第15話

この頃から俺は、優里と絵を描き合い交換日記のような事を始めていた。ちなみに最初に優里にスケッチブックを渡した翌日には、優里が俺の描いた風景の絵にみんなを付け足してくれたのだ。

みんな、特徴をしっかり掴めていて、とても似ていた。2人で描き上げた作品になった。一緒にいる時はゴッチ達とはしゃぎ、解散した後は家でのお楽しみがこの描き合いだった。自分が描く番の時は真剣に、優里が描く番の時はドキドキワクワクしながら俺は待っていた。


だがこの頃、母は少しおかしかった。俺はたまたまトイレを開けた時、母が泣いていたのを見た事がある。そして祖父、祖母が寝て父がお風呂に入っている時も、深い溜息を吐き涙を流す姿も見た。何より、以前に比べると俺の絵を褒めなくなった。あれだけ嬉しそうにしていた母が、描き上げた絵を見せても「上手ね。」で終わってしまうのだ。母はあまり笑わなくなった。この頃の幼い俺には母の当時の苦労など、全く知らなかった。

母がここでの暮らしに合わなくなっていたのだ。最初はあれだけ幸せそうに見え、張り切っていた母親が1年も経たない期間で苦しむ事になっていた。


母親は東京生まれの東京育ち。本当なら俺も東京でずっと過ごすはずだった。父の転勤が決まらなければこの家に来ることはまず無かったと言える。母はあの大都会の東京からまるで景色が違う群馬の丘之城への引越しは、初めは驚きつつも受け入れたはずだった。

しかしやはり地のギャップの対応が難しかったのだ。


父と結婚するまで勤めた会社では、母は評判の良い事務員だったそうだ。仕事は仕事、プライベートはプライベートでしっかりメリハリをつけている。仕事では先輩後輩にも信頼され、取引先からも頼りにされる働きぶりだったそうだ。


それが退社し、あの頃の働き盛りの日々から解放され、慣れ親しんだ都会からの引越し。確かに群馬は良いところで、都会には無い景色などがたくさんある。しかし母はどこかあの都会の日々を恋しくなっていたようだ。仕事をしていたあの頃を取り戻したくなっていたのかもしれない。まだ1年足らずのこちらの生活。また母の迷いを助長させたのが畑仕事だった。

さすがに祖父母の家にただいるだけでは申し訳なく、祖父の畑仕事を手伝っていた。未経験だけでなく、都会で育った母には想像以上の労働であった。内勤から農作業ではまるで別物である。

祖父の優しさも母には辛かったようだ。ただ祖父も育った環境の違いを考慮した上での気遣いだった。

そして何より、父の不在時間の長さにもあった。

現場管理の立場であるため、朝早くそして夜も遅い事が多く、休日も出勤するなど母の心のケアができていなかった。父も安心していたのだ。母は大丈夫だと過信していたのだ。

しかし母は母なりに何とか慣れようとしていた。俺も母を喜ばせようと明るく振る舞っていた。


やがてこの地へ来て1年が経った。外はすっかり秋らしくなり、木々も秋らしく葉を色付けした木が多く、空も澄み渡っていた。

変わらずゴッチ達との交流が続き、優里とのスケッチブック交換は続いていた。

夏はというと、それは最高の日々だった。自然の中でたくさんの汗をかき、昆虫採取や川の浅瀬での軽い水遊びなど、自然と遊んだという言い方が正しいかもしれない。さすがに花火大会や祭りには子供達だけでは行かせてもらえず、父に連れて行ってもらった。いつかみんなで、そう静かに思いながら父に手を引かれて賑わう町を歩いた。


スケッチブックは3冊目に突入していた。描かれる絵も冬をモチーフにした作品が増え、変わらずみんなが笑顔で過ごす絵が増えていた。俺と優里は約束を交わしていた。それは、春になればみんなが小学生へとなる。俺は通っていないが優里達が幼稚園を卒園する時、渾身の作品を2人で仕上げる事だった。


「わたしが景色、しんじくんはみんなの絵。」

俺が苦手だった人物の絵を俺が描き、優里が景色を描く。初めて2人でやり取りした絵の交換作業の逆の担当作業というわけだ。


「ふたりは絵がだいすきだねえ!」と美久が背後から絵を覗き込む。

「え、しんじうまいじゃーん!」

「いや‥うまくないよ。」

顔から火がでるような恥ずかしさだが、やはり褒められれば嬉しい。そりゃ絵が上手い優里と交換スケッチブックをしていれば嫌でも自分の絵の出来栄えが向上するのも当然かもしれない。


「んーしんじ‥おれはもうちょっとかっこよくさ。」と駿が絵を眺めながら言うと登が頭を叩いた。

「おまえ、ボウズなんだからさ。」

「は?ボウズだからなんだよー!」

ゴッチはいつの間にかスケッチブックを手にし、何かを描き上げる。優里が横から覗き込むと大笑いした。

「はいよ、しゅん。かっこいいだろ?つーか‥ゆり!まじめにかいたんだから笑うなよ!」

ゴッチの描き上げた駿は、まんまるの頭に毛が縦に数本、素朴な顔で真面目に描いたという本人の主張が無ければおふざけにしか見えなかった。


「おいだれだよ!へたすぎじゃんよ!」

駿が絵を見て笑い転げた。

「おまえ‥かわいそう。」と登も手で口を覆い、笑いを堪えていた。

「てめーら‥のぼる!かわいそうってなんだ!」

ゴッチが登を追いかけ回す姿に一同は大笑いが止まらなかった。

彼らといる時間は、ここ最近の母に対する不安を忘れる事ができた。彼らとの出会いは当時の俺には神様に感謝したいほど日々に光を差し込んでくれた。このまま俺はここでみんなと同じ学校に通い、いつまでも友達でいれる。この時はそんな未来を幼いながらに想像して心から笑えていた。


しかし、日に日に母は暗くなり、祖父母も母への対応に困惑し、父もなんとかしたいが仕事が多忙を極めどうにもならない。母の葛藤は常に目に見えた。大人なんだからと何度も自分に言い聞かせるように奮起しては気疲れで落ち込み、幼い俺に対しての自分の態度が母親として失格だと思い再び頭を抱える。帰るとそんな状態の家でも、スケッチブックの絵が俺を励ましてくれていた。

母には「俺は大丈夫」と振る舞いで伝えていたが、逆に母にはそれも辛かったのかもしれない。

俺はスケッチブックを開き、優里からのお題に応えるべく、絵を描き始めた。少し大人になった自分達。次はそんな絵を描いてみよう。

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