第21話
変わらず快晴を続ける空は午前よりも薄っすらと雲があるけど雨は降る心配は一切無く、逆に少し暑く感じていたので、涼しさが増す方を期待していた。
丘之城高校全体が盛り上がり、いつも以上に活気を見せていた体育祭も、いよいよ最後の種目であるリレーで幕を閉じる事になる。これほどの活気があるのなら、教師一同は非常に微笑ましい事だろう。我が校はここまでクラスで力を合わせて、一つの行事に力を注ぎ、笑顔が溢れ活気があると、教師並びに保護者も心にくるものがあるのではないかと、勝手に大人の気持ちを察していた。
すでに1年生のリレーが始まっており、会場は更に熱を増し盛り上がった。午前中の盛り上がりの遥か上をいく盛り上がりに、俺は度肝を抜かれてしまった。
「よ!お前何走で走るんだ?」
しゃがんで靴の紐を縛り直していると、頭の上からゴッチの声が聞こえた。見上げると腕をまくって自信ありげに立っているゴッチがいる。
「4走目。アンカーの前だね。」
「はは!一緒じゃんか。いいねー負けねーから。」
「走る時に俺が先にバトンを貰うかゴッチが先に貰うかだね。」
4走目となるとある程度の順位が決まっているであろう。正直な話、接戦では自信が無くて困るのである程度の差が欲しいところだ。リレーには駿も出るし椎葉氏も出ると聞いた。各クラスの体育会系が揃うこの種目に俺が出場するのは如何なものかと思ったのだが、実は短距離はそこそこ良いタイムを春に行われた体力測定で叩き出してしまった結果がこれだ。クラスの期待はかなりのものだが、申し訳ない事に現役の運動部の連中と肩を並べて走れる気は全くしない。この不安さとは真逆で爽快な空を見上げてしまった俺だったが、逆にこの空が俺を少し励ましてくれた気がした。思い込みである事に変わりはないと思うのだが。
1年生のリレーが行なわれるので、2年生はそれぞれのスタート位置に近い所であらかじめ待機をしていた。4走目の俺は1番走者である悠太と対角線で準備をしていた。2番走者である岸田とお互いの不安な心境を分かち合っていた。岸田も俺と同じく帰宅部ではあるが、中学までバスケットをしていて、なかなかの実績を持っていたと聞いた。しかし中学で辞めてしまったのは、中学でバスケ漬けの3年間を高校の3年間で自由を取り戻したいとの理由だそうだ。岸田は気さくで自由が似合う男だ。悠太や朋也よりは騒がしくないが、たまにクラスを振り向かせ、文字通り「どっ」と笑いが起こる発言をする。そんな岸田も今日は口を開けば後ろ向きな発言が漏れ出した。
「きついなあキム。俺もさ、中学までバスケットしてスポーツマンだったからさ。体力測定では好成績だったんだよ。自分を恨むよ。」
A判定を叩き出した岸田の選出は仕方のない「必然」だった。更に深い溜息をつき「やれやれ」と首を振った。
「でも岸田は足を引っ張らないだろ。俺なんてやばいよ。うん‥確実にやばい。」
緊張でのどが渇く。もう少し水分を補給しても良かった。ただあの時は丁度良い水分補給だったはずだ。なのにたった数分でこれだ。
しばらく岸田との会話が途切れ、自分の高鳴る鼓動を確認しているところで会場のアナウンスが1年生のリレーの終了を告げた。顔を上げるといつの間にか終了しており1年生のリレー出場者は喜びや悔しさを表したりなど様々だった。少し見ておきたかったのにと、自分の精神的な弱さを恨んだ。そしてここでいよいよ俺と岸田の不安を決意に移行させる時がきた。
「やるしかないぞキム。」
岸田と2人でゆっくり立ち上がり、お尻についた砂を払う。岸田は俺より少し背が高い。しかも俺より足が速いのは確実。なるほど、決意した直後にやっぱり岸田より俺の方が不安になる理由がちゃんとあるんだと思ってしまった。そしてなんとなく、なんとなくだが岸田の表情に自信というものが見え隠れしているのがわかる。
「間もなく最後の種目リレー、2年生の部を始めます。」
実行委員の女子生徒によるアナウンスと同時に、2年生のクラスが一斉に沸いた。
「頑張れよ!」とか出場するクラスメートの名前を叫んで激励したりといかにこのリレーがメインイベントなのかを認知させてくれた。当然、俺の名前も叫ばれた。声の主の方は向かず、右手を上げて返事をした。声の主は担任の前田先生であることはすぐにわかった。生徒の前に立ち声を張り上げる先生は前田先生のお決まりであるようだった。担任からも期待を寄せられるとますます緊張が高まる。その面では少し自重して欲しい気もしたが、微笑ましい光景であり、他のクラスからも羨ましがられているため、小心者の俺には余計な意見はする必要がない。
やがて1走目がスタートの位置につき、2年生のリレーが始まろうとしている。ほんの一瞬だが、静寂が訪れたのがわかった。ほんの一瞬の内に、俺の喉が唾を飲んだ音が自分で聞こえた。その直後、パンと乾いた音が響き、一斉に走り出す第1走者が勢い良くスタートラインを蹴った。岸田が第1走者の悠太を見ずに自らの用意に専念している。悠太は2着にいるのがわかった。スタートこそは良くなかったが、加速が速いらしくコーナーで一気に2人を抜いて2着になった。
やがて岸田の名を叫び、岸田も頷きゆっくり前へ出た。理想のバトンタッチだと思った。椎葉氏が先頭を走り、相変わらずの黄色い声援を身体中に浴びるすぐ後ろに岸田が着いている。
「はえーな岸田のやつ。」
俺のすぐ隣で関心するゴッチのクラスは3着にいる。反対側にはアンカーを務める駿が跳ねながら身体を慣らしているのが見える。岸田は椎葉氏と距離を詰めたまま、同じクラスのバレー部である西田にバトンを渡した。西田は背が低く、バレーではリベロのポジションを任されている。ところがバレー部の中では1番を争う俊足の持ち主だった。細かい足の動きで地を蹴り俺を目がけて懸命に走る。困った事にずっと2着なのが我がクラスだ。
「
ゴッチのクラスの権田は西田と真逆で高身長で、まさにノッポだ。西田とは違い大きく足を動かし踏み出す距離が長い。更に困った事に西田との距離が縮んでしまっている。見て見ぬフリが精一杯だが、やがて西田の必死な表情がわかるくらいの距離に西田が近づいてきた。俺は少し前に走り出し西田からバトンを受け取った。掌にしっかり渡されたバトンは少し痛く感じだ。これはクラスの想いだと感じ取ると自然と足が強く地を蹴り、風を切りながら俺は加速していく。自分でも驚くほど、いつもよりも速く感じる。そう自分に酔いそうになった時だった。
「待てよ真司!」
後ろからゴッチの声が迫っていた。その言葉に思わず振り向いてしまう。ゴッチはその体を大きく動かし俺との距離を詰めていた。その瞬間、ゴッチが12年前の姿として目に映った。当時の姿のゴッチは俺を追いかけてくる。俺はまさに逃げている状況であった。今まで何もかも楽しく感じられた時間。リレーの緊張感だっていい意味での刺激となり俺は間違いなく楽しんでいた。ただ目の前までアンカーの朋也が近づいている。このバトンを渡せばこの状況から脱することができる。別の意味で必死になっている自分が恥ずかしい。俺は力強く朋也にバトンを渡した。
「痛!」と朋也が声を出しバトンを握りしめ走り出した。つい力が入ってしまったのを、終わったら朋也に謝ろう。
「くそー真司に逃げられた。」
後ろで膝に手を付けて呼吸を整えるゴッチが悔しそうに声を振り絞る。アンカー達はすでにコーナーを曲がり直線へと差し掛かっていた。先頭は駿で朋也が2着、このまま行くだろうと思った。これが最初の体育祭の最後の大歓声かと思うと、やはり寂しさがある。ましてやあの事をしばらく忘れさせてくれていたのが大きい。しかし再び目の前に立ちはだかり、ゴッチのあの事とは無関係の言葉にも関わらず返事ができない自分がいる。
突然、体に大きな腕が巻き付いた。たくましく男らしい腕だ。
「今日は負けたぜ。」
ゴッチは負けたという台詞に似合わない爽やか笑顔を向けていた。これが非常にありがたかった。俺は言葉ではなく笑顔で返すことにした。
「くそー駿のやつ。」
ゴッチと同じ方へ向くと、ゴールテープを1着で切る駿がいた。両腕を目一杯突き上げ全身で喜んでいた。駿のクラスは倍の声量でクラスの勝利を喜ぶ。学生でしか味わえないクラスでの歓喜だった。
「2人かがりで駿に勝とう。」
自然と出た言葉は何の気遣いも無く、違和感もなかった。
「え?駆けっこでか?」
「うーん、おかしいねそれ。」
「俺が取り押さえるか転ばすかだな。」
「スポーツマンシップはもう必要ないね。」
この体育祭が終わればテスト、マラソン大会とやる事はまだまだある。だから俺に降りかかる不安、急に現れる不安もこの学校生活が忘れさせてくれる。笑顔の方が大半を占める周りを見渡せば尚更そう思えた。ゴッチは駿の元へ駆け寄り羽交い締めにしていた。周囲から大きな笑いが起き、俺も自然と笑い声が出た。
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