第30話
あの日の事を一から見直す夢を見た。夢と言えるか分からないが、夢の中で全てを見直していた。上から眺めているような状態だ。ただ俺には実体がなく、上からまるで監視カメラを見ているような気分だ。
優里が川へ落ちて呆然とする自分に助言をしたくとも声は出せない。なんとか捕まる優里を置いて大人を探しに行くあの日の俺、呼び止める優里、そして力尽き流されて行く。
一命を取り留めたものの、それから俺の苦しみが始まった。俺だけではなく、それは優里にとってもだ。「トラウマ」を抱えたのは優里の方だ。俺のはただ、「後悔」なのかもしれない。
「え?」
急に白い物が視界に広がった。良く見ると線が入っている。これは何処かの天井だとわかった。上に乗せられた布団の温もりがつい先ほど掛けられたものではないようだ。長時間による暖かみを感じた。
俺は上体を起こし周囲を確認し、病院内であることを理解すると冷静にナースコールを押した。
「はーい。あ!気付いたね。」と若い看護師さんがすぐに来てくれた。すぐさま体温計を渡され熱を計ると、大丈夫と頷きながら、すぐに父へ連絡してくれるようだ。
「あのー。」
「え?」
まさかとは思いつつ、いったん呼吸を置いてきりだした。
「女の子が‥」
看護師さんがすぐに笑顔を見せてくれた事で自分の中の緊張が一つ緩まった。ただ最悪の結果は避けられただけだった。
「今はまだ意識が無いの。でも命に関わる心配はないよ。木村君のおかげ。」
「そうですか。意識が無いっていうのは?」
「溺れてしまったのもあるし、お母さんが言ってたけど幼い時にも経験してたみたいだからショックもあると思う。なにせ水温も低くて体も冷えきってて危ない状態だったのは事実なんだけど。」
駆けつけた優里の家族を想うと胸が痛かった。また娘がこんな目になんて、どれだけ不安なことか。
「木村君も熱が凄かったけど、もう大丈夫そうだね。子供を2人で助けたんだって?子供の親御さんが感謝しきれないって木村君達のの親御さんにお礼と謝罪してたよ。」
「あの子達が無事なら良かったです。自分達もそれが何よりです。」
「2人がいなかったら、どうなってたか分からないからね。」
その言葉が胸に刺さった。まさに12年前、結果的に助かったがまさに優里が助けた子達が危うくあの日のようになるところだったからだ。
「本当ですね。」それが精一杯の返答だった。
「おお真司。お前偉いぞー!」
見舞いに来た祖父、薄っすら涙を見せた祖母を見て俺もやっと安心する事ができた。
「良かった良かったよ。」
何度も何度も頷く祖母に俺も柔らかい表情で頷いて応える。父は後ほど来てくれるそうだ。祖父母とゆっくり会話をして、明後日の退院で迎えに来てもらうようお願いした。
俺は優里がずっと気になっていた。出歩く事が許された俺は、数々の不安を胸に同じ廊下沿いにある優里の病室に向かった。すれ違う患者は車椅子の人、点滴と共に歩く人もいて様々だ。ただ優里に関しては意識は無い。
俺は唾を飲み込み病室を開けた。
優里はまるで眠っているようだった。白い肌に艶やかな黒髪、化粧をしなくても可愛らしい顔は美久が嫉妬するのもよくわかる。
「優里。ごめんな、また俺だけ‥だな。」
返事は無い。ただゆっくり呼吸はしている。その呼吸が無事、という立派な知らせだ。
「お前凄いよ。泳げないのに普通さ、あそこまでできないよ。でも‥子供達は無事だってよ。」
少し表情が和らいで見えた気がした。気のせいかもしれないが、それでも嬉しかった。意識が無い中で、優里は子供達の安否を気遣っているに違いない。こいつはそういう奴だ。
「お!目覚めたか救世主!」
賑やかな足音の正体はやはり彼らだった。
心配かけたはずだ。最初耳にした時はどう思っただろうか。俺だってゴッチや美久が、なんて聞いたら冷静じゃいられない。
「お前らすげえよ。良くやったよ。」
肩をバシバシ叩く駿の後ろで登が2度頷いた。
「登なんてよ、先生からお前らの報告聞いた時思わず立ち上がって叫んだらしいからよ。」
「な、おい!誰が叫ぶんだよ。」
「はあ⁉︎って叫んだし。廊下に響いたし。」
登が顔を真っ赤にして言い返すのをやめた。
「ありがとう登。ごめんな心配かけたよ。」
「優里ーまだ寝てるの?」と美久がベッドの横に近寄る。買ってきた花を台に置いて優里の頭を優しく撫でた。
「良かったねいたのが優里だけじゃなくて。助かったね。」
「ああ、真司いなきゃやばかったろ。」
俺は当時の状況を詳しく説明した。優里の勇気、行動を全て説明した。
「優里ー凄いよあんた。」美久はまた優里の頭を優しく撫でた。
「退院は?」
「一応、明後日かな。」
「俺ら学校かー仕方ないね。」
ちょうど平日になる。学校には父から連絡を入れてもらっている。担任の前田先生も俺が意識を無くしている間に見舞いに来てくれたそうだ。その際、先生は父に転校に必要な書類を渡してくれた。受理されれば手続きは完了になる。次の休みに東京へ行き学校へ手続きをしに行く。前田先生は非常に残念がっていた、と祖父から聞いていた。
退院までは本当にスムーズに進んだ。最後の検査も問題無く、子供達と子供達の親にまた感謝をされた。そして優里の親に会い何度も泣きながらお礼をされた。優里の親に会うのは実に12年ぶりだ。さすがに俺も顔は覚えていなかった。
「こちらこそ、もう少し早く駆けつけていれば。」
そう言うのが精一杯だった。
学校では色々な人に会うたびに話を聞かれた。正直何度も同じ話をするのは辛く、まして目覚めない優里を思うと余計に気さくに話せる気分ではなかった。クラスメートは特に、優里の姿が無いため、最初以外はその話題に触れてはこなかった。優里が復帰した時に盛大に迎えてあげたいと言ってくれたのが何よりだった。
昼休みに職員室を訪ねた。ついに来たか、という前田先生の表情がなんとなく嬉しかった。この先生は本当に生徒思いだ。
「結局あれか、神野とかには言えずか?」
「はい。3月中には言わないと‥。」
「そりゃそうだな。あ、竹沢の作品な‥あれ未完成だろうけど、美術部の先生がそれでも3月に入ったらちゃんとコンテストに出すってさ。竹沢が目覚めて仕上げられれば良いけどな。」
さすが前田先生だ。ちゃんとわかってくれていた。優里もひとまず安心だろう。一応完成はしていると言っていたから問題は無いはずだ。
「お願いします!優里も安心しますよ。」
「ああ。で、書類はどうだ?」
俺は先生に差し出すと中を確認した。
「寂しくなるなあ。」
「はい。でも、決めたことなんで。」
頷きながら書類に目を通して、真っ直ぐ俺を見た。
「お前は良い友達持ったよな。あいつらアホな事ばっかだけど最高に友達想いだしな。あいつらみたいなん大好きだ俺。」
笑いながら書類を整えて封筒にしまう。
「俺も、ここに来て良かったって思ってます。」
「はは!そうかあ。」
まるで駿みたいに肩をバシバシ叩いた。
その放課後、俺は優里の病室にいた。椅子に座って眠る優里の顔を見ていた。あれから5日は経つが、容態が安定しているものの、意識が戻らない。
ふと机を見ると、美久が飾った花の隣にスケッチブックがあった。昨日までは確かに無かった。優里の親が持ってきたのかもしれない。見た目は新しくないスケッチブックに首を傾げながらめくってみた。1枚目は動物や植物、色々な絵が描いてある。ただ、最近の優里の画力ではないのが一目でわかった。何か幼さを感じるが、幼い子が描いたにしてはかなり上手い作品だ。自分の中に沸いた気持ちがある。それは「懐かしさ」だった。紛れもなく、優里が描いた作品だ。それも最近ではなくもっと前。
次の1枚を見て驚いた。思わず顔を近づけてしまうほどだった。
いつも通りの川の絵、ただいつもと違うのはそこに人物が描かれている事だ。そこにいるのは6人。一目でわかった俺の姿。幼い頃の俺がその絵の中にいた。もちろんゴッチ達もいて、俺はその輪の中に存在していた。見覚えのあるゴッチ達の服装、いつも見ている側の優里もしっかり隣に描かれていた。
「あれ?」
次の1枚を見ると俺の姿はなく5人だけになっていて、更にその次も、その次も俺の姿はなかった。見ていて気付いたのは絵の中のゴッチ達が徐々に成長していること。ランドセルを背負ったり、優里の画力が向上していたりと変わらない景色の中にもこういった変化があった。おそらく1年おきに描かれているようだ。1年おきに優里はこのスケッチブックに絵を描いてそれを見直しては楽しんでいたのかもしれない。
ところどころ、余白に落書きがしてあったり自由に使われているのもこのスケッチブックの特徴だった。
「最近描いたのかな。」
スケッチブックの最後の1枚が開かれると、よく見る優里の絵のタッチに近い景色が描かれていた。
そして色鉛筆を使っているため、いつもよりも違った見栄えだった。いつもの景色のみが描かれた1枚でこのスケッチブックは終わりを迎えていた。まるで優里達の歴史を振り返るかのような一冊をじっくり見る。最初の6人が描かれた絵に戻り、次の1枚を見る。1人減った絵を描いている時、優里は何を思っていたのだろうか。よく見るとその答えがちゃんと書かれていた。その1枚の隅の余白に書かれていたのは、「ごめんね」の4文字だった。
それが俺に向けられていたのかわからない。ただ疑問に思ったのは「ごめんね」の字だった。幼い頃書いたにしては達筆に見えた。平仮名4文字だがこの頃に書いた時ならこの頃らしからぬ達筆具合だった。実際に最初の1枚に動物の名前などいくつか文字が書いてあるが「ごめんね」の文字とはかけ離れたこの頃らしいバランスの字体だった。
その謎を解く答えもあった。この絵の右下には西暦と日付が書いてあった。そして何枚かめくるとその10年後の西暦が書かれた絵がある。そこには5人の姿がある。この2枚だけ、西暦が書かれているのに俺は気付き、同時にこの「ごめんね」は、あれから10年後の優里が書いた言葉だったという事を理解した。
自分が馬鹿みたいに思えた。ずっとずっと引きずっていた事、申し訳ない気持ちや様々な無念さをずっと引きずっていた事。
それは優里も同じだったのかと。むしろ謝る必要なんて全く無い優里が、いなくなった俺にそう思ってくれていた事。6人から5人になった事に対して、責任を感じてしまっていた事、例え親の都合とはいえ挨拶も無しにいなくなれば誰だって、優里は特にそう思ってしまっていた。
とっさに優里のスケッチブックを逸らしたのは、まるで栓が抜けたように目から涙が溢れてしまったからだ。濡らさないようにスケッチブックを抱え、自分でも驚くくらい泣いてしまった。この件で泣いたのは初めてだった。10年を超える思いが涙に変わったかのように俺は泣き続けた。
なんとか落ち着かせてはすぐにスケッチブックの最後の1枚を開いた。鮮やかな色鉛筆で描かれたいつもの景色が目の前に広がる。
俺はじっとその絵を見た後、手に色鉛筆を握った。
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