第5話

携帯のアラームが部屋に鳴り響く。俺は普段より目覚めが良く、自分でも驚いた。カーテンを開けると素晴らしいほどの青空が広がり、群馬の美しい山の景色が勢いよく目に飛び込んできた。東京での目覚めと比べるとこちらは本当に穏やかだった。まずカーテンを開けて深呼吸したくなるような景色ではないのが向こうでの朝だった。鳥のさえずりを楽しむよりも先に人口的な物が目の前に広がる環境だ。それはそれで慣れてしまえば当たり前になり、やがて落ち着きになるものだったのだが。

パジャマ代わりのジャージのズボンに長袖のTシャツ姿のまま、1階に降りていく。父は会社の人達とお客さんを交えてのゴルフコンペに出かけていた。

「おはよう。なんだ、早いな日曜の割に。」祖父が時計を見ながら言った。時刻は8時をやや回っていた。

「バーベキューって昨日言ってたじゃないの。」祖母がお茶を出してくれた。

「朝ごはんはいらないのね?」

「うん。結構買い込むみたいだしね。」

ゴッチが言うには、毎年余るくらいに買い込むらしい。毎年学ばない買い出しだと登が呆れていた。それに加えて美久が毎回おにぎりを作ってくるそうなのだが、これがまたサイズといい量といい満足を超えたものらしく、残すと悪いの精神のもと、食べ尽くし結局満腹を迎えて買い込んだ肉などを残す、という流れになるそうだ。それを聞いたらとても朝食を食べようとは思えなかった。


家を出た俺は愛犬マルの頭を撫でた後、自転車にまたがり集合場所のスーパーへ向かった。文句無しの快晴に加え、心地よい風。下る坂道がより一層楽しみを盛り立てた。気にしない。12年前の事は考えたくない。

俺はブレーキをややかけつつ、坂道を下った。家からスーパーまでは15分ほどの距離だった。橋の下からも遠くはない。彼ら御用達のスーパーらしく、俺が東京にいる間も彼らは何度も通ったスーパーなのだろう。便利なメッセージアプリは地図を送ることもできた。その地図を頼りに進むとスーパーが見えてきた。「マルシア」と書かれた看板が見えてきた。駐車場に入り周りを見渡すと手を振っている男子と女子が見えた。

「キムー。こっちこっち。」

キムと呼ばれて驚いた。そこにいたのは同じクラスの男子の前園悠太まえぞのゆうた小池朋也こいけともや、それに隣の席の村上佳菜だ。

悠太は確かサッカー部だ。今日は部活は野球部同様に休みの日らしい。某有名スポーツブランドのTシャツを着てその上にこれまた同じブランドのシャツを羽織り、サッカー愛に溢れていた。朋也は汚れても良い格好丸出しのジャージ系のファッションだった。「カナやん」こと村上佳菜は春らしいファッションにハットを被りメイクもナチュラルに仕上げていた。

「おはよう。」村上佳菜が少し照れた様子で挨拶してきた。

「おはよう。村上さん春らしい服装だね。」俺は見たまんまの感想を述べた。

「ありがとう。みんなと同じでカナやんでいいよ。」

少し顔を赤らめながら「カナやん」の呼び方を勧めてきた。なんだか俺も恥ずかしくなったが、クラスの一員になるための一歩としてこの案を採用することにした。

「わかった。じゃあ‥カナやんで。」言葉を発した後に更なる照れが襲ってきた。思春期は面倒臭いものだと痛感した。

「お二人さん、熱いねえ。」朋也が茶化しを入れた。

「カナやん嬉しそう。」悠太も便乗すると村上佳菜は少し鋭い視線を向けた。

「おっと‥失礼失礼。」悠太が後ずさりしながら言った。

5分ほど経った頃、美久がやって来た。続いて登、優里の順できた。美久は相変わらずギャルのようなファッションで悠太と朋也と談笑している。

「ゴッチと駿は?」

「あいつらは先に橋の下で準備してる。」

登があくびをしながら答えた。パーカーのフードを被り眠そうに目をこすっていた。

7人でマルシアで食材を買い込んだ。野菜、肉、調味料、お菓子とかなりの量だ。だいたい美久が「これがいい!」と選んでひたすら買い物かごに放り込むという状態だった。

「毎年学習しない奴め。」登がぼそりと毒を吐いた。

優里はカナやんと話をしていた。優里は今日もスケッチブックを布のバッグに入れて持ってきていた。

買い出し後、当然のごとく大量の食材を男子が持たされ必死にペダルを漕いで女子の後を追った。女子3人は後ろで必死についてきてる男子には目もくれずガールズトークに花を咲かせていた。

「あの‥馬鹿‥自分で‥。」声を途切らせながら登が悪態をついていた。


なんとか河川敷に着いたが、ここから手で荷物を持って橋の下まで歩かなければならなかった。男子4人は肩で息をしながらやっとの思いで到着した。

「お疲れ男子諸君。」美久が満面の笑みで労った。

「また買い込んだなあずいぶんと。」駿は頭にタオルを巻き、うちわで炭に向かって扇いでいた。

「野菜切ってくれよ女子。あ、美久はいいや。」ゴッチも頭にタオルを巻き、軍手をはめた手でまな板と包丁を指差した。

「何それ何が言いたいの?」美久がゴッチを睨む。

「キャベツを平気で4分の1に切ってそのまんま鉄板に乗せる女に切らせるかっての。何の料理だありゃ!」

俺は思わず笑ってしまった。優里も思い出したかのように笑っていた。

結局、美久を除く女子が野菜を切ることになった。

火は順調に大きくなり、川の石を集めて作った土台が黒く焦げ、その上に大きな鉄板を乗せた。クーラーボックスから飲み物のペットボトルを取り出し紙コップに注ぎ、乾杯の準備ができた。


「よし。じゃあ乾杯するぞ。」ゴッチが立ち上がったのを合図に全員が立ち上がる。

「おい真司。」

「え、何?」

「コメント、一言挨拶して。」

急な展開に驚きつつも、俺は全員の前で挨拶した。

「今日はあの、ありがとうございます。これからもよろしくお願いします。」俺が言い終わると同時に乾杯をした。


バーベキューは大いに盛り上がった。やはり買いすぎた食材を男子が懸命に食べ、なんと美久ではなく優里がおにぎりを作ってきてしまい、村上佳菜はサンドイッチを用意してしまった。しかし優里のおにぎりは美久のより美味しいようで、ゴッチと駿は取り合いをしていた。村上佳菜のサンドイッチもまた美味しく、その喜ばしい光景に美久が口を尖らせていた。

優里はある程度食べ終わると、そっと離れスケッチブックを広げて絵を描き始めた。

優里は絵を描くとき、描く景色を見るときは真剣な表情に変わり、またそれをスケッチブックに描くときは柔らかな表情に変わる。俺は12年前と変わらない優里の絵を描く姿にまた心がきしむ想いがあったが、なんとか持ち直した。

悠太と朋也が何かを探している。その様子を見てゴッチと駿も立ち上がり下を向いて探し始めた。

俺はすぐに分かった。水切りの時間だ。石を探す俺を見て、ゴッチと駿はニヤリと笑った。

「来たぜこれ!」朋也が形の良い「せんべい石」を見つけた。悠太、駿もそれに続いた。

「よし。これでいけるな!」ゴッチがお手頃サイズを見つけた。俺もついに相棒を見つけた。

「よーし。揃ったな。」駿が面子を見渡して含み笑いで言った。

じゃんけんで勝った順で投げることになった。順番は駿、朋也、ゴッチ、悠太、俺の順番だ。ちなみに登はソーセージに夢中だった。美久は肉を味わいながら男子の楽しさが理解できないといったような目でこちらを見ていた。優里は作業を一時的に中断してスケッチブックを抱えたまま、こちらを見ている。優里と目が合った時、優里は「頑張れ。」と口を動かした。

「おし、おし、おーし!」駿を見ると、5回ほど跳ねた石が力尽きて川に沈んだ。

「わー駄目だ。」駿が落胆している横で朋也が構えに入った。

ドボンと音を立て、わずか1回の跳ねで朋也の石は沈んだ。

「お前、何で参加したんだ?」ゴッチが嫌味な笑みで落胆する朋也を見下していた。

悠太の一投はなかなかだった。6回目の跳ねで左に曲がり沈んでいったが、曲がらなければあと2回はいけたのではないだろうか。

「さー見てろよ。」ゴッチが腕まくりをした右腕を後ろに伸ばし、地面を擦るような低さで力強く投げた。

水面を気持ちよく跳ねた石は9回も跳ねた。

「これは勝てないだろ。」悠太が悔しそうな声をあげた。だけど俺は冷静だった。

溜めをつくらず流れるようなフォームで水面を沿わせるように、投げる瞬間に力を入れた。8回、9回、10回、11回。最後は細かく跳ねて計測は難しかったが優勝に変わりはなかった。一同唖然とした表情を浮かべた後、優里の拍手が響いた。

「すご!やるじゃん!」美久がスタンディングオベーションで拍手をした。

「真司、本物じゃねーか。」ゴッチが背中をバシバシと叩いてきた。俺は本気で嬉しかった。ただ一瞬、美久が何かを思い出したような少し切ない表情を見せたのを俺は見てしまった。その一瞬は紛れもなく、俺を見ての表情だった。


いつの間にか時計は4時を示していた。すでに満腹の一同は夕飯はいらないなどと食に関しての後ろ向きな意見を述べていた。後片付けをしながら談笑していると、朋也が優里のスケッチブックを覗いた。

「うまいなー。竹沢の絵。」朋也が感心していた。

覗いてみると、太陽の光を浴びた川に照らされた俺達の絵が描かれていた。その表情は穏やかであり、微笑ましいほどの仲の良さが伝わる絵だった。俺はこの絵を見て、改めてこの地で受け入れてもらえた事を実感した。優里がスケッチブックからその絵のページを切り出した。

「え、どした?」ゴッチが不思議そうに尋ねた。

「はい。真司くんにあげる。」

「え、俺に?」

差し出された絵を受け取り優里を見ると、プレゼントと言われた。

「いいじゃん!大事にしなよー。将来価値が出るよ。」美久が絵を見ながら言った。

「価値って言い方がいやらしいんだよ。」登が呆れ顔で物申した。ただ優里の絵は美術部の中でも群を抜いていた。風景画を好む優里の絵は、吸い込まれるような絵である。目を閉じて暫くしてから目を開くとより一層にこの絵の良さが深まる。

「今日は真司君の歓迎会だから、そのプレゼント。記念にあげる。」

「ありがとう。部屋に飾るよ。」俺は大事に袋にしまった。

「さあ、帰るか。」駿が両手を上げて伸びをしながら言った。


その場で解散した俺達は、それぞれの家の方へ帰って行った。俺は橋の上から先程までバーベキューをしていた辺りを見下ろしていた。優里から貰った絵を取り出して広げた。絵と景色を見比べた。相変わらずの出来映えに俺は感心した。俺は目を閉じ、そして目を開いて絵を見た。この瞬間に優里の絵は更なる深みと輝きを増す。俺は優里の絵のファンになっていた。

「真司くんも絵が上手いんだね。」

一瞬だが頭に12年前の優里の言葉が浮かんだ。俺は絵をしまい家に向かった。


家に着くと父が既に帰ってきていた。仕事のゴルフコンペの後、特に接待等もなく早めに帰宅したとのことだった。父の会社は忙しい時期は朝も早く帰りも遅いのだが、それ以外の暇な時期は早めの帰宅が許されている。「家族を大切にする。」というのが会社の社長が良く口にしているそうで、今日みたいな休日なら尚更飲みにも誘ったりはしてこないようだった。特に父に対しては離婚した父の心配を当初からしてくれていたようで、東京に出張の際は、空いた時間に俺に会う事を直々に許可してくれていた。

「今日はバーベキューだったんだよな?」

「そうそう。お腹いっぱいだから晩御飯は食べらんないや。」

「学校に馴染めたみたいだな。良かったな友達が早々とできて。安心したよ。」父はお茶をすすりながら言った。本当に安心したような表情を見て、俺も嬉しかった。

「真司。肉ばかりじゃなくて野菜も食ったのか?」祖父の質問に頷くと「次は俺の野菜も持って行け。」と少し寂しそうな顔をした。祖母が笑うと祖父が何を笑ってるんだと慌てて言った。

「この人、今日ずっとそんな事言ってるの。」

「1日中ずっと言ってないだろ。」

「朝から騒いでたでしょうよ。」

祖父は照れを隠すようにお茶を勢いよくすすった後にむせていた。

「ごめんじいちゃん。そうだ、じいちゃんの野菜があったんだ。次は持ってくからお願いね。」

「お、いいぞ。言ってくれりゃあすぐ用意する。」

「ありがとう。」


夜になっても満たされた腹は一向に空くことはなく、結局何も食べずに布団に入った。スマートフォンを見ると、美久からの通知がメッセージアプリから届いていた。

【このグループに入ってね!仲間入りよろしくー!】

どうやらゴッチ達の仲良しメンバーが所属するアプリ内のグループに招待されてるようだ。グループに参加した俺は今日のお礼のメッセージを投稿した。優里から早速【今日はお疲れ様。写真保存してね!】のメッセージと共に、たくさんの写真が送られてきた。

何枚か選び保存した。俺は完全に仲間入りしていた。

【今日はありがとう。楽しかったよ!】俺はお礼のメッセージを送った。そのまま片手にスマートフォンを持ったまま眠りについていた。このまま俺は気づかれずにここで過ごせるという期待が確信に変わったとこの時ばかりは信じていた。そして明日の学校が楽しみに思えていたのだった。4月、俺はもしかしたら最高のスタートをきれているのかもしれない。

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