エリカ(孤独) page3

 翌日、またコソコソとしながら家を出た洋平は、誰にも姿を見られなかったと思いながら安心していると、背後から肩を叩かれたのに驚いた。

 振り返ると、教室で隣の席である杉浦恵里香が立っている。


「君、隣の席の……名前聞いてなかったね」

 恵里香はニコニコと笑いながら、洋平に声を掛けた。


「工藤……いや、河村洋平だけど」

 洋平は急に話し掛けられた驚きよりも、自宅を見られたのではないかと、心配する気持ちの方が大きく上回っている。


「そう、宜しく。私は……」

「知ってるよ……杉浦恵里香でしょ?」


 食い気味で話す洋平に、恵里香は鳩が豆鉄砲を食らったような顔を見せた。


「私を知っているの?」


「やっぱり……まぁ、あんな派手な登場すれば目立つさ。それに君のことを知らない人の方が少ないと思うけど……」


 恵里香はクスクスと笑った後に、「やっぱり、そうかなぁ」と悩ましげな顔をする。


「そりゃそうさ、でも、気付かない人もいるかもね」

 恵里香の身長は洋平よりも頭一つくらい高くて、その隣を歩くのは妙に緊張する洋平は、スタスタと足早になって前を歩く。


 恵里香も追いかけるように足早になると、再び洋平の隣に並んで歩いた。


「ねぇ、ずっとこの町に住んでいるの?」

「いや、先月引っ越してきた」


「ふーん、じゃぁ、引っ越してきた同士、仲良くしようね」

「女子と仲良くしなよ」


「どちらかだけなんて、決まりはないでしょ」


 そんなやりとりをしているうちに学校へ辿り着き、二人は下駄箱で上履きに履き替える。

 まだ一度しか履いていない上履きは履きづらく、靴紐をゆるめて履くのが洋平には手間に思えた。


 洋平は、先に靴を履き替えて教室に向かおうとすると、「ねぇ、待ってよ」と言って呼び止める恵里香の大声が廊下に響いた。


 階段を一段一段登っている洋平を追い越して、恵里香はピョンピョンと二段飛ばしで駆け上がって登り切ると、振り向いてニコッと笑った。


 教室に入ると、二人を見てヒソヒソと話している生徒の姿が洋平は気になり、周囲とは目を逸らしながら席に向かうと、既に登校していた弘行が、軽く手を上げて洋平に挨拶をした。


「なんだ、入学早々から女と登校か」


 冷やかして話す弘行に洋平は、誤解であることを周囲にも訴えるように、「ちがうよ!そこで会っただけだ!」と大声で言っていると、教室の生徒達が一斉に洋平を押しのけて、恵里香のことを取り囲んだ。


「ねぇ、やっぱり子役の杉浦恵里香でしょ?」


「背が伸びていたから気が付かなかったけど、ネットで見直したら、やっぱりそうだもん!」


「なぁ、何でこの学校に来たんだ!」


 小学生の頃、子役として一世を風靡した恵里香。

 洋平は、母親が恵里香の出演していたドラマが好きで観ていたから気付いたが、小学五年生の頃にはテレビに出なくなっていたから、成長した恵里香を見ても、今朝までは他人の空似だと思っていた。


 ケーブルテレビ放送の撮影があるというだけでも人だかりができてしまうほどに、メディア関係とは馴染みの薄い地域であるから、当時、全国ネットで視聴率が三十パーセントを超えるドラマに数々と出ていた恵里香がここにいるとなれば、菖蒲町の人間にとっては、自ら画面の中に入り込んだ気分。


 そんな連中の質問攻めに合う恵里香は、困った様子で席に座っているが、教室の騒ぎ声が廊下に漏れて、他のクラスや上級生達にも知れ渡ると、たちまち教室の外まで野次馬の人だかり。


 その話を嗅ぎつけた二人の上級生が、「どけ、どけ」と言いながら一年生の集団を掻き分けて教室に入って来ると、恵里香の前で立ち止まり、表紙に『英語』と書かれたノートを突き出した。


「なぁ、サインくれよ」

 学蘭のボタンを上から下まで外し、だらしない着こなしの上級生が、恵里香に話し掛ける。


「いゃ、ちょっと、困ります」

「いいだろ、ケチくせぇこと言うなよ」


 そのやりとりを見ながら鼻で笑っていた弘行に上級生は気が付き、今度は弘行の前に身を移す。

 ガヤガヤ、ワイワイと恵里香に群がっていた生徒達が、サイレント動画のように静まると、教室には重い空気が漂った。


「何だ、おまえ、何が可笑しいんだ!」

「いゃ、中学生になると頭が悪くなるんだなぁと思って」


 元から恵里香に興味は無い弘行だから、先日までランドセルを背負っていた女の子に対して、サインを要求している上級生を見ると、『こいつ、ロリコンなのか』と思うだけ。


「何だと!誰が頭悪いって!」


「日本語分からないかなぁ、先輩ですよ。英語の勉強をすると、日本語忘れちゃうんですか?英語のノートは、そんなに真っ白なのに」


 洋平は上級生に絡む弘行を見ていると、ハラハラとした気持ちになるが、会話を聞いているうちに、『クスッ』と思わず笑ってしまった。


 洋平の笑いを皮肉に捉えた上級生は、顔がみるみる赤くなり、額の血管が膨らんでいるのが見える。

 臆病な洋平は、すぐさまに笑顔を消したが、ヘラヘラとした弘行の嘲った態度は、更にエスカレートした。


「やばっ、おでこ、メロンじゃん」


「おい、ちょっと……」

 弘行の悪たれ口は度が過ぎていると思った洋平は、止めようとして声を掛けるが、「この野郎、ぶっ殺してやる!」と言って上級生が怒鳴る声と、周囲の悲鳴に掻き消されてしまう。


「おい、何をしているんだ」

 まるで試合終了を合図するようにチャイムが鳴り、同時に菅村が教室に入ってくると、上級生の二人は舌打をして教室から去った。


 廊下の野次馬達もゾロゾロと去って行き、教室の生徒達が各々の席に着くと、菅村が「一体、何があったんだ」と訊ねるが、誰も答えようとしない。


「嶋岡、何があったんだ」

 教室に入った時の様子から、誰が絡まれていたのかは分かるから、菅村は弘行を問い質そうとする。


「何でもないです」

 はっきりとしない事が嫌いな菅村は、「何でもない訳はないだろ」と言って弘行を咎めるが、それに後ろめたさを感じた恵里香は、席を立ち上がり、二人の話しに割って入った。


「先生、ちがうんです。私が上級生にしつこくされていたのを、嶋岡君が助けてくれたんです」


「何を、しつこくされたんだ」と訊く菅村に恵里香は、「私にサインをしてくれって」と、恥じらいながら小声で答える。


 それを聞いて菅村が、恵里香の肩を軽く叩くと、膝の力が抜けるようにして椅子に座った。


「いいか、杉浦のことは皆も気が付いただろうが、杉浦は過去の活動で良かったこともあれば、それ以上に苦しんだこともあるんだ。それは、こうして皆んなと同じような生活ができないことだ。その為にこの町に引っ越して来て、皆んなと同じ生活を始めようとしているのだから、皆んなも同じ仲間として接してほしい。これは先生からのお願いだ」


 入学して二日目、突然の出来事に唖然とする生徒達は、菅村の話しを聞いているだけであり、その願いに対しての返事は無かった。

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