ニチニチソウ(若い友情) page4

 それから暫くして、夏休みもお盆時期に入った頃、恵里香が夏の思い出にもう一度花火をしたいと言い出したことから、夕方の河川敷に三人は集まった。


 空に打ち上がる打ち上げ花火を見ながら、三人はキャッキャとはしゃいでいると、洋平が弘行に問い掛ける。


「そうだ、ヒロに聞こうと思ってたんだ」


「何だ?」


「家に行った時から気になっていたんだけど、煙草なんか吸っているのか?」


「別に、ムシャクシャしていて、偶々吸っただけだよ」

 ばつが悪いことを訊かれた弘行は、洋平と目を合わせようとせず、川の向こう側をじっと見ている。


「ムシャクシャする時があるのは分かるけど、悪いことはしちゃダメだよ」

 恵里香が苦言を呈すると、弘行はぐうの音も出ない。


「でも、僕はムシャクシャすると、何をするのかなぁ……」


 ぼそりと洋平が呟いたことに、恵里香が「私は大声出すかな。こういう所に来て『ワーッ』って」と、話して答えた。


「俺も色々と、ムシャクシャしていたから……あの時だって、プールでも行って泳げばスカッとすると思って、洋平の家に行ったんだ。これでも小学校の頃は、スイミングスクールで選手コースにいたんだぜ」


 過去の栄光を得意気になって弘行が話すと、洋平が「プールって、北海道だろ?寒くて泳げるのか」と、茶化して話す。


「おまえはアホか?一年中雪が振っているわけないだろ!それに、スイミングスクールは室内だよ」

 恵里香は漫才のような二人のやり取りを見ていると、可笑しくなって大声で笑った。


「でも泳げるのはいいな。僕も水泳は得意だったけど、手術をらしてからは、全然泳いでないや……」


 その事をすっかりと忘れていた弘行は、体裁の悪い話をしたように思えて、言葉を失ってしまう。


「ねぇ、これから学校に行こうよ」

 突然に言い出した恵里香の案で、二人は頭の中に疑問符が漂う。


「こんな夜に学校行って、何するんだよ」


「今は、先生達もお盆休みだから、きっと学校に誰もいないよ。なんか楽しそうじゃん、夜の学校って。きっとムシャクシャしたことなんか忘れちゃうよ」


「ムシャクシャしたからって、悪いことするなって言っていたのは誰だっけ?」

 ほんの数分前とは相反する恵里香の発言に、弘行は皮肉を交えた言葉を返す。


「悪いことかもしれないけど、煙草とは違うよ。何て言うか……冒険みたいだし」

 恵里香の話は辻褄が合っていないように思えても、弘行と洋平は反対する訳でもなく聞き入れると、三人は自転車に乗って学校へ向かった。


 夜の学校は決して和やかな情景には見えず、真夏でもコンクリートの建物から冷ややかさを感じる。


 堀北中学校は特に古い校舎であるから、その冷ややかさがまるで霊気のような気がして、たまに吹いた風が首筋に当たると、幽霊が通り過ぎたように思えて、背筋が寒くなる。


 三人が閉ざされている校門をよじ登ろうとして柵に手を掛けると、人影に反応した防犯ライトが『ピカッ』と光ったのが、まるで火の玉でも現れたように思えて、慌てて逃げた。


「そういえば、校門から入るのは危ないよ。だって、靴が盗まれた時に菅村先生が、校門に防犯カメラが付いていると言ってたから」


 その事件について恵里香は、弘行が犯人扱いされていたのを本人に隠していたから、洋平の二の腕をギュッとつまんで、口止めの合図をする。


 訳も分からずに不意な仕打ちを受けた洋平は、睨んでくる恵里香に向かって、「何するんだよ、急に……」と、小声で文句を言った。


「靴を盗む?そんなアホな奴いたのか。水虫でもうつったらどうするんだ」


「でしょ!人の靴盗むなんて、おかしいよね」

 話しを誤魔化した恵里香は、再び自転車に跨ると、そそくさと逃げるようにしてペダルを漕いだ。


 通用口に来た三人は、そこから柵をよじ登って忍び込むと、植えられた草木の隙間を歩いていることが、樹海を彷徨っている気分になる。


 校舎を見ると、明かりの消えた窓には、非常灯だけ点いているのだろうか……緑色のぼんやりした光が見えると、肝が据わっている弘行でも、少しだけ恐怖を覚える。


「おい……来たのはいいけど、どうするんだよ」

 弘行は、怖さを紛らわそうとして、恵里香に話し掛けた。


「いいから、付いて来て」

 この情景に笑っていられる恵里香が、二人には勇ましく見える。

 体育館の裏を通り過ぎて離校舎に着くと、そこにはプールがあり、恵里香はその前で立ち止まった。


「ねえ、プールに入ろうよ」

 始めからこれが目的であったのを、あたかも思い付いたが今のように、恵里香は話す。

 しかし、その猿芝居も弘行と洋平にとっては突然の話であり、まるで、今朝は雨も降らなかったけど、今から虹を見に行こうよと言われているように、頓珍漢な話しに聞こえて理解に苦しむ。


「プールに入るって、馬鹿かおまえ。大体、水着も無いのに、服のまま入るのか?」


「まぁ、それに僕はどの道、プールで泳げないし……」

 二人の否定する意見を聞いても、揺るぎない気持ちなのか、それとも耳栓でもして聞こえていないのだろうか……恵里香はただニコニコと笑っている。


「大丈夫だって、ホラ、行くよ」

 分厚い南京錠が掛けられた入口の門を、恵里香は猿のような身軽さでよじ登り、中へ入った。


「おい、おまえ、さっき悪いことはするなって俺に言ったろ」


「もう、さっきからおまえ、おまえって……中学生が煙草吸うほど悪いことじゃないわよ」


「どっちが悪いとかじゃあねぇだろ……」

 弘行もブツブツと言いながら門をよじ登ると、一人だけ置いて行かれた洋平も、渋々になってよじ登る。


 プールの水辺は月明かりでキラキラと光っていて、プールサイドに立つと、恵里香は嬉しそうに足音を立てて走り回る。


 夜と言っても家庭では夕食の時間くらいであり、プールサイドのフェンス越しに見える一軒家の窓には、部屋の灯りが点いていて、窓越しに不揃いな背丈の人影が見える。


 二階の窓からは、流行りの曲が漏れて聴こえると、プールサイドをBGMのように流れる。


「おい、あんまり煩くすると、誰かに聞こえちゃうぞ」

 臆病な洋平は、恵里香に伝えようとするが、プールサイドを走り回っている恵里香には、聞こえていない様子。


 恵里香はプールサイドをグルッと一周走ると、そのまま二人の前を通り過ぎて、何処かへ行ってしまった。


「おい、あいつ何処に行ったんだ?」

「さぁ?」


 恵里香の行動を見ているだけでは、ここに来た理由も分からず、二人は呆然として立ち止まっていると、『ザーッ』と音を立てて、水が勢い良く流れる音が聞こえた。


 静けさの中に響く水の音は、背筋を凍らせるものがあり、プールの水面に映る月が慌ただしく揺れ始める。


 二人が呆然として水面を見ていると、プールに溜められた水が、少しずつ減っていく。


「何だ?何だ、何だ!」

 みるみると浅くなっているプールを見て、弘行と洋平は茫然自失になっていると、行方知れずとなっていた恵里香が、笑いながら戻ってきた。


「やったぁ、上手くいった!」

 揺れる水面に映った月が、恵里香と一緒に笑っているように見える。


「おい!おまえ、何してんだよ!」

 洋平と弘行が目を丸くして驚いているのが、恵里香には可笑しくてたまらない。


 恵里香は、「こんなもんかな」と言って再び何処かへ走り出すと、弘行はみるみると減っている水の流れを止められないかと思い、服を着たままでプールの中に飛び込んだ。


 胸元まで減った水が何処へ流れているのか、バシャバシャと水の中を歩きながら探していると、その水は腰よりも少し低い位置でピタリと止まった。


「あれ、ヒロ君もう入ってるの?」

 再び戻ってきたと思えば、周囲のことなど気にせずに大声で話す恵里香に、洋平はヒヤヒヤとして、「おい、声が大きいよ」と注意する。


「おい!これ、おまえがやったのか!」

 ニヤニヤと笑いながらプールサイドに立っている恵里香を見ると、弘行は正気という言葉を忘れてしまいそうになる。


「あ、また『おまえ』って言った。私は、おまえって名前じゃありません」


「そんなことは、どうでもいいんだよ!それよりも、これ!こんな事して、どうするんだよ!」

 全く話の噛み合わない恵里香に、弘行は苛立ちを覚える。


 洋平はひたすら「早く逃げよう」と訴えるが、恵里香には慌てている二人の姿が可笑しくてたまらない。


「プール開きの前に掃除した時、水の流し方教わったの」

 恵里香は、それについて誇らしげに話す。


「そう言うことを聞いてるんじゃねぇんだよ!頭おかしいんじゃねぇか」


「これなら、ヨウちゃんも一緒にプール入れるでしょ。ねえ、ヨウちゃんも早く入ろ!」


 恵里香の行動は、見本のないジグソーパズルをいきなり渡されて、それを組み立てろと命じられた気分であった弘行だが、その意図を理解すると、そのパズルが何ピースか組み合わさった気がする。


「こんなことまでして、僕はいいよ……それより早く逃げようよ」


 洋平は相変わらずビクビクと怯えながら、外敵を探すミーアキャットのようにキョロキョロとして、辺りを見回す。


「おい!早く水戻せよ」と弘行が言えば、恵里香は、「それは教わってないから、分からないや」と間の抜けた返事をする。

 それを聞いて弘行は拍子抜けしてしまい、後の言葉が出なかった。


「あぁあ!もう、何でもいいや!ほら、洋平早く入れ!」

 洋平が恵里香に手を引っ張られながらプールの中へ入ると、自棄になった弘行は、手で掻いた水を洋平の顔にかけた。


 水飛沫が顔に当たると、洋平は先程までの不安が、一緒に弾け飛んだように無くなる。


「プールの中に入ったのなんて、何年ぶりだろう……」

 洋平は手の平に窪みを作って水を掬うと、それをじっと見つめた。


透き通った水の底に、手の平が見えると、いつの日だったか、弘行が『色だって、物だって、無いものは、無いぜ。透明は透明さ』と言っていたのを思い出して、父の顔を思い浮かべる。


「なぁヒロ、やっぱり、透明は透明だ。無いものは、無いや」


 弘行は「は、何のことだ?」と言った後に少し考えて、二人で食べたアイスキャンディーを思い出す。


「色は無いかもしれないけど、物はあるぜ、ホラ」

 弘行は再び、手で水を掻いて洋平にかけると、その水がまた顔に当たる。

 当たった水の冷たさを感じて、透明にも形や温度はあるのを肌で知ると、父の存在も目の前には居ないけれど、決して無くなった訳ではないと思い、少しだけ気持ちが和らいだ。


「やったな!この野郎!」

 三人は頭からビショビショになって濡れながら、水をかけ合って遊んでいると、近所の家から聴こえている音楽が、流行りの曲ではなく、小学生の頃に聴いた懐かしい曲に変わったのに気付いた。


 それが聴こえると、はしゃぎながら笑っていた恵里香の動きが、ゼンマイ仕掛けの玩具が止まったように動かなくなり、酷く神妙な面持ちに表情を変える。


「どうしたの?エリカ」

「私……この歌、嫌い」

 顔が濡れていても、恵里香の頬を伝う滴が涙であるのは、弘行と洋平にも分かる。


「この歌、聞きたくない……」

 その曲は、恵里香にとって麗しき夜の一時を、瞬く間にして漆黒の闇へと変えた。

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