トラウマとスケッチ

黒羽 百色

第1話

 ガタンゴトン。この擬音を聞いて、人は何を思い浮かべるか。だいたいの人が「電車の走る音」と答えるものだと思う。

東京から乗り継いできた電車の車内には、今まさに「ガタンゴトン」がまんべんなく響き渡っている。東京に住んでいた時には、ここまではっきりした音を、こんなにじっくり聞ける機会は圧倒的に少なかった。人の雑談による話し声、手荷物のガサガサという音、鼻をすする音、咳払いなど人間が発する音による支配がほとんどではなかっただろうか。「ガタンゴトン」は言わばBGMのように背景で流れる音にしか過ぎなかった。


東京から出発した電車の車内は、どんどん人が降りていき、目的地に近づくにつれて、最初は吊革に捕まり満員の圧迫感による変な緊張感があったが、今では座席に寝そべることだって簡単にできる。今座ってる座席の一列には自分しかいないのだから。今いる車両には自分を含めて三人しかいない。一人は中年の男性、もう一人は20代くらいの女性だ。中年の男性は埼玉に入ったあたりからずっと眠っていて、女性の方はスマートフォンに夢中のようだ。俺はというと、スマートフォンの音楽アプリでひたすら音楽を聴き時間を潰すという若者らしい過ごし方をしていた。16歳の俺は東京から一人で電車に乗り、群馬へと向かっていた。観光でも自分探しでもない。これから群馬で日々を過ごす事になったからである。新たな生活。確かに間違いではない。だけどそうではない。


目的地は群馬の中でもかなりの田舎風景の場所だ。これまで生活していた東京とは真逆と言える場所。生活環境の変化は大きいものになるだろう。目的地へ電車は容赦なく進む。近づいていくにつれ、俺の心境は慌ただしかった。なんの運命の悪戯いたずらなのだろうか。行きたくない場所へと電車は運んでいくのだった。


少し居眠りをしていると、車内アナウンスが目的地の駅名を告げた。重い腰を上げて電車から降りた。駅から出て周りを見渡した。山が周りを囲み、車の通りが東京と比べると信じられない少なさだ。空には鳥たちが群れを成して飛び交い、自然豊かな環境でのびのびと飛んでいるのが見えた。

今日からここで暮らすのか。改めて実感させられた瞬間でもあった。


俺は木村真司きむらしんじ。東京から群馬へ引っ越してきた16歳。1カ月後の四月には高校2年生になる。東京から引っ越してきたのにはもちろん理由がある。両親が12年前に離婚し、母に引き取られた俺は、東京で暮らしていた。小学校から高校1年までの学生生活を東京で過ごし、それなりに楽しんでいた。

友達もいて、休日や学校帰りはみんなで出かけていた。中学も高校も、クラスの男女が仲良くしていて、男子だけでなく女子も交えて出かけるほどだった。学生生活に不満は無かった。問題は帰宅してからだった。


母は離婚後、仕事を始めたが忙しさのあまり、家事やら何やらが手付かずになることが多かった。母は器用であり、仕事に対しては熱心で、化粧品関係の会社に営業として就職。言わば「できる女」の称号を勝ち取るほど、成績も良く、上司や部下からも一目置かれていた。ただ帰宅してからの彼女は疲れを全面に出し、俺の相手などする余裕もなかった。夕飯も俺が自分で用意し、自分の洗濯は自分で、自分の事は自分でする。小学生からそんな経験を身につけ、もはや慣れてしまっていたが、小学生の俺は母に甘える時間も無く、寂しい家での時間をずっと過ごしてきた。親子の会話など、ここ数年はほとんど無いまま俺は中学、高校と進んだ。


母親が珍しく話しかけてきたのは今から3カ月前の12月の中旬だった。「お母さんね、再婚することになったの。」

突然の報告だった。新しい父親が来る。受け入れられるのだろうかと悩む間も無く、母からこう言われた。「お父さんのいる群馬に行ってちょうだい。あなたにとってもそれがいい。お母さんにとっても。」

言葉が出なかった。幼少ながら勝手な都合で離婚し、ここまで父親のいない生活。家では虚しい時間を過ごし、寂しさを晴らす学校生活まで群馬に行くことにより失う。だけどもはやこの家には俺の居場所は無かった。俺は出て行かざるを得ない状況に追いやられ、見かねた群馬の父に呼ばれ、ついに決心した。


そんな事を振り返っていると、1台の車が目の前に停まった。

「真司!よく来たなあ!」

元気な声は祖父、斎藤晋平さいとうしんぺいだった。隣には微笑みが優しい祖母、斎藤典子さいとうふみこだ。二人とも70代だが病気も無く、健全な年寄りだ。

俺は車に乗り祖父、祖母とこれからの話や、東京の学校での話など、大いに盛り上がった。二人とも気を利かせてくれたのだろう。明るく振る舞ってくれていた。この気遣いに少し気持ちが軽くなった。祖父達はそんな気遣いを満遍まんべんなく俺に与えてくれた。街並みを眺めていると駅から15分離れた祖父、祖母の家に到着した。

「よーし着いた!どうだ?懐かしいだろう。」

いつ以来だろうか。懐かしい木造の家、田舎特有の庭が広めであり祖父の畑仕事の道具などが小屋に揃えてある。薄っすらだが記憶の片隅にこの家の姿が残っている。ずいぶん久しぶりに来たものだ。特に変化もなく記憶の中の姿より劣化していない事に驚いた。

「真司が中学にあがる頃が最後かねえ。」祖母が懐かしげに言った。

「あがれあがれ。部屋見せてやる。」

祖父の案内で二階に上がり、部屋を見せてもらった

「まあまあ広いだろ?」

得意げな祖父の横で納得の表情を浮かべる俺がいる。確かに少し古い家だが広さは文句無し。この部屋は決して悪くない。これから俺がここに住むという事で綺麗に掃除してくれたのだろう。その様子が鮮明に浮かぶほど掃除されていた。1階に降りて談笑した後、祖母の入れた熱いお茶、懐かしい祖母の手作りのおはぎも登場した。東京での暮らしぶり、母との話はあえて触れない質問を祖父達はしてくれた。俺は母の質問をされても問題は無かったが、ここは気遣いに甘えさせてもらう事にした。手作りおはぎ3個をペロリと食べ、お茶をすすりながら時計を見た。3時を指した時計を確認すると。祖父も時間を確認した後に言った。

「せっかくだ。散歩でも行っていろいろ探検してこい。東京よりある意味見応えあるぞ!見晴らしが良いしな!」

祖父は俺に促すと「あんまり遠くに行くとわからなくなるから気をつけてね。」と祖母が優しく言った。


熱いお茶を飲み干し、ついでにもう一つおはぎを持った俺は立ち上がり外に出た。庭には柴犬が飼われていて、小屋には「マル」と書かれていた。マルは不思議そうに俺を見ていた。マルの頭を撫でると、マルはしっぽを振り、俺を受け入れてくれた。

ゆっくり敷地から外に出た。目の前には大きな山がそびえ立ち、少し進むとガードレールがあり、そこから下の街並みを眺める事ができた。確かに見晴らしが良い。隙間無く並ぶビルやマンションも無い。この街並みを素直に喜べない俺がいる。複雑な心境の16歳だ。

俺はガードレールに両手を置き息を吸った。ゆっくり吐き出したため息の後に、口からは出番を待ちわびた言葉が漏れてしまった。

「ここに..来てしまった。本当に来たくなかった。」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る