第25話
冬休みは充実していた。群馬に帰るとすぐにゴッチ達から召集がかかり、お土産を持って会いに行った。案の定、お土産と本当についでのように土産話を求められた。美久は買ってきたチョコレートのお菓子を「さすが東京!」と連呼しながら美味しそうに頬張っていた。雷門での写真には歓声があがった。
気付いたのは東京から出た時は妙な不安や寂しさが頭と胸を駆け巡っていたが、今では彼らに会えた安心感があり、妙な不安や寂しさもいつの間にか姿を消していた。群馬に帰れば群馬の俺がある。そういう事なのだろう。
しかしこんな事もあった。冬休みの最終日。俺はどこにも出かけずにいた。珍しく父が1日家にいる事もあり、祖父も畑仕事は休み全員で同じ屋根の下でのんびり過ごしていた。俺が犬のマルの頭を撫でに外に出た時だった。
「なあ真司。こっちは、気に入ってるのか?」
「え?ああ、友達も良いやつばかりだし楽しいよ。なんで?」
父は少し困った顔で澄んだ冬の空を見上げて言葉を探していた。質問の内容に少し察しがついたのは、俺も成長しているからなのか。
気に入っているのか?の質問の後にあの表情は、おそらく察しの通りだろう。
「何かあったの?」と切り出したのは、息子から父への気遣いだった。
「まあ、急な話でな。東京に戻れないか?って打診が来てるんだ。群馬の立て直しがうまくいって下も育ってな。任せられそうなんだ。」
思った通りだった。もともと群馬の支社の業績が厳しく、手腕を買われた父が送られて立て直していた。そして若い人材が育ち優秀だと父もよく話していた。そしてこれは誘いだろう。父も母と離婚して俺を大事にしてくれた。父も俺を置いて東京に戻るのは心苦しい事は言わなくてもわかった。父は頭を掻きながら言葉を探しているようだった。
「ちょっと時間ちょうだい。急ぐ?」
気が楽になったのか父の表情から迷いや様々な想いが薄くなった。
「ああ。まだいい。ただ3月には行かなきゃなんだ。お前にはこんな事ばかりに付き合わせて申し訳ないなぁ。」
「仕方ないでしょ。仕事だしさ。」
父は息子の俺に頭を下げた。内心、俺は大変な選択を迫られている事に困惑していたが、父の事を思いなるべく顔に出さない努力をした。父の死角にある俺の右手が忙しく動いていた。マルはその忙しく動く右手を見つめ気になっている様子だった。
「ここにいたい!離れたくない!」
その台詞が飛び出さなかったのは東京の生活と等しいくらいの価値だからだ。だけど心の中には「逃げ」の2文字がやたらとちらつく。本当に厄介な過去のトラウマだった。
いつまでも付きまとい心を掻き乱す。これさえ無ければどれだけ気楽だと何度も苛立った事もある。優里のあの日の光景がいつまでも俺を苦しめた。あの日の幼い俺がいつまでもあの日のまま、心に居続けている気がする。
決して忘れさせてはくれない。自分自身を閉じ込めているようだった。
俺はその夜、気温が肌を痛めつけるほど寒かったのだが、散歩に出た。もちろん祖父達は心配した。正常な判断ではないのは承知している。マルも犬小屋の中で体を丸めて少しでも寒さから身を守ろうとしている。だから俺の姿は目だけで確認していた。
「うおー寒い。」
独り言と一緒に真っ白な吐息が漏れた。冷たい北風が木々を揺らしながら空間全てを冷やしている。からっ風というのが群馬にある。山を越えて吹きつける風の事だ。ただこの地は山の中のような場所なので、からっ風という表現に相応しい場所かどうかはわからないが、北風による寒さを体験できた。間違いなく外に出るのは間違いであった。ただ頭を冷やすには最適であった。
俺は右のポケットからスマートフォンを取り出し、電話帳を開いた。そしてひと呼吸おいてから、スマートフォンを耳に当てた。
呼び出し音が3回続いた後、相手が出てくれた。
「もしもし?」と優しい声が聞こえた俺はかなり安心した。電話の相手は咲だった。
「ごめん寝てた?」
「寝てないよー。どしたん?」
電話の向こうからはテレビの音声が聞こえていた。
「え、てかどこにいるん?ゴーって聞こえてるけど?」
「えーと、外です。」
「え!寒いよ!」
それはもう存分北風を浴びているので充分理解していた。自分でも外にわざわざ出た理由がわからなくなっていた。
「ちょっとねー。いろいろ考えておりまして。」
話の切り出し方を考えたがいまいち浮かばず、思うまま素直に言ってみることにした。
「俺さ、東京に戻るかどうかの選択を迫られてる。」
咲は「え!」って言葉の後に、少し黙ってしまっていた。彼女なりに返答の言葉を探しているのだろう。俺は少し意地悪なことをしたような軽い罪悪感に襲われていた。
「お父さんの仕事?」
「そうそう。またなんだよ!でも仕方ないんだよね。」
「んー真司君は?そっちで友達とうまくいってるんだよね?」
うまくいっている。それは間違いない。
「うん。まだ彼らには言ってない。さっき言われた話だからね。」
「じゃあそっちから離れたいってわけではないんだよね?」
「そうなんだけどさ‥。」
それ以上は言えないことにようやく気付いた。咲は12年前の話を知らない。
「何かあるの?」
俺は相談したのに秘密を隠すという自分でも理解できない事をしている。何を咲に求めたのか。「東京に帰ってきて!」という言葉が欲しいのか?
「残る選択肢もあるの?」と咲が聞いてきた。
「もちろんある。じいちゃん家があるからそこにいれば良いだけだし。」
咲はテレビを消したようだった。いつの間にか静かになっている。咲が言ったことは意外なものだった。
「残っても良いんじゃないかな?」
「え?」
思わず漏れた言葉だった。別に残念とかではなく、こういう時は自分で決めろとか、戻りたければ東京に帰ってくれば良いとか、そういう予想の範囲の返答が来ると思っていたからだ。残っても良い、なんて言われると思わなかった。咲の場合はちゃんと考えた上での発言だった。思えば東京にいた頃から一馬達にはなんとなく言いづらい相談ごとは咲に答えを求めていた。
「確かに東京に戻ってきたらもちろん嬉しいよ?でも真司君も高校生だし、もしおじいちゃんの家にいれるんなら高校生活はそこで過ごしても良いんじゃないかなー。」
「そう思う?」
「うん。だって群馬の友達みんな凄い良い人そうだし、なんとなく群馬の友達と最後までいてほしいなって思うんだよね。真司君と離れてるんはこっちのみんなも寂しいけどね。
でも群馬も関東だよ?もし残る手段があるんなら残っていいと思う。それで群馬の友達ともっと仲良くなって、いつか遊びに来てよ!こっちからも行くし。」
咲は本当に良い子だ。俺が惚れたのもこれだ。相手の気持ちをしっかり考えて話をする。咲の言葉に安心させてもらった。
確かに今は、3月に引っ越して来た時と比べると随分と心境も違う。その後も引っかかることはあったけど、でも俺は今の生活が好きだ。
「よーし。咲に帰ってくるな言われたって父さんに言うか!」
「おーい話聞いてましたかー?」
2人で笑い合ったのもなんだか久しぶりだ。
「で?寒くないの?」
「あ、マジで忘れてた。まったく寒いんだから長話するなよー。」
「あ、こいつー。」
何気ないいつも通りのやり取りがお互いの離れた場所からも電波を通してできている。
離れててもこういう繋がりでみんないてくれている。安心したと同時に決心がついた。
「残るよ。こっちのみんなと卒業する。進路はまた考える。」
咲にお礼を伝え電話を切った。相変わらず北風は冷たいけど、行きと帰りでは体の軽さがなんだか違く感じた。それは気持ちの迷いが軽くなったからだ。
咲への感謝が深まったところで、俺は玄関を開けた。
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