第2話

とりあえず足を進めた。祖父、祖母の家を出て右へ進む。先ほどは車で反対側から登って来たので、今はこちらから歩いていくことにした。不思議と体は自然に足を進ませる。少し進むと急な坂道、下り坂だ。そうそう、この道だ。背中を押されるように前へと急がせる足に踏ん張りを効かせつつ、下っていく。右へ左へカーブが続く坂道は田舎特有のものだろう。


下り終えると少し大きめの車道にぶつかった。そのまま歩道を車道に沿うように右へ曲がり、歩みを続けた。この広い車道の反対側から下を見ると大きな川が流れている。その景色を見るのを拒み、俺は見えない側の歩道を歩いているわけだ。そして前を向くと遥か向こう側に橋が架かっているのが見える。嫌でも視界に入る橋は全長400メートル程の大きめの橋だ。渡る気は無い。渡らないぞ。謎の言い聞かせを自分にしているのだが、着々とその橋が近づいている。すれ違う車は割と多く、この車道はこの町の少ないにぎやかな道だ。そしてその橋の直前の信号までたどり着いた。この信号を左折すると目の前には橋が広がる。2回ほど信号が青に変わるがしばらくそこから動かなかった。橋を渡りたくないのだが、不覚にも渡りたい気持ちが邪魔をしていたからだ。前から高校生らしきグループが自転車でせまってきて、その場にたたずむ俺を不思議そうに見ながら通過して行った。わかった、わかったよ愚かなもう一人の俺。諦めがつき、俺は体を左に向け信号を渡った。


目の前には橋。息を吸い込んでから足を進めた。橋の上から下を見ると広がる大きな川。横には河川敷が広がっていて、大小さまざまな石が並んでいる。最近は天気が良かったのだろう、川より河川敷の方が広いのではないかと思うほどの水量だった。深さもあるようには見えない。橋を渡るにつれ、再びもう一人の俺が目を覚ます。ああそうだ。渡りきったすぐ左にはアスファルトではないが、この川へと繋がる道がある。もう一人の俺はそこへ行きたいのだ。いや、今日はやめておこうよ。情けないがもう一人の俺の誘惑は断るのが難しい。


行くだけ行こう。すぐ引き返せばいいんだから。結局、もう一人の俺の意見を採用してしまっていた。

渡りきってから左に曲がり、木々の間を通りしばらく歩くと見えてきた。河川敷だ。川までは100メートル以上、200メートル近く距離があるかもしれない。

少し休むか。俺は橋の真下へと向かった。川の流れの音を聞きながら橋の真下へと近づいた。橋の真下の柱あたりのコンクリートに腰をかけて落ち着かせよう。そう決めていた。

川を眺めながらゆっくり近づいていく。この流れに見覚えはあった。この川に対しての感情は、恐怖や怒りも入り混じっていた。見たくなかった川だったが、いずれこの地にいれば見ることになる。ふとした時にばったりこの川に直面するなら、今見ておいた方が気楽だと思ったからだ。


ぼんやり川を眺めながら橋の真下へ向かう。足音は河川敷独特のジャッジャッという音。そこに川の流れる音が混じり俺一人の空間ににぎやかさが生まれていた。

水量の少なさが歩くスペースを広げているのは、歩きがいを増している要因だった。気づくと橋の真下まであと少しまできた。目の前だ。


俺は石を拾った。平らな形の石で、せんべいの形をしているから「せんべい石」と呼んでいた。せんべい石を広い、低い位置から水面に沿わせるように投げた。「水きり」という遊びだ。せんべい石が水面をポン、ポン、ポンと勢いよく跳ねて最後の方の細かい跳ねを数えたら7回は跳ねたと思う。久々の割には満足の結果だ。誰かに見てもらいたい衝動にかられていた。調子に乗った俺は、橋の真下へ行き、せんべい石を拾った。狙うは川の中からそびえ立つ柱だ。距離はなかなかある。だけど俺なら届く。鮮やかで力強いサイドスローから放たれたせんべい石は、水面を力強く跳ねて柱に直撃した。割れて二股に飛び散った石は、チャポンと沈んでいった。

「よーし!」満足の結果だ。ああ、東京に行ったらあいつらに見せてやりたい。向こうの若者はこの遊びを知っているのか?せんべい石を探すのに苦労しそうだが、あいつらなら楽しんでくれる。ふいに東京の友人達が恋しくなった。無理もなかった。俺は突然、居場所を追い出されたのだから。


しかし今の水きりは最高の感触だった。もう一つ、せんべい石を拾い再び力強いサイドスロー。今度は1回目の跳ねがかなり大きくなり、2回目の跳ねで柱に直撃した。これは凄かった。そうか、下に意識して投げると跳ねが大きくなるのか。新たな発見の喜びと共に、一人という虚しさが再びこみ上げてきた。誰かに評価して欲しかった。下を向くとこれまで投げてきたせんべい石より、更に平らでサイズもちょうど良いせんべい石を見つけた。これは!と心が躍り、拾おうと体を傾けた。


「水きり、得意なんですね。」

体を傾けたまま、ピタッと止めた。スッと体を起こし、辺りを見渡した。優しい女性の声が俺の水きりを評価してくれた。しかし姿が見えない。

「あ、ここです。」

柱の方へ振り返ると、橋の端から反対の端まで一面に広がる柱の、ちょうど真ん中辺りの少し上に、幅が5メートルほど空洞になっている箇所がある。反対の面まで空洞になっており、そのまた上で再び両側の柱のコンクリートと交わるようになっている造りだ。その空洞になっている面に、一人の女の子が座っていた。俺は目を見開き、口は自然に開いていた。血の巡りが倍の速度で全身を駆け巡る感じがして、ふらふらっと倒れてしまうのではないかと思った。


「あ‥あ‥」と言葉を発するつもりがないのに自然と声が外に漏れる。

「あ、ごめんなさい!邪魔しちゃいました?」

女の子は少し申し訳なさそうな顔をした。

「あ‥いえ‥その‥すいません‥なんか‥」俺は謝るのが精一杯だった。

「いえいえ、謝るのは私です。邪魔しちゃいましたから。」女の子は頭を下げた。

「いやいや!邪魔なんかじゃないですよ。ちょっと‥びっくりして‥いろいろと。」いろいろというのは余計であった。

女の子は上にネイビーのカーディガンを羽織り、全体的に女の子らしさのあるカジュアルさを出した服装をしている。肩まで伸びた髪が内側に少しふんわりと巻いてある髪型で、男子が好みそうな容姿をしていた。

「水きり、どうでした‥?俺の。」

何故か評価を得たかった感情が無駄に前面に押し出てきた。

「あ!凄かったですよ!ぴょんぴょん跳ねて。」女の子は眩しい笑顔を見せた。

「ほんとですか?やった甲斐がありました。そう言ってもらえて初めて今の行為が意味あることになりました。」内心、いろいろな感情で盛り上がるなか、口は達者に言葉がでる。

「あはは、何ですかそれ。」

女の子は手に持っていたスケッチブックで口を隠しながら笑っている。スケッチブックに目が行った瞬間、さらに俺は体が硬直した。これは間違いない。恐れていた出来事が初日で訪れた。女の子は笑った後、柱の下から立てられていた脚立きゃたつを使い、ゆっくり下に降りてきた。上に登るための脚立なのだろうか。

「あの、この辺の方ですか?」

女の子は質問をしてきた。

「いや‥東京から引っ越してきて、今日が初日なんです。」

俺はドキドキしながら答えた。

「東京から?それはまたずいぶんと場所にギャップがありますね。」

女の子は驚いた顔をした。核心に触れる質問を投げてきた。


「名前、なんていうんですか?」

来てしまった。この質問が。俺は悩んだ。どうする?偽名か?いや、それじゃ危ない‥どうする?俺は一瞬の時間にかなり脳をフル回転させた。名前、どうすれば。俺は気づいた。そうだ、あの頃とは違う決定的なもの、それが‥「き、木村真司」と、本名を名乗った。一瞬だが女の子は少し顔を引いた。やばい、失敗したか。俺の焦りは加速していった。

「きむらしんじって良い響きですね。なんか繋げて読みやすい。」まさかの言葉に体勢を崩しそうになったが、なんとか耐えた。安堵あんどの二文字が頭に浮かんだ。これは大丈夫。

「君の‥名前は?」俺は恐る恐る質問した。

竹沢優里たけざわゆりです。」

頭からつま先まで何かで貫かれた感覚があった。ますます、倒れそうだ。

「歳はいくつですか?」更に追い討ちをかける質問だった。

「16です。四月から高校2年になります。」俺は覚悟を決めていたので、スラスラ答えることができた。

「あ!同じです!私も16です!」竹沢優里は嬉しそうに言った。

「あ‥そうなんだ。同い年なんだね。」一方の俺は少し引きつっている。

「あ、じゃあ敬語は無しにしませんか?同年代なんですし。」竹沢優里はそう提案した。

「そう‥だね!そうしようか。」俺は応じた。竹沢優里はまた嬉しそうに頷いた。

「あれ‥とゆうことは、こっちの高校に転校かな?」「うん。四月からそうなるね。」

俺の鼓動は再び加速を増した。

「どこの高校?」この質問は今後においてかなり重要な質問だ。神に祈る想いで俺は答えた。

「丘之城高校。」

神は俺にはひたすら冷たかった。

「わ!一緒だあ!よろしくお願いします。良い学校なんだよ。みんな仲良くて明るいし。」

俺は神を今この瞬間、信じられなくなった。

「絶対みんな仲良くなれると思う。やった!仲間が増えた。」

スケッチブックを大切そうに抱えながら無邪気な笑顔でそう言った。

「スケッチブック‥絵を描いてるの?」俺は質問してみた。

「うん。美術部に入ってて、休みの日もこうやってここに来ていろいろ描いてるんだ。」

スケッチブックを見ながらそう答えた。

「絵を描くのは昔からずっと好きで、夢中になって描いちゃうから時間も分からなくなって。」

すると少し離れたところから、河川敷を歩く足音が聞こえてきた。ジャッジャッという音はどうやら複数聞こえる。誰かが数人で向かって来ているようだった。「あ、私のことは優里って呼んでね。みんなそう呼ぶから!なんて呼べばいいかな?」

「あー‥好きに呼んでいいよ。」

「じゃあ真司くんって呼ばせてもらう!普通だけどね。」

優里は笑顔でそう言った。俺は足音が気になって仕方なかった。もうそこまで近づいて来た足音の方を向き、優里が言った。

「あ、みんな来たかも。」

俺は走ってその場を去りたくなった。


「優里〜いたいた。まーた絵描きか‥ってあれ?」がっちりした体格の男の子が俺を不審げに見た。

「あ!だれだれ?まさか彼氏?やだーもう優里ったらー‥てかマジ?」まさに元気さが際立つ女の子が言った。

「おー青春してるなー!」坊主頭にキャップを被ったスポーツマンらしき男の子が腰に手をあてて笑顔で言った。

「決めつけちゃっていいのやら。」少し背の低いだるそうな顔の男の子が後ろから顔を出しながら言った。「違うよ違う!今ここで偶然会ったの。初対面だよ。」顔を赤くしながら慌てて否定した。

「こんなとこで偶然会うか?」がっちり体型の男の子が疑わしい表情で言った。

「お兄さんこの辺の人?タメ?学校はー?優里のどこが好き?」容赦ない質問だ。この元気な女の子はよく見ると可愛いし、普通に男子から人気がありそうだが、この調子で損をしていそうだった。

「いや、本当に初対面‥今日こっちに引っ越して来て、たまたま散歩がてらここに来て、初めて会った。」俺は初めて会ったことを強調した。今のところ、大丈夫そうだ。名前でピンとこなければ、きっと大丈夫だ。俺は祈りながら自己紹介を始めた。

「名前は‥木村真司。東京から引っ越してきて、来週から丘之城高校の生徒になるんだけど‥」少し静寂が流れた。これはやばい。俺は下を向いて彼らの言葉を待った。

「私達と同じ学校だよ!」

優里の一言に俺はサッと顔を上げた。「え‥?」思わず声が漏れた。

「おーマジかよ!仲間だ仲間!」坊主頭の男の子に背中をバシバシ叩かれた。

「なんだよ転校生かー。よろしくな!」がっちり体型の男の子に握手をされた。

「友達増えたーしかも東京からの転校生とかなんかいいじゃん!」元気な女の子は何故か拍手をしている。「おい、礼儀が大事だぞお前ら。よろしくお願いします。」だるそうな顔の男の子につられ、俺はお辞儀をした。

「真司君、みんなフレンドリーだからすぐ打ち解けられるよ。」優里は嬉しそうに言った。

「自己紹介タイムだね!あたしは三嶋美久みしまみく。よろしくー!あ、美久でも美久様でもどちらでもいいよ!」元気な女の子は美久。白の薄生地のTシャツの下にデニムジャケットを羽織り、下はベージュのスカートといった服装。優里と比べると少し強めにメイクしてある。ギャルが似合いそうだ。

「俺は高井駿たかいしゅん。駿でいいよ!野球部なんで坊主頭だ。」いかにもスポーツしてますという動きやすい服装で、キャップを外して坊主頭を見せてきた。なるほど、やはりスポーツマンだ。

「あ、俺は山下登やましたのぼる。よろしく。」だるそうにお辞儀をした。背が少し低いのもあってか、デニムのサイズが少々大きく見えてしまう。サイズが合っていないのでは、と思った。

「山の下から登るくんだからな。」駿が茶化した。

「ちっクソ坊主。」登が睨んだ。

「俺は神野康平かみのこうへい。ゴッチってのがあだ名!自分で言うのもあれだけど。」

がっちり体型で白い無地のTシャツの上に赤を基調としたチェックのシャツを着て、下はデニムを履いているが、チェックのシャツがやたらと似合いすぎている。そしてあだ名がゴッチときたものだ。

「なんでゴッチ?」あえて俺は聞いた。

「神は英語でゴッドだろ?ゴッドって呼ぶと本当に俺が神みたいだし、似合わないから情けなくしてゴッチ、だとさ。」

「こいつが神とかありえない。」登が頷きながら言った。

「なんだー?登ちゃん川で泳ぎたいか?」

「まだ時期的に寒い。勘弁してくれ。」登が後ずさりながら言った。


「あたし達さ、一桁の年齢からずっと仲良しなんさ。幼稚園からずっと。まあ〜ここまでくると家族みたいな感じ?学校終わりとか休日はしょっちゅう集まるんさ。習慣だよね。」美久は身ぶり手ぶり説明した。

「小、中ってさ、ずっとだよ。ちなみにこの橋の下は俺らのたまり場みたいなもんだよな。」駿が指を差しながら言った。

「ここは田舎。でも遊べるとこかなりあるぜ。まあ店に行くとかは少ないけどさ、昔からある自然の遊びは飽きないのばっかだぜ。でっかい木に登ったり、川の水が溜まる所で泳いだり、橋から飛び込みできたりさ!」ゴッチが興奮しながら言った。

「絵を描くのも、景色の良い所ばかりだからありがたいんだよね。この橋の下から描く景色は何枚描いたか分からないくらい描いたんだ。」

優里がそう言うとスケッチブックをめくった。そこには太陽の光が反射して輝いた川に、緑が映える木々を宿した山、青く美しい空の風景画が描かれていた。なるほど、これは本当に上手い絵だ。ずっと描き続けてきたから持てるスキルだろう。

「凄いね。これは良い絵だよ。」俺は心から褒めた。「優里の絵はコンテストで選ばれるレベルだからねえ。」美久が絵を見ながら言った。

しばらくは東京の質問が続いた。美久は買い物へ、優里は美術部のみんなで美術館見学へと、東京に行ったことがあるみたいだった。

「東京かー。想像つかねーや、住むところ。」ゴッチは空を見ながら言った。

時計を見ると5時過ぎだ。どうりで薄暗いわけだった。


「あ、ごめん。そろそろ行かないと。」祖父、祖母の心配する顔が浮かんだ。

「次はいつ会えるよ?」ゴッチが聞いてきた。

「入学までは用意とか学校行ったりでかなり忙しいんだ。学校始まるまでは厳しいかもしれない。」

この一週間はかなり忙しいのは事実だ。あくまで転校生だ。いろいろ用意もある。

「まあいいんじゃない。同じ学校だしさ。」駿がそう言うと登も頷いた。

「せっかくだしさ、友達になって楽しい学校生活送ろうよ!真司少年!」美久がそう言うと「よろしくー!」と握手をしてきた。

「あ、うん。よろしくね。友達になろう。」俺はまたもや、引きつった笑顔で答えた。別れを告げ、足早にその場を去った。


まだ鼓動は早いまま下った坂を登る。上に着いた頃には息まであがっていた。犬のマルがぴょんぴょん跳ねながら俺を出迎えた。

「ただいま。ちょっと遅くなった。」

「おおー心配したぞ。どこまで行った?」祖父は缶ビールを飲みながら聞いてきた。

「降りて行ったところの河川敷。」

「懐かしかったんじゃないの?」祖母が俺と祖父の分のお茶を出しながら言った。

「まあ‥ね。変わらないや、いろいろと。」お茶をすすりながら言った。

晩御飯は鴨汁そばだった。これは美味しい。おかわりまでしてしまった。明日は学校に挨拶、鞄などを買ったり学校の用意だ。次の日は祖父の畑の手伝い、いろいろと忙しい。


「ただいまー。」玄関から声がした。

俺はすぐ立ち上がり玄関へ向かった。

「久しぶり、お父さん。」俺は嬉しかった。

「お!ただいま、どうだ真司?今日からまたこの場所だけど、やってけそうか?」

「まだ学校始まってないから分からないけど、大丈夫でしょ。」根拠のない大丈夫だった。

父は斎藤真太郎さいとうしんたろう。建設関係の会社で働いている。本社は東京で、父は会社の中でもなかなか評価の高い社員だ。役職も付いていて、月に何度か出張やら会議やらで東京に行ったりしている。俺を呼び戻しに来たのも、会議で東京に来た際、携帯に電話をよこし、カフェで合流して話を詰めた。俺は最初父に電話で説得された時はかたくなに拒否していたが、とうとうカフェでの直接交渉で折れた。俺も家には居場所がない。折れざるを得なかったのだった。しばらく親子の会話に祖父と祖母も交えて盛り上がった。


夜の11時になると、さすがに怒涛の1日だ、疲れはピークだった。布団に潜り込むと、俺の思考回路が再び活動を始めた。

今日、こっちに来て河川敷での出会い。彼らから聞いた自己紹介。彼らの長年の絆。彼らにとっては俺との初めての出会い。だが、本当は違う。俺が彼らから聞いた情報は、もう俺の記憶の中に12年前から存在している。


12年前、俺は「斎藤真司さいとうしんじ」だった。離婚して母親に引き取られ木村になった。

その頃は祖父母の家に父と母と俺も交えて住んでおり、俺は彼らの仲間の一人だった。祖父母の家に住むようになってからしばらくして、あの河川敷で彼らと出会った。この地に慣れて外で遊ぶ機会が増え、その度に彼らと時間を過ごしていた。だが、とあるきっかけで俺は彼らから離れた。彼らは俺が斎藤真司だと気づいたら、もう今日のようにはならないだろう。決して気付かれてはいけない。こうなったら今日から始まった不安な日々を乗り切っていくしかない。この先長いここでの暮らし、偽って過ごす気負いの日々、高校生の俺には重荷だった。そして今日、12年前に彼らと出会ったあの橋の下で再び彼らと会った瞬間、12年前に俺の心に産みつけられた「トラウマ」の卵が孵化ふかし、元気な産声うぶごえをあげた。

だが、一つだけ心の底から良かったと思えることがあった。優里だった。ぼーっと暗い天井を見上げて俺は呟いた。

「優里‥無事だったんだな。」

来週から新しい学校生活が始まる。

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