ヘンルーダ(軽蔑) page4
二時間目の体育授業になると、一年A組の生徒である渡辺亮治が、下駄箱で「俺の靴が無い!」と騒ぎ出した。
人気メーカの限定モデルらしく、手に入りにくい商品であり「あれ、三万円もしたんだぞ!」と騒いでいる。
男子達は「泥棒だ!」「犯人を探せ!」と騒いでいるが、女子達は、そもそも何で学校に履いてきたんだと、呆れた様子で見ている。
よほど派手な靴でなければ、特に登校時の靴を指定されていないが、一年生の大半は、先輩から目を付けられるのを避けて、入学時に購入した真っ白なデッキシューズを履いている。
しかし亮治は、限定品の靴を手に入れた嬉しさから、皆に自慢しようと思って履いて来た。
「もしかすると、嶋岡じゃないのか?あいつ、先に帰ったから」
ガヤガヤと騒ぎが収まらない中で、一人の男子がそう発言すると、先程までは他人事のように聞いていた女子達まで混ざり、「絶対にそうだ!」と言い出して煽り立てる。
「そんなわけないでしょ!皆んな、おかしいよ!」
大事になった騒ぎに動揺する洋平とは違い、恵里香は皆に囲まれる中、臆することなく抗議している。
「だって、ほら、嶋岡と俺、靴のサイズ同じだぞ」
亮治は、下駄箱から弘行の上履きを取ると、自分の上履きと靴底を合わせて恵里香に見せ付けた。
「だからって、じゃあヒロくんは、自分の靴をどうしたって言うのよ!」
「アイツの鞄なんて、中は空っぽだろうから、俺の靴を入れて帰ったんだろ」
まるで冗談みたいなことを、真面目に言っている亮治の話を聞いて、皆が笑っているのを見ると、流石にいたたまれない気持ちになった洋平は、「おい!もう、やめろよ!」と声を上げるが、騒ぐ声に掻き消されて、誰にも聞こえていない様子。
洋平が、再び声を上げて止めようとした時、菅村が騒ぎの中に入って来た。
「おい、何をしている!大声が職員室まで聞こえているぞ」
「先生!俺の靴が盗まれたんだよ!」
亮治を筆頭に、皆が「嶋岡が盗んだ!」「嶋岡が犯人だ!」と、菅井に訴えているが、恵里香と洋平だけは、「先生、絶対に違いますから、どうにかして下さい!」と、助けを求める。
菅村は、全員を一度教室に戻るように指示すると、恵里香と洋平の肩を叩きながら、「大丈夫、心配するな」と、優しく声を掛けた。
教室に戻っても生徒達の騒ぎは収まらず、弘行を悪者扱いした話しが飛び交っている。
「あの靴、盗んで売る気なんだ!」
「先輩に命令されたんじゃない?」
皆が憶測で話をする中、恵里香と洋平は、聞こえてくる会話に、じっと堪えて席に着く。
恵里香は、弘行を信じる気持ちに芯が通っている様子だが、洋平は皆の話している事と恵里香の思いは、どちらが正しのか分別つかないのが本音。
弘行ならやりかねないとまでは思わないが、彼が何を考えていて、何をするかなど分からないとは思っている。
ただ、皆が群れになって話す姿は、人間の非情な部分や、悪質さを露にしているようであり、あまりにも酷くて憎らしいから、弘行が犯人でないのを願うだけの気持ち。
菅村が教室に入ってくると、「静かにしなさい」と言いながら、手を叩いて騒ぎを収めた。
「今回、靴が盗まれた件に関して、先生達としては、犯人を卒業生の一人だと考えて追求しています」
菅村の話を聞くと、教室が再び騒めき出す。
「一年生の大半がスニーカーなどを履いて来ないから公になっていなかったけど、実は二、三年生では問題になっていた件で、校門の前についている防犯カメラにも、卒業生の姿が写っていた」
菅村の話を聞くと、皆が「なんだぁ」と言い出して、まるで賭け事にでも負けたような態度を取るが、その姿を見て恵里香は、猛烈な勢いで立ち上がり、皆の顔を睨みつけた。
「皆んな、散々ヒロ君を犯人にして騒いでたよね?私は許せない!だから謝って!」
恵里香の眼差しが恐怖を感じるほど鋭いものだから、皆は息を凝らして声を消すと、静まり返った教室には、モスキート音のような音が聞こえる。
「何だよ……だからって、皆んな嶋岡に迷惑しているのは、変わらないだろ」
沈黙の中、裕太が口を開くと、皆も賛同して「そうだ、そうだ」と、あげつらう言葉が飛び交う。
皆が野次を飛ばして恵里香を責め立てると、それに対して菅村が「謝れ!」と大声を張り上げて、生徒達を非難した。
この声には、恵里香に石を投げつけるような言葉を口にしていた生徒達も、雷が落ちたように驚いて息を止める。
「君達に嶋岡が何をしたと言うのだ?悪口でも言っていたのか?それとも殴ったり、叩いたりでもしたのか?今回だって、嶋岡が他人の物を盗んだ事があるのか?そういう事もなく、嶋岡を軽蔑して悪者に仕立て上げる君達の方が、よっぽど悪じゃないのか?」
感情的に大声を出したと思えば、今度は冷静に淡々と話す菅村の姿に、生徒達は怒りを顕にされるよりも恐懼する。
『弘行でなければ良い』とは思っていたが、恵里香のように心底から疑っていなかった訳でない洋平は、菅村の話を聞くと、自分の偏狭な性格に心が痛んだ。
「エリカ、ごめんよ」
最初に謝ったのが洋平であると、以外なことに恵里香は驚く。
しかし洋平は、上辺だけの正義を振る舞いながら、心の中では弘行を犯人扱いしていた者と、僅かでも同じ気持ちを持っていたのなら、一番の悪は本心を偽っていた自分であると思った。
「エリカ、ごめん」
麻衣子も続いて謝ると、皆も小さな声で謝り出すが、その言葉が本心なのか、建前なのか、恐怖心から出た言葉なのか、恵里香には分からない。
けれど、この場が丸く治まったとしても、この声は弘行には届いてはいないから、明日から弘行が学校に来たとしても、彼の立場は変わらないだろうとも思える。
今までは、弘行が自ら孤独になることを望んでいると思っていたが、実は彼の孤独を作り上げていたのが、周囲の人間達であった事に恵里香は気付いた。
給食の時間、恵里香が再び給食のパンを鞄に隠そうとしているのを見つけた洋平は、それを小声で注意する。
「おい……だから、もう止めとけって」
「やめない。あの時、ヒロ君だって本当は、あんなことをするつもりじゃなかったはずだもん」
洋平の言うとおり、給食のパンを届けるのは、彼を惨めな気持ちにさせてしまうと思い直していた恵里香だが、廊下で弘行に掛けられた言葉を思い出せば、自分の行動は間違っていなかったとも思う。
「先生、パンおかわりしてもいいですか」
恵里香が手を挙げて願い出ると、菅村は「駄目だ、自分の分をちゃんと食べなさい」と言って、要求を断る。
パンを隠していたのが見つかったと思い、恵里香が苦い顔をすると、菅村は笑みを浮かべながら、「嶋岡の分は帰りに渡すから、家まで届けてくれ」と、恵里香に伝えた。
その日の放課後、恵里香は一人で弘行の家に訪れると、昨日の反省も踏まえて、直接渡すのは弘行のプライドもあると思い、パンと手紙を入れた手提げ袋を、玄関のドアノブに掛けて帰った。
ヒロくんへ
昨日は急に家に来てごめんなさい。
また、嫌がるかもしれないけど、今日も給食のパンを持ってきました。
でも、これは私からではなくて、菅村先生にお願いされたんです。
先生も、ヒロ君のことを心配しています。だから食べて下さい。
私は小さい頃からお芝居とか忙しいかったから、友達もいなくて、いつも一人なのが、すごく寂しかったです。
だから、ヒロ君は何で自分から一人になりたがるんだろうと思っていたけど、それは違ったんだね……
私たちが嫌な思いをさせるから、ヒロ君が離れていただけなんだよね。ホントにごめんなさい……
私は、ヒロ君が学校に来ないのは、寂しいです。きっと、ヨウちゃんもそう思ってるよ。
でも、私がそう思っていても、ヒロ君が来たいって思えないと、意味がないもんね……
だから、ヒロ君が会いたいって思えるまで、私とヨウちゃんは待ってます。
今は、ちゃんとごはん食べているのかだけが心配です。 エリカより
夕方、空も暗くなりかけた頃、洋平が家で夕飯の準備をする母の手伝いをしていると、外から『パン、パン』と火薬が弾ける音が聞こえた。
何事だろうと思った洋平が、外に出て確かめると、アパートの前で、空き缶を発射台にしてロケット花火を打ち上げている弘行の姿を見つける。
「おい!やめろ!何やってるんだよ!」
ロケット花火の導火線に、ライターを近づけて点火しようとしている弘行のことを、洋平は慌てて止める。
「おぉ、出て来たか。これからエリカも呼んで花火しようぜ」
学校であった事はすっかり忘れてしまったような弘行の行動や態度に、洋平は驚いて気を取られていたが、気が付けば弘行の髪が黒く染められている。
「あっ、髪が……それより、家の前で花火なんてするなよ!」
「アパートを聞いても、どこの部屋か分からないだろ?こうすれば出てくると思ったんだよ」
「何で、家まで来たんだよ……用があるなら、電話すればいいだろ」
「はぁ?何かあったら来いって言ったのは、おまえだろ。いいから早く行くぞ」
洋平が母に言い訳をして家を出ると、二人は公衆電話から恵里香の家に電話を掛けて、河川敷に誘い出した。
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