アジサイ(冷酷) page2

 九月一五日(月)

 祝日の為に休校である恵里香は、夕方から秋祭りの縁日に行くまでの時間を、家で過ごしていた。

 部屋から出てリビングへ行くと、椅子に座っている母が、背中を丸めて震えている。


「どうしたの母さん、寒いの?風邪でもひいたの?」

 恵里香が傍に寄って背後から優しく声を掛けると、母は驚いて『ビクン』と肩を上げている。


「お母さん!大丈夫!」

 母の突飛な反応に驚いて、恵里香が顔を覗くと、何やらブツブツと小言を呟いているのが分かる。


「もうすぐ出てくる……あの子が出てくれば、私も殺される……」


「お母さん、大丈夫、絶対に見つからないから」


「きっと私も、あの人のように殺されるのよ……ねぇ、どうしよう、どうしよう!」

 母は子供のように泣き出すと、恵里香に抱き付いて助けを縋った。


 夕方になると、祭りに行く洋平と弘行は、恵里香を迎えに家を訪ねた。


 インターホンを押して呼び出すと、肩幅ほど開いたドアの間から、恵里香が姿を見せる。


「おう、迎えに来たぞ」

 弘行が恵里香に声を掛けると、浮かない表情を見せた背後からは、叫んでいる声が聞こえた。


「エリカ、お母さんを一人にしないで!お願い!一人にしないで!」

 その声が聞こえると、恵里香は恥じらいと困惑に顔を顰めながら、唇を噛み締めている。


「ごめん……やっぱり今日行けない」


「おい、どうしたんだよ。奥にいるの、母ちゃんか?」

 弘行が訊ねると、恵里香は「本当にごめんね……」とだけ言って、慌てた様子でドアを閉めた。


 二人は恵里香の様子を見て、腑に落ちない気持ちのまま、裕太、亮治、麻衣子の三人と待ち合わせている公園へ向かった。


「エリカ、大丈夫かなぁ……」


「奥から聞こえたの、多分、母ちゃんの声だよな」


 公園に着くと、待ち合わせの三人は既に来ていて、何を賭けているのか分からないジャンケンをしながら、退屈をしのいでいる。


「あれ?エリカは一緒じゃないの?」

 足りない物を探すように見ている麻衣子に、弘行は家まで迎えに行ったことを伝える。


「来れないって?だって、昼間、家に電話したら、行くって言っていたわよ」


「だよな、一番楽しみにしていたの杉浦なのに」

 裕太と麻衣子は、不可解な面持ちで目を合わせる。


「いや、エリカがどうこうって言うより、母ちゃんが変なんだよ」


「変って、何が?」

 麻衣子に訊かれても、弘行は具体的な理由を知らないから、それに答えることはできない。


「最近、エリカ元気なかったじゃん?何か、お母さんのことで悩んでいるんじゃないかなぁ……」


「言われてみれば、祭りの話している時は元気そうでも、それ以外は何だか暗い顔してたもんなぁ……」


 心浮かない気持ちでも、祭囃子が聴こえると、その音に誘われて神社へ向かう。

 ピーヒャラドン、ピーヒャラドンと聴こえる篠笛と太鼓の音が近づくと、道端に並ぶ露天商が見えてくる。


 水あめ、焼きそば、宝くじと、どれも目移りさせる露店を、五人はキョロキョロと見回しながら歩いた。


「俺達、たこ焼き買ってくるよ」

 裕太と亮治はそう告げると、誰かの了承を得る前に、二人で走って行った。


「エリカも来ていないのに、よく浮かれて遊べるよね」

 麻衣子が二人の行動を見て、不貞腐れたように呟く。


「あの二人だって、きっと心配ししているけど、どうすればいいのか分からないだけだよ。それは仕方ないんじゃないの」


 洋平も最近までは、友達の悩みに深入りすることや感情移入することなんて出来なかったが、人の立場になって気持ちを考えるのは、恵里香と弘行を見て覚えたこと。


「なぁ、エリカに林檎飴でも買って持っていかないか?きっと喜ぶと思うよ」

 洋平の意見を訊いて弘行はニコリと笑うと、ポケットから百円玉を取り出して、洋平に渡した。


「金出し合って、大きいのを買ってやろうぜ」

 麻衣子も二人の提案に賛同すると、三人は露店の売り台に立て並べられた飴の中から、一番大きそうな物を探して選んだ。


 その頃、裕太と亮治は、買ったたこ焼きを分け合って食べながら、神社の石段に座っていると、自分達よりも三、四歳くらい歳上に見える少女が、突然隣に座って声を掛けてきた。


「ねぇ、君達さぁ、この辺りで昔子役だった杉浦恵里香を見たことない?」

 スラッと細い顔にシャープな瞳、色気を漂わせるような赤い唇の少女に、二人は魅了される。


「お姉さん、誰ですか?」


「私?私はエリカの友達。昔、一緒にお芝居をやっていたけど、あの子、急に引っ越しちゃったでしょ?だから会いたくて探しているの」

 少女が物寂しそうな表情見せながら下唇を噛むと、二人はその口元を見て唾を飲み込む。


「あ、杉浦なら、俺達と同じ中学の同級生ですよ」

 亮治は少女の色気に魅惑されると、催眠術を掛けられたように話し出す。


「本当?写真とか持ってる?」


「写真?スマホで撮ったのなら、ありますけど」

 裕太が花火大会の時に撮った恵里香の写真画像を見せると、ニコニコと愛くるしい笑顔で移っている恵里香の画像を、少女は眉を顰めて見ている。


「どうしました?」

 友達の写真を見ているのに、ずいぶんと恐い顔をするんだなぁ……と、裕太は不思議に思う。


「いや、ちょっと見ない間に、ずいぶん大人っぽくなったなぁと思って、本当にエリカなのか、分からなかっただけ。ねぇ、この写真、私のスマホに送ってくれない?」


「えぇ……でも、人の写真を勝手に送るのはちょっと……」


「大丈夫、ホラ、こんなに変わっちゃったんじゃぁ、道で擦れ違っても気付かないから」


「テレビでも見ていたけど、そんなに変わったかなぁ……」

 亮治は疑問に思いながら、首傾げる。


「変わったわよ、ね、これあげるから、なんか食べなよ」

 少女は裕太の手を取って、両手でギュっと握りしめると、千円札を一枚受け渡す。

 裕太は、手の平に伝わる女性の温もりに緊張が走ると、戸惑いから平常心を失う。


「分かりました。送りますから」

 少女が手を放すと、亮次は裕太の手から千円札を奪い取り、「やった!チョコバナナも買えるぜ」と、嬉しそうにはしゃぎ回る。


 裕太は、千円札を奪われた事など気付かずに、呆然として少女の顔を見ていると、「ねぇ、早く送ってちょうだい」と、急かされた声で我に返り、少女のスマートフォンに画像を送る。


「あ、来た、来た、ありがとう。ねぇ、ところで君達の中学校って何中?」


「堀北中学ですけど……」


「そうなんだ、ありがとう」

 ニコリと笑いながら、手を振って去って行く少女の姿に、裕太は見惚れてしまう。


「あっ!思い出した!」

 まるで魂を吸い取られたように気抜けした裕太は、亮治が突然出した大声で目を覚ます。


「あれ、『紫陽花の涙』に出ていた、ほら、杉浦と姉妹の役をしていた、片山美奈子だよ!」


 裕太は、当時のドラマに出ていた片山美奈子を思い浮かべると、今まで目の前にいた少女の記憶と照らし合わせる。


「そうか?全然違うけどなぁ……」


「そりゃそうだ、ドラマに出ていたのは二年も前だろ?化粧をすれば、女なんて変わるものさ」


 二人は片山美奈子から受け取った千円を使い、チョコバナナとお好み焼きを買って、弘行達の所へ戻った。


「おい、何処に行ってたんだよ」

 手持ちの少ない小銭を使い切ってしまった弘行は、祭りにも飽きてしまい、早く帰りたそうな態度を示す。


「ごめん、ごめん。ほら、これやるからさ」

 機嫌を取るにしてはぶっきらぼうな態度で、裕太はお好み焼きを手渡した。


「何だよ、これ」


「何だよって、お好み焼きさ。臨時収入が入ったからよ」


「臨時収入って?」


「そこで杉浦と一緒にテレビに出ていた、片山美奈子に会って、なんか千円くれた」


「何で、千円もくれたんだよ」


「さぁ、杉浦を探してるって言ってたけど……まぁ、テレビに出てたから、金もいっぱいあるんだろ。きっと千円なんて、俺らの百円みたいなもんさ」


 洋平は片山美奈子の名前を聞いて、恵里香が子役として最後に出ていたドラマが『紫陽花の涙』だった事を考えていると、プールで聴こえた曲がドラマの主題歌だったのを思い出して、思わず声を上げた。


「あっ!」


「なんだよ急に、おならと一緒に糞でも出しちまったか」

 目を大きくした洋平の表情が、あまりにも面白くて、弘行は茶化して笑う。


「あれ、プールの時聞こえていたの、『紫陽花の涙』で主題歌だった曲だよ」


「それが、どうした?」


「だからさ、ほら……」


 皆の前で話すのを警戒した洋平は、弘行を連れて離れると、声を潜めて話し出す。


「ほら、エリカからお父さんが殺された話を聞いただろ?あの曲を聴いて泣いていたのは、それと関係しているから泣いてたんじゃないか?そう考えると、片山美奈子がエリカを探している事も、何か絡んでいるんじゃないかな……」


 話の接点が結びつかない弘行は、無言で目玉を上に向けたり、右に向けたりと無意味にキョロキョロさせた後、洋平の顔を見て「何と絡んでるんだ?」と聞いて、疑問を投げかける。


「それは分からないけど、あんまりいいことではない気がする……」


「おい、何をコソコソ話しているんだよ!」

 洋平は「いや、何でもない」と、目くじらを立てる裕太に返事をすると、弘行のように目玉をキョロキョロとさせて誤魔化した。

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