第29話

雪は降っていないが、正直厚着をしていても身体を震わせるほどの寒さにも関わらず、結構な頻度でここで集中して作品にとりかかる優里に尊敬の念すらあった。


「鉄人かよ。風邪引くって普通。」

「カイロ貼ってるし、ズボン履いちゃってるし案外大丈夫なんだよ。ズボンの裏はもこもこしてるんだ。」

ズボンを叩きながら自慢げにしている優里だが、寒いことに変わりはないだろう。強がりでもあるし、それだけの気持ちの入りように相変わらずだねと言うしかなかった。


「なかなかいないぞ。こんな日にこんな場所で芸術作りなんて。」

「でしょうね!でもほら、カイロたくさんあるし熱いお茶も水筒にあるし。」

水筒をさする白い手が冷たそうに見えた。水筒から口に熱いお茶を飲むときに、口に辿り着くまでの緊張感が昔から苦手だ。思った以上に熱かったりするので、俺は水筒に熱いお茶は入れない。何度か火傷した経験もある。


「で、進んだんかい?」

にこっと微笑み作品を見せてくる。相変わらず感心してしまう出来栄えだ。冷え切った手で描いたとは思えない。

「でも色付けは家か部室がほとんどだよ?」

「え?そうなの?」

「うん。悩んだり見ながら描いたり色付けたい部分だけここに来て作業してる。写真撮って違うとこで描いたりもするし。この時期は寒いし長い時間いれないし!」

まめな子だよ。そう褒めたくなった。

「よーし完成完成。」

身体を伸ばしながら描き終えた作品を大事にしまう。俺も勝手にホッとしていた。

日はもう少しで暮れようとしていた。12月よりは日が沈むのがやや遅くなった。


「つめてー!」

声のする方を向くと、土手の上に子供が2人いるのが見えた。歩道は雪が掃けているため、脇に積もった雪に足を入れて遊んでいるようだ。さっきまで同じようにはしゃいでいたのを思い出して少し恥ずかしくなった。

「俺帰るよ。優里は?」

「帰るーでも、もう少しだけ!」

「いるの?」

「最終チェックしなくちゃ。」

ここは待つ必要も無いし邪魔してはいけない。俺は先に帰ることにした。これだけ情熱を注いでいるのだから、最後まで余計な雑念は無しで終えていただきたい。


その場を去った俺は、河川敷を離れ橋の上を目指した。子供のはしゃぐ声が聞こえてくる。キャハハハと甲高く響いている。

橋を渡りきったところで北風がやや強めに吹いた。先ほどから吹く北風は音をたてて片耳を冷やし身を縮めた時、確かに北風の音と共にこんな声が聞こえた。

「危ないよ」

それは北風の音に遮られたが確かに聞こえた。突然の事で自分の身が?という危機感もあったが、その声の主はすぐにわかった。そしてその言葉を言われた相手もだった。

橋の下を覗きこむが優里の姿は見えない。まして橋の下にいるならこちらからは見えない。ただ少し顔を上げた時にその姿、状況が確認できた。

俺はすぐに走り出した。左下を見ながら走る先には、おそらく積もった雪の斜面に憧れたであろう、先ほどまで俺がゴッチ達とはしゃいでいたように。

斜面の下、だいぶ川に近い所まで子供は来ていた。その上にはダンボールのような物。ソリとして使ったのだろうか。そして思ったほど進まなかったのか、途中で放置されている。


しかしそれが全ての光景ではなかった。視界に入った子供は1人だ。その子供は何かに手を伸ばしている。もう1人はと探した時、その先にいるのが見えた。体が雪に埋まりかけ身動きがとれていないようだ。かろうじで体が埋まっている子供より上にいる友人がなんとか引き抜こうとしている。だが足を滑らせそうになっている様子から力が入らないようだ。おそらく体が埋まっているすぐ足元は草が茂っていてそこに積もった雪に足を取られている、その先は岸がなくこのまま行けば川に落ちるのはこの位置からよくわかった。その先に川に浸かっているコンクリートブロックの様な物の所に風で飛んだか帽子が引っかかっていた。さっきまで子供の頭が被っていた赤いニット帽子だ。子供心に親に叱られる、またせっかくだからこの斜面をソリで進みたいという気持ちが混じり合った結果だろう。


「待て待てよせ!」

俺の声はトラックの音に阻まれたのか、助けに向かった優里に届かない。

「優里!優里!」

偶然にしては恨めしい、交通量がこのタイミングで増えるかという苛立ちがあった。


ようやく橋の後半まで差し掛かり、視界の角度が変わった先には、いてほしくない位置に優里が来ていた。正義感となんとか子供達を助けたい優里の想いが足を進めさせたのだろう。もう子供達の目の前まで来ていた。雪に埋もれた子供の腕を必死に掴み、反対の手で助けようとしていた子の背中を押し上げて上に登るように指示していた。その子はなんとか木々を頼りに上を目指す。


埋もれた体が更に沈んでいくのがわかる。優里が必死に引き上げようとしている。そして優里自身も少しずつ下に滑っている。

力めば力むほど足が滑るのか、引き上げるよりはその滑りに耐えているようにも見えた。混乱もあり冷静ではいられないだろう。


ようやく優里と子供達がいる真上の位置まで来た。優里も俺の声が近づくにつれ届いてはいたが振り返る余裕がなかったようだ。優里には力が無いのは当然だ。その細い体でよく耐えている。

「優里!待ってろ!」

「うん‥」

弱々しくなっている声を聞くのが辛かった。体力も限界が近そうだ。俺はまず途中まで登りかけている子供を1人背中でおぶった。まずこの子を上に登らせる事にした。

「君は誰か大人を呼んで!」

泣きながら頷くとすぐに辺りを見回しながら走って行った。すぐさま土手を下り、自分も滑らないように木々に手を付き下っていく。

俺は気づかないふりをしていた。あの12年前に近い今の状態を俺の中のトラウマがしつこく告げてくる。警報を鳴らすかのようにその報せはうるさく胸を打った。張り裂けそうにも感じた。あの子は大人を見つけられるか。

冷静にそれを託した判断はあの頃の教訓なのだろう。


「真司君ごめん!」

もう目の前、優里の体を抱えるかしてまずは安全な体制をとり、そのまま俺が優里と変わり引き上げる。それしかないと覚悟を決めて優里へ手を伸ばした。

「あ」

目の前の優里、その前にいる子供。さっきまで愉快に聞こえた雪の音がまるで聞きたくなかった音へと変わった瞬間だった。


優里は体制を崩しながらも子供を引き寄せようと力一杯腕を引いた。だからこそ、俺も手が届いた。だが苦渋の判断を一瞬で迫られた。迷う間はなく俺は飛びつき子供の上着を両手で掴んだ。優里が体を張って守っていた子供を優先した。

代わりに優里の体は子供と位置を変えてやがて視界から消えた。

次に聞こえたのはもっと聞きたくない、12年前に聞いたあの音だった。

ドボン


「何でだよ!」

思わず叫んだ言葉に抱えた子供も驚きつつも、助かった安堵と支えてくれた優里の状況に泣くしかなかった。

抱えたまま少し上の太い木に子供を掴まらせた。

「ここにいて!友達が大人を呼んでくる!絶対離れないで!」

「ごめんなさい‥」と頷きながら答える子供の頭を軽く撫で、すぐに下を見た。流れる川に優里はいない。優里は泳げない。俺のせいで泳げない。

流れの先を見ると水面から僅かに顔と手を出そうとする姿が確認できた。

迷いなく俺は足を滑らせながら並走して優里を追いかけた。


また目の前でこうなって、責めようもどうしようもない怒りと悔しさを足にぶつけて懸命に地面を蹴る。斜面、そして雪に足を取られながらも懸命に流れる優里に追いつき、やがて追い越し、迷う暇も余裕も無かった。どこまで深いかも浅いかも知らない川に飛び込んだ。正しいとは思えないし無謀とも承知だった。ただ唯一冷静だったのは、岸に手が届きやすい位置に飛び込んだ事だ。

一気に押し寄せた水面の冷たさはむしろ痛さだ。歯をくいしばる顎にますます力が入る。急な変化に心臓が止まる場合があると聞くが、それは間違いではないのを体感した。


流れに逆らいつつ優里の正面に入り体で受け止めた。少しでも水から外へと抱き抱えて呼吸をさせる。

「優里!おい!」

意識が無いか返事が聞こえない。

右腕に優里を抱えて足を動かしなんとか左手が岸に着いた。ただ上に登るのは無理だとわかり、最後の詰めの甘さに心底腹がたった。


「くそ‥さみー」

「ありがとう」

優里の声が耳元で聞こえた。すぐに呼びかけたが反応は無い。

夏とは違う。真冬の川に浸かるなんて普通じゃしないし経験も無い。よく真冬に入浴する時に湯船に入るまで震えるが、その状況より今は厳しい。優里の体だけでも早く引き上げてあげたい。それがしてあげられない。このままでは2人とも‥


「おーい!」

上から大人が降りてくるのが見えた。あの子供が見つけてきてくれたのだろう。30代くらいの男の人、更に上で見守るかのようにしているのは奥さんだろうか。その奥さんが更に中年の男の人に俺がいる方を指差して何かを言っている。

「登れません!この子を先に‥お願いします!」

「おし!待ってろ!」

若い男の人が優里の体を掴んだ。中年の男の人も追いつき、掛け声とともに引き上げた。

すぐに上の奥さんに合図する。

「今救急車呼んだ!すぐ来るって!」

「わかった!」

その言葉で一気に安心した。危うく岸から手が離れそうになるほどだった。

その後すぐに俺も引き上げられた。岸に上がっても体は冷え切っていてガタガタと震えてしまった。上着を借りたがほとんど効果が無い。体に感覚も無い。

そして優里は相変わらず意識を失っている。

サイレンの音が聞こえ、奥さんが位置を知らせに走って行く。俺は優里に声をかけつつ助けてくれた2人に何度も何度も頭を下げて感謝した。


救急隊員の人達がすぐに降りてきて俺と優里を抱えて土手の上に登る。子供達は奥さんに頭を撫でられているが、泣き止む様子はない。むしろ俺は無事でいた事、大人を呼んできてくれた事に感謝したかった。紛れもなく優里が助けた子供達だ。


走る救急車の中で自分の体が精一杯ではあったが、優里が気になって仕方がない。やがてゆっくりと俺の意識も遠のき、目の前が暗くなった。

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