ヘンルーダ(軽蔑) page3
恵里香と別れて帰宅した洋平は、いつものように銭湯に行くと、最近では会わなかった時間に、弘行が来ていた。
弘行は、体を洗いながらキョロキョロと辺りを見回して、何だか落ち着かない様子に見える。
今日の弘行の態度は気に入らないが、もしかすると、自分のことを探しているのかと思い、洋平は隣に座った。
「おお、偶然だな」
家を訪ねた時とは一変した態度で、弘行が話し掛けてくる。
「何だ?その頭」
洋平が、金髪に染められた弘行の髪を指摘るすと、「あれ、言ってなかったっけ?俺の親父アメリカ人なんだよ」と、何故かいつもよりおちゃらけた様子。
「この前までまっ黒だったろ」
「中学入るから、目を付けられると思って、黒く染めてたんだよ」
「嘘つけ、それに似合ってないぞ」
洋平が体を洗い出すと、二人の会話は止まるが、弘行がシャンプーで頭を洗いながらチラチラと見ているのが、洋平には分かる。
「何だよ、さっきからチラチラと見て」
「おぉ……何か、今日は悪かったな……」
弘行は、少し照れくさそうな様子で洋平に謝る。
「謝るなら、僕よりエリカに謝れよ」
「やっぱり怒ってたか?」
「怒っているならまだいいよ、可哀想だろ。あれじゃあ、あんまりだ」
鏡越しにこちらを見ながら、機嫌を伺っているのが分かる弘行と、洋平は目を合わせようとしない。
「謝っといてくれよ」
その言葉を聞くと、洋平は呆れた顔をして、鏡越しに弘行を見た。
「はぁ?自分で謝れよ」
「どうやって……」
「エリカに自分で言えばいいだろ」
「どこで?」
「学校に来りゃいいだろ」
弘行が言葉を無くすと、二人の会話が止まる。
弘行はいつも歯を磨いた後に、頭、体を洗ってから、湯船に入るのを知っているが、今日は自分より先に来ていたのに、体を洗うと、いつまでも頭を洗っていることに洋平は気が付く。
「まぁ……ヒロの気持ちも分からんでもないよ、急に家までパン持って来られてもなぁ……」
「だろ?別に、俺は野良犬じゃねぇし」
黙っていた弘行が、突然に声を上げて話し出す。
「調子に乗るなよ。でも、学校には来いよ、エリカが寂しがるから」
「何だ?おまえ、あいつが好きなのか?」
「違うよ!どっちかって言えば、エリカは……」
風呂場の天井に洋平の声が響くと、浴槽に浸かって心地よさげに目をつぶっていたお爺さんが、パッチリと目を開けて二人を見ている。
「どっちかって言えば、何だよ」
「何でもないよ……」
洋平は、特定の女子を好きにって恋をしたことなどないから、その気持ちが分からない。
女子と親しくすることすら、恵里香が初めてであり、恵里香のことを考えれば眠れない夜があるわけでもない。
ただ、恵里香がこれといって問題の無い洋平よりも、問題の多い弘行の方を気に掛けているのに、少しばかりの嫉妬があるのは確かだった。
「お父さん、帰ってきてないのか?」
洋平は心の中を悟られまいと、話題を変えようとする。
「親父が働いている会社の近くに、家がもう一つあるんだ。マンションなんだけど、最近はそっちに帰ってるんだ」
今日までの付き合いで、弘行は誤魔化す時に嘘をつくのを、洋平は気付いていた。
多分、この話も嘘なのだろうと思えば、その嘘が哀れを誘う。
弘行の嘘を聞くと、自分も偶につく小さな嘘を思い出す。
それは人を騙す為や、自分が富を得る為でなく、嘘をつくことで、自分の弱さや恥を隠す為の手段として考えているが、弘行を見ていると、その嘘芝居が滑稽であることに気が付いた。
「そういえば、おまえの家、まだ風呂壊れているのか?」
「あぁ、あれ嘘。家、風呂無いんだ」
「あぁ、そうか」
洋平の小さな嘘に対する弘行の返事は、以外とあっさりしていた。
銭湯から出て共に帰ると、二人は弘行の家の前で別れた。
いつもならば洋平は家路を装い、自宅とは逆方向へ向かって自転車を走らすが、今日はペダルを踏んだ足を止めると、アパートの部屋に帰る弘行を呼び止めた。
「ヒロ!」
「あ、何だ?」
「僕の家、すぐそこのアパートだから、何かあったらいつでも来いよ」
洋平が自宅の方向を指差すと、弘行はニッコリと笑いながら「別に何もねぇよ」と言って、アパートの奥に姿を消した。
翌日、洋平が登校すると、学校に来ていた弘行は、ほぼ二週間ぶりでありながらも、いつも通りのようにして、席に着いていた。
「よぉ」と声を掛けられると、洋平もいつも通りを振舞い、軽く手を挙げて挨拶をする。
久々に登校してきた弘行だからといって、他の生徒達が話し掛ける事は無く、金髪頭に距離を置いている様子であり、はしゃぎだしたのは、後に登校してきた恵里香だけだった。
「わぁ、ヒロ君来たんだ!よかったぁ」
何故だか分からないが、恵里香の弘行に対する反応に、洋平は嫉妬を抱く。
「うーん……でも、やっぱり金髪は似合わないなぁ」
恵里香が弘行の頭を、前、後ろ、つむじまでジロジロと見回すと、弘行は恵里香を『シッ、シッ』と、蝿を退くようにして、手で追い払った。
「よく、校門で注意されなかったな」
洋平が訊くと、弘行は窓から見える校庭の隅を指差して、「通用口から来た。あっちの方が、家に近いからな」と、それが悪行ではない事のように、平然と話している。
チャイムが鳴り、教室に菅村が入ってくると、弘行と目が合わせてニッコリと笑ってはいるが、やはり金髪の頭は気になった様子。
「おぉ、どこの国から転校生かと思えば、嶋岡か。『おはよう』と言いたいところだが、その髪じゃぁ駄目だ。黒く直してから、学校に来なさい」
髪の色を指摘されることは分かっていたが、そういう大人の当たり前が、弘行には面白くないことであり、茶化すような菅村の言葉を聞いて、剽軽者の生徒が含み笑いをしているのも気に食わない。
弘行は、乱暴な態度で鞄を手に取ると、席を立ち上がって、教室から出て行った。
クラスの女子達は、ほっとした様子を見せるが、折角登校して来た弘行を追い払ったのが気に入らない恵里香は、教室を飛び出して、弘行のことを追い駆けた。
「ヒロ君、待って!」
追いかけた弘行の腕を、恵里香が背後から掴むと、弘行は振り払おうとせずに、大人しく立ち止まる。
「ヒロくん、教室に戻ろう」
その言葉に対して弘行は、かぶりを振って応えると、恵里香の手をそっと腕から解き、「昨日は悪かったな……それを言いに来ただけだから」と言って、再び背を向けた。
弘行の口から意外な言葉を聞いて、恵里香は頭の中が真っ白になると、去って行く弘行を止める事ができなかった。
教室に戻った恵里香は、不満に思う気持ちを抑えきれず、食って掛かるように菅村の前に立ちはだかると、弘行への対応について、荒ただしい口調で咎めた。
「折角学校に来たのに、何で帰したんですか」
「何で?それは、嶋岡が校則違反をしているからだろ」
恵里香の質問について、菅村は言葉を選ぶことなく答える。
「でも、帰すことはないと思います」
恵里香と菅村が討論している最中、他の生徒達は、弘行の事なんてどうでもいい様子で、ガヤガヤと騒いでいる雰囲気を、洋平はどちらつかずに見ているだけ。
「勘違いしてないか?学校へ来るのは当たり前なんだぞ。来ない方がいけないのに、それを学校へ来なかった者は金髪でも良くて、真面目に来ている者は駄目なのか?どうだ杉浦、先生の言っている事に間違いがあると思うなら、答えてみなさい」
菅村の言うことに対して、恵里香は反論することができずに、戻るように指示を受けると、言われるがまま席に着いた。
洋平が見た恵里香の横顔は、釈然としない面持ちをしていた。
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