないなんて、そんなの友達じゃない!」


 恵里香は扱き下ろすような言葉を放つと、洋平を置き去りにして、その場から立ち去った。


 取り残された洋平は、呆然としながら自分の気持ちを整理した。

 小学生の頃は友達といえば、教室に集い、同じ内容の学習して、同じ給食を食べて、そして家に帰るまでの関係だった。


 仲の良い友達とは放課後に遊ぶ時もあるが、友達の悩みを聞くことはあっても、解決策を提案することは無い。

 ましてや、相手の家庭環境を心配して手を差し伸べるなど、自分に何かできる訳でもないし、考えもしなかった。


 だから弘行についても、手を差し伸べることなどできず、心配するだけで精一杯なのが本音である。


 それは捨てられた犬を見つけても飼うことができないし、首輪のついていない猫が寄って来ても、与える餌が無いようなこと。


 社会の授業で食糧難に苦しんでいる国の人々について学んでも、今の自分に何かできるとは思えないし、話を聞いて気持ちに陰ができても、それを打ち消す光は無い。


 それは、弘行に関しても同じように当てはまる事だった。

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