ヘンルーダ(軽蔑) page5

 河川敷の夜空は、春に三人で来た時よりも、少しだけ星の数が増えている気がする。


 手持ち花火を一本手に取りながら、ニコニコと笑う洋平と、何本も持ってはしゃぎ回る恵里香に、ロケット花火や打ち上げ花火ばかり夢中になる弘行。


 洋平の花火が消えたのを見ると、恵里香は自分の花火を差し渡す。


 弘行が「おーい、次が上がるぞ」と、二人に大声で呼び掛けると、打ち上がった花火を見て三人は、夜空の星が増えた気分になった。


「俺の親父は、他所に女がいるから、滅多に家へ帰らないんだ」

 突然として話し出した弘行に、洋平が戸惑っていると、恵里香は「それで?」と訊ねて話を繋げる。


「母ちゃんは、親父に愛想つかせて出て行ったけど、親父にはそれが都合良くて、札幌の飲み屋で知り合った女が東京へ引っ越したもんだから、この町に住み始めたんだ。俺は、その遊びに付き合わされているだけなのさ」


 父が浮気をしていたという面では、弘行と同じ境遇の洋平だが、その後の環境を考えると、自分の方が恵まれていると思うので、軽はずみに『僕も同じだよ』と言って、共感はできない。


「みんな悩みがあるんだね……私のお父さんは、殺されて死んだの。もうすぐお父さんを殺した人が釈放される……私とお母さんは、その人から逃げる為に、この町に来たの」


 恵里香の言うことは、またドラマのセリフなのかと思う話であるが、会話の流れからすれば、冗談を言い出すように思えない。


「何で殺されたんだ……」

 弘行が深掘りしてもいい話しなのか迷いながら訊くと、恵里香は躊躇する様子など見せず、質問に応じた。


「何でかなぁ……事故なのかなぁ……でも、お父さんを殺したのが未成年だったから、名前が世間に出ることもなかったし、私もその頃は、ドラマとか沢山の仕事を抱えていたから、お母さんが事務所と話して、事件が公にならないように隠したの……その事が広まれば、私の仕事は全部無くなって、沢山の人に迷惑が掛かるから……」


 洋平と弘行にとって、恵里香の言っている事は、テレビのニュースでしか聞いたことの無いような話しだから、理解するどころか、慰める言葉すら思いつかない。

 けれど、恵里香が抱えている辛い気持ちを考えると、共感できないからと言って、避けてはいけない話しだと思う。


「犯人を知っているのか……」


「知っているよ。でも、できることなら、忘れたいよ……思い出す度に、今度は私とお母さんが殺される気がするから……」


 身を震わせながら話す恵里香を見ていると、弘行は『自分も辛いのに、俺のことを気にしていたのか……』と思い、これまで取っていた行動について、自らを見つめ直す。


「大丈夫だ、そいつが襲ってきたら、俺が守ってやるから」

 弘行の発言に洋平も同調すると、「そうだよ、大丈夫。僕も守から」と言って、恵里香の不安を払拭させようとする。


 恵里香が、「ありがとう」と言いながら微笑むと、洋平は冷ややか目で弘行の顔を見ながら、「守ってやるなら、明日からちゃんと学校に来いよ」と言って、警告した。


 足元を掬われた気がした弘行は、「わかったよ」と空返事で応えると、洋平は向きになって、「絶対だぞ!絶対だからな!」と、弘行の口約束に釘を刺した。


 恵里香は、二人が自分の望んでいた関係に戻ったのだと思えると、そのやり取りを見ているのが、心の和らぎになっていた。


 翌日、髪を真っ黒に染めた弘行が登校してくると、金髪の時よりも、皆の反応が大きい。

 先に登校していた恵里香が「おはよう」と声を掛けると、弘行は手を軽く挙げて挨拶をした。


「どうしたんだ、金髪じゃないぞ」と、他の生徒がこそこそと話しているのを、恵里香を腹立たしく思いながら聞いている。


 そんな会話など気にしていないように、弘行は席に着くと、前ボタンが全開に開けて、腕まくりをした学蘭姿の自分を、下敷きでパタパタと仰いだ。


「しっかし、あちぃなぁ……クーラーどころか、扇風機も無いんじゃ、たまらねぇや」


 暑いと言いながら、学蘭を来ている弘行の姿が、恵里香には可笑しくてたまらずに、声を出して笑ってしまう。


「何だ?何が可笑しいんだよ」

「だって、何で暑いのに学蘭なんか着ているの?」


「何でって、そりゃあ制服……あれ?何で皆んな着てないんだ?」

「とっくに夏服に変わったよ、学校に来ないから分らないのよ」


「だったら、昨日だって来てたんだから、教えろよ!」

「昨日から変だなぁって思ってたよ。だけど、学蘭は不良のポリシーか何かと思ったから」


 他の生徒たちも、二人の会話を聞いていると笑いを堪えきれず、教室には笑い声が響く。

 照れくさくなった弘行は学蘭を脱いで立ち上がると、囃し立てる恵里香に向かって、「うるさい!笑うな!」と、大声を出して批判した。


 少し笑い声が収まると、麻衣子が弘行の所へ来て、「ごめんなさい」と言ってきたが、急に謝られても何のことだか理解できない弘行は、申し訳なさそうにする顔について、疑問を抱く。


「は?何の事だ」

 そもそも弘行は、麻衣子と会話するのが初めてだし、彼女に危害を加えられた覚えなど全くない。


「俺も靴のこと、疑ったりして悪かったよ」

 今度は亮治が寄ってくると、恵里香は昨日の騒ぎを弘行が知ったら、また機嫌を悪くして帰ってしまうと思い、人差し指を口に当てて、亮治に口止めの合図をする。


「私達、嶋岡君が不良みたいで恐いと思っていたから、何だか避けていて……きっと嫌な気分にさせていたと思うから……本当にごめんなさい」


 麻衣子が深々と頭を下げると、弘行はきまりが悪そうに顔を背けながら、「なら、悪いのは俺だろ。別に謝ることなんかねぇよ」と、小声で謝罪に応える。


 チャイムが鳴り、教室に入ってくる菅村が、自分の顔を見て微笑んでいるのが照れくさい弘行は目を逸らして誤魔化すと、前の席にいるはずの洋平が、まだ登校していないことに気が付いた。


「あれ?洋平はどうした」

 目の前の空席について弘行が訊ねると、恵里香も洋平の席を見ながら、「さぁ、どうしたんだろう……」と首を傾げる。


「あの野郎、人には学校に来いって言ったくせに」

 単純な弘行は、学校を休む理由を自分と同じ尺でしか考えないが、恵里香は『何があったのだろう』と、素直な気持ちで心配になる。


 菅村は出席簿を開いて一人一人の名前を呼ぶと、洋平については、皆に欠席の理由を話した。


「河村の心臓があまり良くない事は、皆も知っていると思うが、その定期検診を受ける為に、少し早いが夏休みに入った」

 心臓の検診で休みと聞いたものだから、生徒達はザワザワと落ち着かない様子になる。


「先生、ヨウちゃんは大丈夫なんですか!」


 恵里香は動揺する気持ちを露わにして、菅村に訊ねる。

「だから、定期検診と言っただろ。皆には大変なことに聞こえるかもしれないが、河村が皆と一緒に生活する為の検査だから、心配することはない。検診を受けていない方が、よっぽど心配なことなんだから」


 菅村の話しを聞くと、恵里香は安心して息を吐くが、弘行は「だったら、昨日言えよ」と、ブツブツ愚痴を言っている。


「でも、そうしたら花火大会には行けないんだ。なんか可哀想だね」

 麻衣子が話すと、その事に恵里香が食いついた。


「え、花火大会あるの?」

「うん、夏休みに入ってすぐの土曜日に、隣町のでやるんだけど、結構大きな花火大会だから、遠くから観に来る人達も多いんだよ」


「楽しそう!ねぇ、皆で行こうよ、ねぇヒロ君」

 麻衣子の話しを聞いて、無邪気にはしゃぎ出す恵里香の誘いを、弘行は「俺は行かねぇよ」と言って、あっさり断った。


「何で?皆んなで行こうよ」


「おまえ、話し聞いてなかったのかよ。洋平が入院しているから、行けないって話してるのに、何で俺達だけ花火大会行くんだ?そんなの洋平が可哀相なだけだろ」


 花火大会のことを聞いた興奮のあまり、洋平のことが頭から抜けていた恵里香は、尤もな意見を述べる弘行に反論できない。


「そうだ!」

 恵里香は急に声を張り上げると、弘行と麻衣子に案を持ちかけた。


 洋平は、小学校まで暮らしていた隣町の病院に入院していて、そこは河川敷に掛かる橋を渡れば、すぐの場所にある。


 花火大会が行われる町ではあるが、心臓の手術をしてからは検診の度に、いつも病室の窓から眺めていた。


「今日は花火大会だけど、また病院じゃあ残念ね」

 看護師が籠の中の鳥に話し掛けるように、洋平に話す。


「ううん、ここからでも綺麗に観えるから」

 ベッドに寝ていた洋平は、体を上半身だけ起こすと、窓の外を見つめた。


「夜は病院から出られないけど、ここよりも屋上の方がよく観えるから、花火が始まったら、一緒に屋上に行こうか」

 看護師が誘うと、洋平はニッコリと微笑んで頷いた。


 空が薄暗くなり、まもなく花火大会が始まる時間になる。

 洋平が看護師の迎えを病室で待っていると、窓の向こう側に『ピュー』と音を鳴らしながら打ち上がるロケット花火が見えた。



『誰が花火なんてやっているのだろう……』

 三階の病室から、窓を開けて外を覗くと、病棟の向かいにある駐車場に、恵里香と弘行の他、一年A組の生徒達が集まっているのが見えた。


「みんな、何してるんだ?」

 洋平は驚くというよりも、その光景を見ているのが不思議な気持になった。

 つい先日まで、弘行を避けていた級友達が一緒に集まっていることも、花火大会があるのに、皆がここへ来ていることも不思議であり、過去の出来事が溶解していくようである。


「ヨウちゃんも一緒に、皆んなで花火観ようと思って来ちゃった!」


 恵里香が笑顔を向けながら、洋平に手を振っている。


『ヨウちゃんも一緒に花火を観れる方法がないかなぁ』と、言い出した恵里香の提案に皆が賛同したことから、この集まりができた。


「洋平君、花火始まるから屋上行こうか」

 迎えに来た看護師に、洋平は微笑みながら首を横に振る。


「ううん、僕、ここで皆んなと観るから大丈夫」


 夜の七時になると、夕日が姿を隠した空に、大きな音を立てて花火が打ち上がった。


 菊先、錦先、牡丹、黄金やし、打ち上がる花火を、洋平は皆よりも少しだけ空に近い場所から観ていた。

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