ニチニチソウ(若い友情) page3

 弘行が前触れもなく洋平の家に訪れたのは、洋平の気持ちに変化が無いまま、一週間が過ぎた頃だった。


 最近は銭湯でも弘行に会うことがなく、夏休みの補修授業も終えた洋平は、家で引き篭るような生活をしていた。


「今日、学校のプールやっているだろ?あれ、何回かは行かないといけないんだよな、一緒に行こうぜ!」


 弘行は、洋平がこの一週間心配していた悲壮的な人物像とは真逆に、悩みなど何も無さそうなほど、軽薄さを感じる。


 洋平は慌てて家の外に出ると、弘行を連れて、その場から離れた。


「おい、大丈夫か?先輩達に見つからなかったか」

 まるで、連載ドラマの話を三話分くらい飛ばして語るような洋平の話しを、弘行は理解できずに唖然とする。


「何だ?いきなり、どうした」


「この間、教室によく来ていた先輩二人に、ヒロの家を教えろって聞かれたんだ」

 真面目になって話す洋平のことを、弘行は「何だ、そんなことか」と、馬鹿げたようにあしらう。


「そんな事いきなり話されても、意味分からねぇだろ。それに、会ったところでシカトしてればいいんだよ」


「そんなもんなのか……」

 平然としている弘行の態度を見ると、心配していたのが損だった気もするが、抱えていた不安が少しだけ解消されたようにも思えて、洋平は肩を撫で下ろす。


「そんなことより、早くプール行こうぜ」


「あぁ、僕はプール入れないよ」

 洋平は自分の胸を指差して、弘行に訳を示す。


「あ、あぁそうか……なら俺も行くのやめた。じゃぁ、どっか遊び行こうぜ」


 先輩達に狙われている弘行と一緒にいるのが、まるで指名手配の犯人と行動しているように思えると、洋平は不安になって、辺りをキョロキョロと見ながら歩く。


「おい、駄菓子屋いってゲームしようぜ」

 駄菓子屋なんて先輩の屯しそうな場所に行けば、絶対に見つかってしまうと思い、洋平は弘行の提案を、ブルンブルンとかぶりを振って断る。


「じゃあ、バッティングセンターでも行くか?」

その提案にも、洋平はかぶりを振る。


「じゃあ、何処に行きたいんだよ」

「え……あぁ、じゃぁ図書館に行こう」


 先輩達が来なさそうな場所を選んで、洋平が案を出すと、弘行は溜息を吐きながら、不機嫌そうな顔を見せた。


「おまえ、何をびびってんだよ。先輩だか何だか知らねぇけど、俺が助けてやるから大丈夫だって」


 弘行の発言は、心配しているのは自分のつもりだった洋平とは、真逆の考えを示していた。


 自分が心配していたのは、弘行が先輩に絡まれる事ではなく、本当は厄介な問題に巻き込まれるのを避けていただけだと気付かされると、洋平は、逃げることばかりを考えていた自分とは違い、守ろうとしてくれる弘行を見て、自分の弱さを思い知らされる。


 洋平は、公園で恵里香に言われた事を思い出した。


『じゃあ、何の為に私達がいるの?友達に何もしてあげられないなんて、そんなの友達じゃない!』


 あの時の恵里香には、自分が弘行の事で悩んでいるように見せかけて、心の中では揉め事には関わりたくないと思っているのが見えていたのだと、洋平は思う。


 恵里香が言うことを綺麗事だと思っていた洋平だが、今となれば、どちらが正しいのか、はっきりと分かる。


「なぁ、エリカも誘おう」

 今、弘行の現状を一番に伝るべきなのは、恵里香だと思った洋平は、一度家に戻って恵里香の自宅に電話を掛けるが、恵里香の母から留守だと伝えられる。


 今日はプール授業の日だから、まだ学校いるのかと思い、二人は学校に行ってみるが、恵里香の上履きは下駄箱に置いてある。


「一人で、土手にでもいったかなぁ……」

 行方不明の尋ね人を探しているわけでもないから、躍起になって探す必要は無いと思い、二人は目的を無くして歩いていると、弘行のアパートの前でウロウロとしている恵里香を見つけた。


「おい、エリカ!何しているんだよ」

 探し人が見つかるのは喜ばしいが、それよりも弘行は、恵里香がここで何をしているのか疑問に思う。


「あ、ヒロ君、ヨウちゃんも一緒だったのね。あのね、プール授業に出ようと思って学校に行ったら、ヨウちゃんが言っていた先輩に会って聞かれたの。ヒロ君の家は何処だって……私も知らないって行ったけど、やっぱり心配で見に来たの」


 弘行のことを無事で良かったと思っているのか、恵里香はまるで悲劇的な映画の終わりが、実はハッピーエンドのように話をしているが、洋平は今の状況に対して、疑惑の念を抱く。


「なぁ、いつここに来たんだ?学校から直接来たのか?」


「え?今だけど……たった今だよ」


 恵里香の話しが洋平の肝を冷やすと、背後から嫌な予感の的中を嘲るように、中村と白戸の笑い声が聞こえた。


「やっぱり、この女の後を付いていれば、おまえに会えると思ったぜ」

 二人の顔を見て、弘行は小さく舌打ちをする。


「ここ、おまえの家か?ボロいなぁ、お化けが出そうだ」


 中村はアパートの外壁をゆっくりと見回して、鼻で笑っている。


「なぁ、今晩、四葉中の奴等と喧嘩なんだ。向こうは何人来るか分らないから、おまえも来い」


 普通であれば、『厄介なことに巻き込まれた』とでも思い、渋い顔でも見せるはずが、弘行は白戸の言った事に、何故かケラケラと笑い出だす。


「喧嘩に一年坊を連れて行かないといけないほど、先輩達は弱いんですか?そんな人に手を貸すほど、俺だって暇じゃぁありませんよ」


 洋平は弘行を見て、『何で素直に断ることができないんだ』と思うが、逃げてばかりだった自分が、今度こそ弘行を守ろうと思う、確固とした決意は変わらない。



「ヒロ、絶対に行っちゃ駄目だぞ」

「そうだよ!喧嘩なんかしちゃ駄目だよ」


 中村と白戸は、後輩三人から甘く見られているように感じると、殺気立つ虎のような表情を見せて、恫喝を加えた。


「おまえ達、なめんなよ!嶋岡、おまえが俺達の言うことを聞かなかったら、この二人も只じゃ置かないぞ」


「俺はともかく、こいつらは関係ないでしょ。それじゃあ、ただの卑怯者じゃぁないですか」

 自分の問題に巻き込んではいけないと思う弘行は、彼等の暴力を食い止めようとして反論するが、そもそも生意気な弘行の言葉は、白戸と中村の感情を逆撫でてしまう。


 逆上した白戸は、恵里香の腕を掴んで引っ張り、身を引き寄せて押さえ付けると、ポケットから取り出した銀色のバタフライナイフを器用にクルクルと回しながら、刃を出して恵里香の頬に近づけた。


「エリカ!」

 頬にあてられたナイフは、恵里香の白い肌を今すぐにでも赤く染めようとして、邪な光を見せる。


 光が屈折するナイフを見て、恵里香は目を閉じると、瞼の向こう側にある恐怖に怯えて、身体が震え出す。


 その姿を見た洋平は、恵里香を助けなければと思って身を乗り出そうとするが、それは恐怖心なのか、それとも我が身を守ろうとする本能なのか、戦慄が走る身体では、大声で助けを求めるのが精一杯になってしまう。


「この野郎、黙っていれば調子に乗りやがって……」

 卑劣極まりない二人の行動が、弘行の手を拳に変えた。


「動くなよ、動けばこいつをバッサリといくからな。ほら、黙って言うことを聞け」


 弘行は拳に怒りを込めて握りしめるが、恵里香と洋平を巻き込んでいる事を考えると、自分の衝動的な行動から、二人に危害が及ぶのだけは避けたいと思う。


 大人しく言うことを聞くしかないと思ながら、自分の感情を抑圧していると、アパートから弘行の父が、タンクトップにステテコ姿で現れた。


「コラァ!ガキ共、人が寝てるっちゅうのに、大声で騒ぎやがって」


 露出された肌には、肩から手首まで入った刺青を曝け出している。

 弘行の父は、白戸の持っているナイフを見ると、鬼のような表情を見せて、白戸の手首を掴んだ。


 白戸が握り潰されそうな痛みに耐えられず、ナイフを地面に落とすと、弘行の父は躊躇なく頬を殴りつける。


「おなごの顔に、こげな物突きつけるとは何事じぁあ!ボケ!カス!」

 生まれは東京、浅草だが、人生での引っ越し回数三十回、都道府県を転々と移り住み、任侠映画を見ることが趣味である弘行の父は、言葉使いまで影響されやすく、話し方だけでは故郷が分からないほどに、方言が入り交じっている。


 煩いと注意をしに来たはずの父が大声で怒鳴ると、続けざまに中村の顔を殴り付けた後に、弘行にまで手を上げた。


「きさまは、おなごがあんな目にあっているっちゅうのに、ボサッと立っとるだけか!」


 弘行を怒鳴りつけていると思えば、起き上がろうとする中村と白戸を見て、再び頬を一発ずつ殴り、二人が再び倒れこむと、また弘行を殴り付ける。


「きさまは、おなごの一人、ダチの一人も守れんようなカスか!」

 大声を出しながら息子を殴る父と、その暴力に抵抗することなく、黙って受け入れる息子の姿は、決して教育には見えないが、言葉を聞いていると、体罰や暴行にも見えない。


 そこに愛情があるようにも見えないが、憎しみが込められているようにも見えず、自分の人生で、ここまでの暴力を目の当たりにするのが初めてだった洋平は、その光景を見て立ちすくんでしまう。


 恐れをなした白戸と中村が、弘行が殴られている隙を見て逃げ出すと、恵里香は気が抜けたように、膝を落として地面に手をついた。


 逃げて行く白戸と中村を見つけた父は、「待たんか、コラァ!」と叫びながら、二人を追いかける。


「ヒロ君、大丈夫」

「あぁ……」

 遠くなる父の姿を見つめながら、弘行はか細い声で返事をした。


 殴られた弘行の顔には、痛々しい青痣ができていて、頬のあたりがぷっくりと腫れ上がっている。

 洋平はそのような顔を、漫画や格闘ゲームでしか見たことがないから、生々しい傷に困惑する。


「おじさんが来て助かったけど……ちょっとやりすぎだよな」


「ヒロ君、私の為にゴメンね」

 呆然としていた弘行は、二人の声を聞くと、ニヤリと笑いながら話した。


「親父は、昔からあぁなのさ……自分はろくでもない人間のくせに、他人が間違ったことをするのは大嫌いで、一度怒り出すと容赦なく暴れだす……母ちゃんの時もそうだ。自分は女がいるくせに、母ちゃんが男と会っていたのを知ったら、二度と他の男と会えないようにしてやると言って、何度も顔を殴りつけた……矛盾しているのさ、あいつは」


 その後、白戸と中村を捕まえた弘行の父は、二人を連れて学校に乗り込むと、当直で来ていた教師に、子供がナイフを持ち歩くような教育をするなと、苦情を申し立てた。

 その話が広まると、父の存在を恐れた先輩達は、弘行に絡むことが無くなった。

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