第16話

遅めの台風かというくらいの雨が降っていた。2日間も降り続いているおかげでスケッチブックの進行が良かった反面、まるで雨空のようにどんよりした母を見る時間が多くなった。

母も何とか祖父母の手伝いや家事を率先して気持ちを変えようとしているのがよく分かった。しかし会話も振る舞いもぎこちなく、祖父母もこれに対し困惑している様子が見られた。


畑仕事を雨でできない祖父が「おや、真司は天才かあ。」と絵を覗き込んでは褒めてくれる。もちろん祖母もだ。母も微笑んではいるが、どこかぎこちない。この頃、絵の上達が上向きだったのは母を喜ばせるためだったのかもしれない。

「雨だとお友達と遊べないねえ。」

祖母が外を見ながら俺に言った。俺は頷きながら一緒に外を見て溜息をついた。みんなは何をしているのだろう。


小学校にあがるための準備として、俺は文字の書き方や読み方などを母達から教わっていた。幼稚園、保育園に行かない代わりに準備が必要だった。とりあえず最低限のところは抑えておく必要があった。祖母も大きな眼鏡を掛け丁寧に様々な事を教えてくれた。頭を優しく撫でられては、たくさんの褒め言葉をもらった。俺は案外、物覚えが良かったようだ。スケッチブックに絵を描き続ける事が脳の良い刺激になっていたのか、自分でもなんとなく、順調にことが進んでいるとあらた

外からは降りしきる雨の音が響き、幼い俺は不安を抱えていた。激しく地面に雨が叩きつけられる音が、幼い俺に罵声を浴びせているような気がして、雨は特に嫌だった。


この日の夜、祖父母は先に寝ていて、風呂上がりの父が母と話をしているのが聞こえた。俺も部屋にいて寝ていたのだが、なんとなく聞こえた声に目を覚ました。

「おい考え直さないか?」という父の声だ。

思えば夜に父と母が軽く言い合いをしているのを耳にした事が何度かあるが、今日はいつもと少し違った。父がやたらと話の受け側であること。驚く父の声が何度も聞こえてくる。俺は忍び足で階段を降り、不安な気持ちを膨らませて話し声の方に向かう。進む度に耳に入る話し声は緊張感を増させるものばかりだった。


「真司はどうするんだよ。こっちにだって慣れてるんだぞ。また振り回すのか?」

「またって‥あなたの仕事でここに来たんじゃない。真司に選ばせるわよ。私だって、あの子を身勝手に振り回したくない。」

強気の母に弱気の父。あれだけ仲が良い2人がお互いに言葉に怒りや不安などマイナスの要素を絡ませて相手にぶつける。そういったやり取りを盗み聞きしては幼いながらに少しだけ、理解できた事がある。

どうやら母は東京に帰る。俺はどちらかを選ぶ。そんな日がいつか、いや近い日に訪れるかもしれない。そんな不安が一気に押し寄せた。悲しくて座り込みたくなるのを必死に堪え、静かに静かに階段を登った。やがてこの部屋に父と母が来る。去年はお互いの談笑しながら布団に入ってきた父と母が、ここしばらくはお互いにあまり会話をせず、ただ寝に来るだけになってしまっていた。

外の雨音はもうすでに静かになっていた。先ほど少しカーテンを開けてみたところ、空には星が見えていた。これなら明日は外に行ける。みんなは何処にいるだろうか。優里にスケッチブックを見てもらえるだろうか。

明日はきっと、また嫌なことや不安な気持ちを忘れさせてくれる時間が来るに違いない。やがて目を閉じ眠りについた。


そんな明日、そして明日からの日が俺にとって12年後の今でもこれまでも、忘れられず心の暗い部分にずっと潜み続けトラウマとなり、それは俺だけでなくゴッチ達も同じように、そして優里にとっては最悪な出来事が起こる日になるとは、この時全く思わなかった。

幼いながらに人生が変わる日を俺は迎えた。

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