アジサイ(冷酷) page4

「何だ、あいつの態度!最近大人しいと思っていたけど、やっぱりやばい奴じゃん!」


「ホント、自分の机だけ戻しちゃって、全部戻して行きなさいよ!」


「あいつ馬鹿なんじゃねぇの?マジでキレ過ぎだから」


「私達が何をしたって言うの?ただ週刊誌を見ていただけじゃない」


「杉浦のことになると、すぐ向きになるよな。あいつ、杉浦が好きなんじゃねぇの?」


「嶋岡が彼氏なんて最悪、ホント無理」


 ノイズのように飛び交う言葉の一言、一言が、洋平には不愉快でたまらない。

 その言葉を聞いていると、怒りを吸い込んで膨張するように、心が破裂しそうになる。


「ふざけるな……ヒロは悪くない……悪いのは全部おまえ達だ!」

 その一言が教室に響くと、まるで水の中に潜るような静けさになり、皆が洋平に注目する。


 驚きから目を丸くしている者、刺すような鋭い眼差しで睨む者、悪人を庇う異色の人間を見るような偏見の眼差しが、一斉に洋平へ向けられると、一度は声が静まったのも束の間であり、人が水の中に潜っていられるのなど、僅かな時間なのと同じように、再び煩わしさを戻す。


「俺らの何が悪いんだよ!」


「そうよ、暴れたのは嶋岡君でしょ?」


「嶋岡も、おまえも、エリカ、エリカって気持ち悪いんだよ!」


「俺達が悪いって言うんなら、何が悪いのか言ってみろよ、ほら」


 洋平は生まれて初めて、手の平が自ずと拳に変わる感触を知った。

 締め付けるように握りしめた手には、指先の爪が食い込むと、アドレナリンがその痛みを麻痺させる。


「いつもそうだ……皆んな都合が悪くなるとヒロを悪者にして、そうやって自分達は何にも関係ない態度になって……だけど、ヒロやエリカが何をしたって言うんだ?あの二人を悪者にしているのは、皆んなじゃないか!」


「誰が悪者にしたんだ!俺達は週刊誌を読んでいただけだし、勝手に暴れだしたのも嶋岡だろ?俺達の何が悪いって言うんだよ!」


 亮治が洋平に突っかかって話すと、周りの生徒達も「そうだ、そうだ」と、デモのような掛け声を出して加担する。


 菅村は、床に放り投げられた雑誌を拾って丸めると、棒のように扱って教壇を強く叩いた。

 すると生徒達の声はピタリと止まり、皆が菅村に注目する。


「話を順番に聞こう。まず、この雑誌を持ってきたのは誰だ?」


 至って冷静に話す菅村は、その様子とは相反して威圧的に感じる。

 先程までは八月のアブラゼミのように騒がしかった教室が、九月の朝を迎えたように静まり返る。


 裕太は辺りを見渡すと、皆が自分に注目しているのに気が付き、菅村の様子を伺いながら、ゆっくりと手を挙げた。


「そうか、何故、学校に持ってきた?」

 菅村は表情を変えることなく、裁判官のように問い掛ける。


「何故って……皆に見せようと思って」

 裕太はその質問に、恐る恐る答えた。

 その無表情からは、何を言えば正解なのか分からないが、自分の言葉によっては、その静かな表情を般若の面に変えてしまうと思えば、無闇に発言することには恐怖心を抱く。


「何を皆に見せようと思ったんだ」

「それは……杉浦のことを……」


「見せて、どうしようと思ったんだ?それを見て、皆がどういう反応をすると思った?」


「どうしようとかは無いけど……ただ、皆んながビックリすると思って」


「それで、自分の売った写真を見せようと思ったのか?」

「それは違うんだよ!だから、売ったんじゃないんだって!」


 菅村は顔を左右に動かして皆の表情を確認すると、麻衣子と目が合って視線を止めた。


「小野は杉浦と仲がいいけど、これを見てどう思った?」


「私は……エリカのことが心配になりました」

 麻衣子は小さな声を掠らせて答えるが、静まり返った教室では、その声でも響くように聞こえる。


「皆が騒いでいるのを見て、何も思わなかったのか」

 菅村の眉が少しだけ動いたのを見ると、麻衣子は肩の力を入れて、身体の震えを止めた。


「いや、あまりにも揶揄って言うのは酷いと思ったけど、それを止めることは出来ませんでした」


「何故?」

 菅村の目は、嘘や偽善を言うことを許さぬように見えて、言葉を選ばせない。

 自分の考えが間違っているからといって、その言葉を飾りつけて綺麗事を言えば、すぐに見破られるのは分かっている。


「それは……私に勇気が無かっただけです……」

 自分でも悔しさか、恐怖なのか分からぬ涙を流しながら、麻衣子は声を震わせて答える。


「じゃあ、嶋岡のしたことは間違っているか?」


「……いいえ」

 菅村は返事を聞いて、天井を見ながら息を吐くと、再び麻衣子に目を向けた。


「いゃ、それは間違っているぞ」

「えっ?」

 麻衣子は返ってきた言葉を聞いて驚くと、涙で濡れた目を見開いて、菅村の顔を見る。


「河村もよく聞け、嶋岡の行動は正しくない。何があっても人を殴りつけたり、物に八つ当たりするのは良くないことだ。分かるな」

 菅村が教え諭すと、洋平は小さく頷いて応える。


「でも、ヒロだって皆んな騒ぎ立てなければ、暴れたりしなかった……」

 洋平が私感を述べると、菅村は丸めた雑誌を広げて、皆にそれを見せた。


「この記事を見て、杉浦を軽蔑した者は手を挙げなさい」

 その言葉を聞くと、皆は問題から避けるように俯いたまま、誰も手を挙げようとはしないが、ただ一人だけ目を逸らさずにいる洋平の顔を見て、菅村は質問を変えた。


「自分が思った事を、正直に答えなさい。では、この記事を面白がって見ていた者は?」

 皆がキョロキョロと辺りを見回すと、一人が手を挙げたのを見て、また一人と、

連鎖反応するように、半分位の生徒が手を挙げる。


「じゃあ、残りの者は何で騒いでいたんだ?」

 その質問に沈黙が流れると、少しだけ間を置いて、菅村の前に座る女生徒が、小さな声で口を開いた。


「ただ、皆んなが騒いでいたから……」

 その言葉を聞いた菅村は、雑誌をゴミ箱へ放り投げると、目を閉じて大きな溜息を吐く。

 菅村の溜息は、弘行と同ように暴れ出しそうな感情から理性を保たせているようであり、その姿を見ると、肩を落とした生徒達が、一斉に背筋を伸ばす。


「ただ面白い?皆が騒いでいるからと言って、君達は人を傷つけるのか?何故、嶋岡が暴れだす前に、止めようとする者が一人もいなかったんだ?」


「でも、杉浦の兄ちゃんは、人を殺したんだろ?そりゃあ怖いと思うよ」

 教室の奥から男子生徒の声が聞こえると、菅村は教壇から歩き出して、その生徒の前で立ち止まった。


「父親を殺したのは、杉浦恵里香なのか?」

 菅村の質問が威圧的に聞こえると、その生徒は質問に答えられず、ただ恐れを感じて身を震わせる。


「確かにこの雑誌に書かれていることは惨憺たる事件だが、問題を起こしたのは杉浦ではない。それを彼女が起こしたように騒ぎ立てて面白がり、軽蔑するのは筋違いだし、むしろ、それこそが悪だ。暴力を振るって暴れていた嶋岡の行動を肯定はしないが、そっちの方が人の心としては、正義ではないのか?」


 生徒達は、何が正義で何が悪なのかの分別がつかずとも、自分達の行動や発言が誤っていたのは理解できると、忸怩たる思いから泣き出す女子につられて、数人の男子も涙を流す。


 閉ざされたカーテンの隙間から、朝日が眩しく入り込むと、洋平は淡く光る濡れ色の涙を、握りしめた拳で拭った。


「いいか、あの雑誌は君達のように興味を示す人間がいるから、話を膨らませて書いてしまう者がいる。その記事が面白いと思ってしまうのは、君達にとって、杉浦の存在が赤の他人だからだ。本当の友達や家族のことであれば、それを面白がって読んでいられるか?」


 他の生徒は俯いて目を逸らしているが、洋平は涙を拭った眼差で、菅村をジッと見つめる。


「君達は他人のことを自分とは関係ないと思い、それを区別して考える。そして賛同する者が多くなると、いつの間にか区別を差別に変えているんじゃないか?翼を怪我して飛べなくなった鳥を、車に撥ねられて足を怪我した猫を、捨てられてゴミ箱を漁る犬を見て、哀れに思うことがあっても、それに手を差し伸べることはできないから、それを助けようとする者がいれば、それは偽善者だと言うことで、自分の考え方を正当化させてしまう。しかし、それは違うぞ。たとえ自分が出来ないことでも、助けようとする者がいれば素晴らしいと思わなければいけないんだ」


 菅村はゴミ箱に捨てた雑誌を再び拾い上げると、その表紙を手で強く叩いた。


「この雑誌に書かれている内容は、飛べなくなった鳥、怪我をした猫、捨てられた犬のことを、哀れだ、惨めだと書いているのと変わらない。そんな物が面白いのか?先生から見れば、そんな物に踊らされている君達の方が哀れであり、そして惨めだ」


 話を聞いて涙を流す生徒達は、チャイムが鳴ると、その音に合わせて泣き声も激しくなる。

 その感情が自省からなのか、悲哀なのか、その理由が分からぬまま、皆が衝動的に涙を流している。


 菅村は、持っている写真週刊誌を再びゴミ箱に捨てると、それ以上は何も語らずに、教室から出て行った。

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