第31話

マルが小屋から出て俺の目の前で座り、頭を撫でてくれと差し出した。

「よしよし。行ってくるよー。」

マルをこれでもかと撫でた後、祖母に出発を告げる。祖父は朝から畑に行っていた。

「気をつけるんだよ、寒くない?」

「寒いのは諦めたよ。」

祖母は俺にカイロを渡した後、一通りの荷物の確認し、見送ってくれた。


路面凍結があるため、駅までは徒歩で行く事にした。およそ30分の道のりなので、運動がてらちょうど良かった。

少し早めに出たのは理由がある。駅とは少し違う方へ足を運ぶ。弱々しくもしっかり冷たい風が顔から冷やしてくる。走ろうとしたが風当たりが強くなるのを恐れて歩き続ける事にした。よく晴れた天気だった。山の方は綺麗に白に包まれていた。あれ以来の橋の下だった。当たり前だが優里の姿は無い。番人のようにいた優里は、まだ病院で眠っている。


今朝、いつものメッセージアプリを通じて優里の見舞いの誘いがゴッチから来たが、東京に用があると断りを入れていた。ゴッチ達は優里の見舞いに今頃行っているかもしれない。優里が早く目を覚ますことが彼ら、そして俺の何よりの願いだ。

穏やかに流れる川があの日のように牙をむく。ましてやいつも優しく見守り絵を描く優里にさえ、2度も牙をむいた。優里はもうここへ来るのが怖いのではないだろうか。


再び駅へ向かって歩き出した。橋の上を渡る時、ふと下を見てあの日のあった光景が浮かんだ。もう少し早く、気付いていればと後悔がある。あの子供達は大丈夫だろうか。必要以上に自分を責めていないだろうか。俺みたいにはなってほしくないのが本音だ。

一馬達にはまだこの件に関しては話をしていない。正式に手続きが完了した後、話をしようと思っている。まずはこっちの友人にしっかり話をしなくてはならない。


あと電車が来るまで30分時間がある。余裕を持って出てきた分、時間が余った。ここから乗り継ぎを重ねて東京へ行く。向こうへ着くのは午後だ。父が出張で先に東京へ行っている。最悪は父が泊まるホテルに泊まり、一馬達に連絡を取り合流して驚かせてやろう。

そんな事を考えているうちに駅まで直線の所まで来た。相変わらずの哀愁漂うような田舎の駅。だがこれが良いといつの間にか思うようになった。色々な店が付属した東京の賑やかさももちろん良いが、電車を迎えて送る。ただその目的だけを果たすこの駅からここでの1年間が始まったのだ。

次に来る時は、別れの時になってしまうがー


「おい。」

「ん、え?」

何も構えていない時に急に呼びかけられると人はここまで無意識になるかと思うほど勢い良く振り返ってしまった。

鼓動の高鳴りが加速して行くのがわかった。目の前にはゴッチ、駿、登、美久の4人がいた。ただその表情はいつもの俺に向けてくれる表情ではなく、見た事ないほどに険しくなった表情だった。急にアスファルトに足が沈んでいくような重圧を感じがした。まず間違いなく良い状況ではないのは確かだ。


「あれ‥みんな。」

精一杯の冷静さを見せたつもりだが、4人の表情は全く変わらない。今すぐに電車に駆け込みたかったがあいにく電車はまだ来ない。


「真司。どこ行くんだ?」

「え、東京だよ。」

「何しに行くんだ?」

「えっとー」

短い会話が息苦しい。ゴッチから目を逸らしたい。体が固まってしまっている。

「お前さ‥12年前にも俺らといたよな?」

あまりにも直球をぶつけられた質問に俺はどれだけ黙っていたのか。弱々しい風の音がはっきり聞こえるほどの静寂が続いた。

美久がスケッチブックを取り出した。もちろん見覚えがある。優里の病室にあったあのスケッチブックだった。


「これさ、真司だよね?描いたの。」

めくられたのは最後の1枚。そこには優里が色鉛筆で描いたいつもの景色に俺を含めた6人の姿。今の俺やゴッチ達、そしてその隣に幼いあの頃の6人を描いている。これは美久の言う通り俺が描いた絵だ。いつか優里が見た時に、何か気持ちが伝われば、そう思い描いた絵だ。決して種明かしのつもりとかではない。ただあの頃優里とスケッチブックを交換して描き合いをしていた頃のように俺も描いた。あの頃の6人と今の6人を描いたのは、申し訳ない気持ちと感謝の気持ちのつもりだった。しかしこうも早く、しかもゴッチ達に見られたのはまさかの展開だった。


「お前、斎藤真司だろ?」

「斎藤‥。」

「まあ木村になった理由はあれだけど、あの時の斎藤真司なんだろ?」

もう全てが崩れた気がした。この1年の彼らとの思い出が一瞬にしてまるで無意味だったかのように、俺のせいで無くなっていく。砂の城が風で崩れていくように。


「うん。そう、あの頃は斎藤真司だよ。」

「やっぱりか。」と駿も険しい表情を変えない。いつも笑顔の駿も今ばかりは口を真一文字でいる。


「ごめん。言えなかった。ごめん。」

頭を下げた。謝るしかできない。彼らは木村真司を恨んでいる。優里をあんな目に合わせた。そして素性を隠し、また優里をあんな目に合わせた。もう俺はここにはいられない。


「おい!」

勢い良く胸ぐらをゴッチに掴まれた。体は硬直し、無意識に歯をくいしばる。殴られても仕方ない。俺は恨まれている。目の前に斎藤真司がいるのなら、必然的にこうなるのは覚悟の上だ。目を固く瞑り、歯をくいしばる。胸ぐらを掴んだ手が震えているのがわかる。怒りがゴッチをこうさせている。原因はもちろんこの俺だ。

しかしまた予想外の事が起きた。頭が追いつかない。目を疑い混乱する頭をなんとか落ち着かせようとした。


目の前には、下を向き大粒の涙を流すゴッチ。その後ろには同じく涙を流す駿、登、美久。信じられない光景だった。何故彼らが涙を流すのか、俺はますます混乱してしまった。


「なんで‥」

ゴッチの声が震えていた。

「なんで黙って消えたんだよぉ」

「え‥」

ゴッチは顔を上げて真っ直ぐ俺を見た。目には涙が溜まっている。

「俺らが頭きてたんはなあ!お前が‥お前が1人で抱えて!友達の俺達に黙ってどっか行っちまったからだよぉ!」

体を激しく揺さぶり、先ほどよりもっと涙を流し下を向くゴッチ、その後ろにはゴッチに続いて大粒の涙を流す3人。

俺の目からも自然と涙が溢れた。

「誰もお前のせいなんて思ってねーよ‥家の都合じゃ仕方ねー。でも何も言わなかったんはそういう事だろ?真司!」

「俺は‥」

温かい涙が頬を伝っていく。優里の病室で流した涙と似た意味合いな気がした。優里だけではなく、ゴッチ達も。こうしてずっと苦しんでいたのか。


「優里をあんな目に合わせて‥」

「優里はお前を責めてねーよ‥でも俺はお前を許さねーと思ってた!優里が溺れたんは今回もだけどお前は悪くねー。ただお前にとって俺達はなんだった?今回もだ!」

美久が両手で目をしっかり拭いた。それでも涙はすぐに目に溜まるようだ。


「昨日ね、放課後に、かなやんが私のお母さんの店に来たの。私も手伝いしてたんだけど‥前田先生の机の上に転校手続きの書類って付箋が貼られてたのが置いてあったって‥。」

美久が目を擦りながら途切れた言葉をなんとか絞り出す。

「真司が廊下を歩いてた時に持ってたファイルに似てたから、何か知ってるかって。まさかと思ったよ。友達だからそれなら先に言ってくれると思ってたから。でも‥」

それ以上美久は何も言わなかった。

「お前だけが抱えたんじゃねーよ。ここにいる全員、眠ってる優里、みんなが抱えてたんだよ。俺達の後悔は‥お前だけに責任負わせちまった事。」

駿はやっと少し微笑んだ。

「何も言わずいなくなってよ。また行くのか?今回何も言わなかったんは何でだ?」

俺は彼らに対しての申し訳なさが倍に膨らんだ。彼らは常に俺に対して本気の友情を抱いていてくれていた事。何も言わずに去る事が彼らのため、なんて勝手に思っていた自分。ただそれは自分のためだけであった事。トラウマから逃げていたつもりがいつの間にか彼らから逃げているようになっていた事。

彼らが自分達を責めていたにも関わらず、俺自身の苦しみだけを尊重し彼らの事を考えていなかった事、今全てを理解した時、一度止まった涙が再び溢れ出した。


「俺‥斎藤真司って‥バレちゃったら‥もうみんなと一緒にいてもらえないって思ってた。」

「馬鹿野郎が‥」と登が初めて口を開く。

「すぐにあの時みたいに仲間に入れてくれて‥最初はどうしようかと思ってたけど‥すぐに居心地が良くなって、でもどうしても‥どうしてもあの時の事が頭にあって、それで」

「お前俺達が好きか?」

話を割るように唐突にゴッチが問いかけた。

「どうなん?もう離れたい?」と美久が続く。

「嫌いとか、離れたいとかだったら‥こんな泣かないって‥」

ぐしゃぐしゃの顔を4人に見せた。でも4人とも俺に負けないくらいぐしゃぐしゃだ。


「優里は言ってたぞ。真司が私の事、変に気にしてないかって‥元気でいてほしいって。真司は悪くないってよ。」

「あたしら、そんな酷い奴らじゃないんだけど?あんた捕まえて優里の件を責めるわけないじゃん!」

いつもの口調の美久に戻っていた。

「俺達が怒ってたんは、お前が友達である俺達に何も言わないで逃げた事だ。優里もそうだけど、お前の事も同じくらい心配してたんだぞ?」

登が少し前に出て俺を見る。そしてゆっくりと口を開いた。

「東京行ってほしくない。無理にとは言わないが、みんなで卒業できたらいい。」

「お、珍しく熱い事を‥」

「お前はどっかいけ。」

登が勢い良くゴッチの頭を叩く。珍しい反撃と頭を抱え痛がるゴッチを見ていつも通りの笑いが起きた。

俺はまた泣いてしまった。見ればまた4人も泣いていた。終わらない笑い声がいつまでも響いていた。気付けば電車も出発していた事を時計を見て気が付いた。


「ありがとう。」自然と出た言葉だ。あともう一つ、言っておかなければならない言葉もある。

「ごめん。」

「本当だよー。友達なんにさ。」美久が目を拭きながらいつもの笑顔を見せる。

「東京行くんか?」

「凄い申し訳ないし自分勝手なんだけど‥」

視線が俺に集まった。緊張感が伝わってくる。

「こっちで卒業したいんだ。まだ手続き終わってない。」

「でも急にやっぱりしませんなんて、通るのか?」

昨日の夜、父から電話が来た。やはり群馬で卒業してからこっちに来ればいいのでは、という内容だった。進学するなら東京に戻って大学や専門学校に行く。それで良いのでは、という提案だった。たまたま仕事中、俺がゴッチ達といるところを目撃したそうだ。俺が楽しそうに笑う姿を見て、せめて群馬でゴッチ達と卒業して欲しいと考えたそうだ。


「友達だから言う、俺また逃げようとしてた。でも、今はもう離れたくない。我儘だし自分勝手なんだけど‥俺いていいかな?」

4人が顔を見合わせた。その表情に険しさはすっかり消えている。

「本当に我儘な奴だなあ。いろよ好きなだけ。」

「もう気まずさは無いでしょ?今日からある意味本当の友達ね!」と美久がバシバシ背中を叩き、少し咽せた。

「んじゃ、長年のわだかまりが解消されたとこで、優里さんに挨拶行くか。あいつまた寝てないだろうな?」

「また」という言葉に引っかかった。

「またって?」

「目覚めたよ。ちゃんと、さっきな。」

俺を駅まで探しに来る前に、優里は目を覚ましたそうだ。俺は更に気持ちがすっと軽くなった。

「ちゃんと優里にも謝りなさいよー?スケッチブックにも描いちゃってー。でも優里が気付いたんだよ?真司君が帰って来たーって喜んでたよ。」

「起きて早々な。」

俺の肩にいつものようにゴッチは腕を回した。俺は恥ずかしくなった。何故彼らを信じなかったのか、勝手に塞ぎ込んだのか。

彼らもそんな俺への後悔を俺と同じ年月抱いていた。それは俺を友達として認めていたから、だからこそ怒りもあったのだ。


「ありがとう。」

もう一度、さっきよりも大きな声で伝えた。俺もゴッチの肩に腕を回した。長年、俺の中に住みついたトラウマが、羽ばたいていく感覚があった。もしかしたらこのトラウマは、俺に気付かせたかったのかもしれない。勝手に決めつけていただけで、本当は再び結びつけようとしていてくれたのかもしれない。

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