エリカ(孤独) page6

 翌日、洋平の思いは伝わることなく、弘行は学校に来なかった。

 放課後には上級生に体育館裏へ来るように言われている事から、洋平の苛立は公然と顔に出ててしまう。


「どうしたの?恐い顔しちゃって」


「あいつ、調子のいいことばかり言いやがって……結局逃げやがった」

 事情を知らない恵里香には、洋平が何に苛立っているのか分からず、疑問に思う。


 弘行の行動に辟易する気持ちが、洋平の足を勝手にゆすぶらせ、机の裏にカタカタと物音を立てる。

 その様子を他の生徒達も、不思議そうに見ていた。


 洋平は、気持ち落ち着かぬまま授業を受け、昼休みには忘れ物を取りに帰ると菅村に嘘をついて弘行の家まで行くが、アパートは分かるものの、住んでいる部屋が分からないことに気付く。


 ポストを見ても、どの部屋の住人も名前など書いてないので確認できない。


 仕方なく学校へ戻り、五時間目、六時間目と授業を受けるが、とうとう弘行は来ないまま放課後を迎えた。


 たとえ今日逃げたところで、明日になれば、あの上級生が教室に来て騒ぎ出すのが、洋平には目に浮かぶ。


「ねえ、一緒に帰ろう」

「ゴメン、用があるから帰れない……」


 恵里香の誘いを断ると、洋平は重い足取りで体育館裏へ向かった。


 小学校はもっと穏やかな学校生活であったから、こんなことに巻き込まれるのは初めてであり、これから体育館裏で何をされるのだろう……と恐怖を感じると、テレビのニュースで観た、とある少年が学校の先輩にナイフで刺されて死亡した事件を思い出して、身の毛をよだたせる。


 鞄の中からまだ新しい国語の教科書を取り出すと、学蘭のボタンを外して腹の中へ忍ばせた。

 教科書をベルトでギュッと抑えて学蘭のボタンを止めなおすと、万が一ナイフで刺された時のことを考えながら、腹をパンパンと叩いてみる。


 鉛でも飲み込んだように重い気持ちで体育館裏に辿り着くと、上級生の二人は既に来て待ち構えていた。


「何だ、アイツはどうした」

 弘行の姿が見当たらないことに、二人は鋭い目つきで洋平を睨む。


「弘行なら、学校に来なかったんです……」


 洋平の痩ている腹と、太目のズボンの間に挟めた教科書が、腹の力を入れるたびに、ズルズルと股の方に落ちていくと、腹を掻くようにして直す姿が、上級生から見ればとぼけているような態度。


「あいつを庇うなら、おまえに責任を取ってもらうぞ」


「いや、別に庇っているわけじゃなくて……あ!」


 洋平は目を逸らそうとして、眼球を転がすように四方八方へキョロキョロさせていると、上級生の背後に、フェンス越からこちらを見てニヤニヤと笑っている弘行の姿が見えた。


「おまえ!何やってるんだよ!」

 洋平は、誰よりも探していたのは自分であると言わんばかりに、弘行に向かって声を張り上げると、上級生の二人も、洋平が叫ぶ方に顔を向ける。


「何やっているか?檻にいるゴリラを見てるんだよ」

 弘行が上級生を挑発してニヤニヤする顔は、洋平にも憎らしく思える。


「誰がゴリラだぁ!」と言いながら、上級生が寄って行くと、弘行は恐れることなくフェンスの隙間から手を出して、『コイコイ』と合図をしている。


 上級生が捕まえようとすると、弘行は隙間から手を引っ込めたり、彼等がフェンスを乗り越えようとすれば、木の棒で二人の股間を突っついたりして揶揄っていた。


「オイ、おまえがこっちに来い!」


「飼育係じゃないから、檻の中には入れませんよ」


 しびれを切らした上級生は、本物のゴリラのように荒い鼻息を吐くと、怒りの矛先を洋平に向けて、「おまえが来ないなら、こいつがどうなっても知らないぞ!」と、弘行に向かって叫んだ。


 怒らせたのは弘行なのだから、もう自分は構っていられないと思って逃げ出した洋平のことを、上級生が追いかけようとした時、滝のような水が二人の頭上に降ってきた。


「先生!こっちで誰かが喧嘩してます!」

 体育館の脇にある非常階段の上から、女子が大声で叫ぶ声が聞こえると、上級生の二人は、その言葉に反応して逃げ出した。


 一体何があったのだと思いながら洋平が上を向くと、階段の最上階でバケツを片手に持ちながら、Vサインをしている恵里香を見つける。


 帰り際、洋平の様子があまりにも不自然であったのが気になり、恵里香はこっそりと後を付けていた。


 弘行は、「おぉ!おまえ!ナイスサポートだな」と言いながら、フェンスをよじ登って校内へ入って来る。


「だから!おまえじゃなくて、恵里香!」


 ヘラヘラを笑っている弘行のことを、洋平は鋭い眼差しで睨みつける。

 これまで怒る事などあまり無く、どちらかと言えば温和で朗らかであった洋平が、普段使うことのない顔の筋肉を一気に釣り上げた。


「おまえ、今まで何やってたんだ!」


「何って、家にいたよ。おまえが放課後、呼び出されてるから学校に来いって言ったんじゃん」


「放課後じゃなくて、学校は朝から来るもんなんだよ!」

 じゃれているのか、揉めているのか分からない二人を、高い所から見下ろしながらクスクスと笑っている恵里香が、「ねぇ、二人とも上がってきて」と言いながら、手招きすると、二人は争いを中断して階段を上った。


 最上階では、恵里香がニコニコと笑いながら待っていて、「ねぇ、見て、見て」と言いながら、西の空を指差している。


 四階建ての建物だから、然程高い場所でもないが、背の低い建物ばかりが並ぶ菖蒲町では、まるで展望台の頂上にでもいるような景色が見えた。


 その眺めには、気が晴れなかった洋平も、頬の力が緩んで「わぁ」と声を出す。


 空を見上げれば、一面の水色の画用紙に白い絵の具を混じえたような雲が浮かんでいて、霧のような雲の隙間は、淡いパステルカラーになって見える。


 ゆっくりと流れ動く雲を見ていると、手を伸ばせば届きそうに思えて、その雲を追い越すように飛んでいる鳥を目で追うと、町の中へ離陸するように消えていった。


「私達これからずっと、この町で暮らすんだよね。楽しいことや辛いこと。嬉しい時や悲しい時も、この町で過ごすんだよね」


 雲で隠れていた太陽が姿を見せると、その陽射しが恵里香の髪に当たり、キラキラした艶を見せる。

 その様子を見て洋平は、夢の中で見つけた花のことを思い出した。

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