第8話
朝から太陽はアクセル全開で照りつける。散歩していた俺も愛犬のマルもぐったりした様子で帰宅した。祖母がこれまたキンキンに冷えた麦茶を用意していて一気に飲み干した。
「今日お友達の応援でしょ?大丈夫なの?」祖母が水筒やアイスノンを用意しながら心配してくれた。
「そのお友達はこの暑い中で野球するんだから暑いなんて弱音吐けないや。」
「そうねえ。頑張って応援してきなさいよ。」
祖母はそう言うと扇風機を強めてテレビをつけた。
今日の試合は群馬のテレビ局で中継をするそうだ。
「映るといいわねえ。」主役は確実に俺ではないのだが。「行ってきます!」俺は集合場所の学校へと向かった。
学校ではすでに吹奏楽部がバスに楽器を乗せて慌ただしい準備が始まっていた。そのバスの後ろに止まった3台のバスが応援する生徒たちのバスのようだ。意外にも人数がいる。
「おーい!」バスの窓からゴッチが手を振っていた。
乗り込むとゴッチ、美久、登、優里が固まって乗っていた。
「おっはよー!」美久のおでこには冷えピタが貼られている。
「おはよう諸君!暑いねー。」珍しくスケッチブックを持たない優里。流石に炎天下のスタンド席では絵は描けないか。後ろの席を見ると耳にイヤホンを入れて眠っている登がいる。そういえばこれの前のバスに登の恋の相手がいるのかと思うと、登も内心は穏やかではないだろう。ロックなのか、バラードなのか聴いてる曲が気になるところだ。
バスの移動はかなりの時間を費やした。最初は相変わらず美久の止まらない喋りについていったのだが、限界を迎え誰も相手をしなくなった。それでも目に入る景色や看板などにいちいち反応を示すあたりが美久らしい振る舞いだった。バスの中には美久の声だけが響いていた。
結構な時間が経過した。バスはようやく球場に着いた。古くからあるであろう球場には、相手の高校の生徒や他の試合の学校など多くの人で賑わっていた。楽器を持った吹奏楽部の生徒や応援団の姿もあり、まさに青春のひとときがここにはあった。
あくびをする登をゴッチが叩いた。
「痛いんだよ馬鹿。」
「馬鹿はお前だ。見ろ。」ゴッチの指差す先には、トランペットを大切そうに抱えた登の恋の相手だった。
急に姿勢を正した後、我に返り「な、なんだよなんだってんだ。」と戸惑いを見せた。いつものどこかクールな登の慌てように美久がニヤニヤするのを横目に優里も意地悪な笑顔を浮かべていた。登の意中の相手である西条李子【さいじょうりこ】はこれから楽器で応援という大一番を控え、なおかつ登ではない意中の相手、椎葉氏の激励で忙しい。登のアプローチは場違いであり、逆に不快にさせてしまうのは登も承知だろう。美久の暴走に不安が募る一方だった。
スタンドの応援席に陣取る我らが丘之城高校の面々。相手高校のスタンドに目を向けるとあちらも準備は万端のようだ。グラウンドでは丘之城高校野球部が試合前練習を行なっている。試合前ノックというやつだ。
駿はショートを守る。難しいバウンドのボールを鮮やかに捕球する姿に、あちこちから褒め称える言葉が聞こえてきた。優里は隣でうちわで自分の顔を扇ぎながら「すごーい。」などと言いながらスマホで写真を撮っていた。間も無く試合出場の選手が発表され、両チームが勢いよくホームベースに集まり、元気な声で挨拶した。いよいよ駿の夏が開幕した。相手は昨年県のベスト16に入る清名高校【せいめいこうこう】。実力は丘之城高校よりは上だそうだ。
いざ試合が始まると、丘之城高校は初回から3点を取られた。「去年と同じじゃーん。」と美久の空気を読まない一言にゴッチが「馬鹿!」と間髪入れずに注意した。駿の第1打席は三振。相手のエースはなかなか良いピッチャーのようで、5回まで丘之城の打線はヒットを1本も打てずにいた。例の椎葉氏も空振り三振に終わり、スタンドの椎葉氏ファンは落胆していた。
丘之城高校は5回にも失点し、5対0で後半に入ることになった。夏の太陽の照りが強くなり俺も汗をかいていた。隣の優里もこまめに水分を補給している。
試合は7回まで進んだ。相変わらず相手のエースに苦しんだ丘之城高校だが、やっと先頭打者が出塁。更に盗塁を決め、得点のチャンスを迎えた。打席に駿が向かう。登は演奏する西条さんを見つつ、駿を見た。
「おら打てよ!」とゴッチの雑な声援が届いたのか、駿の打球はセンターの頭上を越えてフェンスに当たった。ランナーが返り待望の1点が入る。スタンドの丘之城高校の応援団は大盛り上がりだ。美久は関係無しに周りの人とハイタッチを繰り返す。駿はこちら側にガッツポーズを向けた。すると奮起した丘之城打線が爆発し、この回で3点をもぎ取る展開になった。相手のエースにも焦りが見えてきた。
試合は最終回に入る。丘之城高校は2点差のまま、最後の攻撃となる。打席には駿が立っていた。「駿くんなら大丈夫。」優里がぼそりと呟いた。思わずそちらに目を向けた瞬間だった。金属が弾けるような音が響き、驚いた俺は慌ててグラウンドに目を向け直すと、駿の打球はスタンドに勢いよく飛び込んでいった。地鳴りのような大歓声が響き、周りとハイタッチする応援団。登はハイタッチに参加こそしなかったが、小さくガッツポーズをしているのを見て、俺は嬉しく思えた。続く4番の豊丸【とよまる】と書いて「ホーガン先輩」とゴッチに呼ばれる先輩がヒットで出ると、続く5番には四球を出すなど相手のエースが乱れだした。ここで満を持して登場したのが椎葉氏というわけだ。スタンドの椎葉氏ファンからは大声援が送られた。登は少しふてくされていたが、登なりに応援する気持ちはあるに違いない。椎葉氏は追い込まれたが、やはりモテる男は違った。振り抜いたバットを放り投げ、一塁へ走った。打球は見事にライトの頭上を越えた。ランナーが2人返りとうとう逆転した。
西条さんは嬉しそうに演奏のボリュームを上げた。椎葉氏ファンは飛び跳ね、美久とゴッチはまたもやハイタッチを繰り返した。
そして丘之城高校は初戦を突破し、「大逆転の丘之城、初戦突破」と次の日の新聞の地元欄に掲載された。「二年生二人が大活躍。」と駿と椎葉氏がしっかりと記事になっていた。学校ではまるで甲子園出場を決めたような盛り上がりだった。ただ5点を失った結果に、丘之城高校のエースを始め、駿も椎葉氏も決して満足感を見せずにグラウンドで練習をしていた。それもそうだ。終われば3年生は引退、たった一勝で勝ち誇る暇は無い。ましてや初戦敗退が恒例であれば余裕も無い。駿の真剣な表情に俺も皆も気を利かせて無駄な言葉はかけないでいた。美久を除いてはの話だが。
下校する時だった。後ろから肩を叩かれ、振り返ると登の姿があった。
「ちょっと時間ある?」と登にしては珍しく誘ってきた。俺はなんとなく、登の要件が解っていた。2人で近くの公園に入り、会話もなくブランコに乗った。この公園、まだあるんだな。遊具の記憶は薄いが、多分変わりは無いのだと思う。夏にしては風があり涼しい日だった。木々が風に吹かれ気持ち良さげに揺れて葉が擦れる音が心地よかった。錆び付いたブランコの音に混じり、登が口を開いた。
「真司は‥どう思う?」
主語の無い問いだったが間違い無く西条さんの話だろう。いくら俺とは言え勇気を出した相談だった。
「話とかしたことあるん?」
「あー、挨拶した。一回だけな。」
「じゃあ印象薄いなあ。なんか会話しないと印象付けらんないよ?」
「何話せばいいのかわからん。」
正直難しい案件だった。そもそも登がまず椎葉氏を超えるには椎葉氏よりも印象付けなおかつ興味を持たせなくてはならない。それには登が踏み込む勇気が必須だ。だが今は野球応援で頭がいっぱいのはずだ。時期が悪い。だからこそさりげない会話からスタートするべきだという俺なりのアドバイスを登に話した。登は納得したように頷き、腰を上げた。少し登が活気付いたように見えた。
「真司、ありがとう。」短い言葉だが感謝が伝わってきた。
「俺、頑張るから。じゃあな。」登は初めて俺にちゃんとした笑顔を見せてくれた。その笑顔が何故か俺には嬉しくも感じた。
次の日、登が西条さんと廊下で話をしている姿を見て俺は驚いたが、同時に尊敬もした。登の勇気と行動力は確実に西条さんの頭の中に登をインプットさせたに違いない。
そんな登の勇気に触発された訳ではないが、丘之城高校野球部は次の試合も勝ち進んだ。丘之城高校のエースは1失点に抑え、駿も椎葉氏も相変わらずの活躍で丘之城高校の躍進の原動力になっていた。スタンドで拍手を送る応援団。登も大きく手を叩いていた。
「真司君ありがとうね。」優里が小さな声で言った。
「え、なんかした?」
「登君にアドバイスしたでしょ?公園にいるとこ、たまたま見ちゃってさ。なんか真司君に言われた後に登君がたくましげに見えたからさ。なんかアドバイスしたのかなって。」
「ああ、まあ登が結局頑張った訳だから。あとは成就を祈るばかり。」
大きく手を叩いく登を見て、優里は嬉しそうに笑っていた。丘之城高校で過ごす最初の夏は、なんだかまた俺にちゃんと歩み寄ることを求めている気がした。
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