第22話 独り彷徨う
「なんでそうなるんだ?!」
「いや、俺、本当に心の底から女の子が好きなんだけど…」
「ヴィレさまのご趣味は存じ上げておりますけれど、旦那さまも長年片想いされてらっしゃいました。こうして妻の口から話すというのも、おかしいでしょうけれどお飾りの妻なのでどうぞお二人で末永くお幸せに…」
とても最後まで祝福の言葉を述べることはできない。
唇を噛んで、うつむく。
ぼろりと涙がこぼれた。
理想の筋肉に出会えて短い時間だけでも傍で見られた。毎朝観察もして、輝きを維持するためにお世話もできた。
思い残すことはたくさんあるけれど、贅沢はもう言わない。
彼の筋肉の張りを戻すためにも、潔く身を引くべきなのだ。
「お飾りの妻?」
「おい、アイガン。事と次第によっちゃあ俺はお前を許さないぞ。俺は女を泣かすような屑は大嫌いなんだからな。なんだってこんな盛大な誤解をお前の大事な人に与えてるんだ?」
「私から説明させてください」
ガデルが静かに対峙する二人の間に立つ。
「まず、最初に。今社交界ではある噂が広がっていることはご存知ですか。エリイシャとの結婚は契約結婚で、貴殿ら二人が毎朝団長室で肉体関係にあるという話です」
「はあ?!」
「ほら見ろ、だから誤解されるって言ったんだ。なのに、毎日お前は妻への愛の言葉やら不満を俺に向かって吐き出すからこんなことになるんだろうが!!」
「いや…だが、エリイシャには、言えない…」
「なんでだよ、口下手だからこんな誤解になったんだろうが。大体、大切な嫁なら泣かすなよ!」
男気溢れるヴィレの言葉に、うっかりエリイシャはときめいた。なるほど、ここにアイガンは惹かれたのかもしれない。
「エリイシャ、見てのとおり二人の間には熱い友情はあってもそれ以上の気持ちはないんだってさ」
「え、あら…そうなの?」
二人の間にある情愛を感じてうっかりときめいた自分はなんだったのだろう。
エリイシャは目をぱちくりと瞬かせた。
「で、次です。エリイシャはグレンに惚れているという噂があります。結婚した今でもグレンのことを忘れずに想い続けている、と」
「そうだ! だから、俺は君に告げられなかったんだ…俺の独りよがりな思いなど負担にしかならないだろう…?」
「えええええ?! ちょっと、ガデル! なぜそのような話があると言わなかったのよ」
「明らかに間違いだって私は知っているし、否定したところで信じてもらえなかったんだよ。そんな話をキミにしたところで解決法もないしねぇ。なんせグレンがあちこちで言いふらしていたからさ」
「腕をひねり上げるだけでは足りなかったようね…」
床に伸びている従兄弟に鋭い視線を向ければ、横にいたバンデミオンが震えあがった。
「そして、最後。その前に、一つ確認させて」
ガデルはエリイシャに近づくと耳元でゆっくりとささやいた。
親友の秘密の問いに、エリイシャは二度瞬きして、ゆっくりと首を振る。
「そう言われてみれば、ないかも……」
「やはりね。どおりで最近キミが情緒不安定だったり、貧血で顔色悪くて眠たそうにしていたわけだよ。立ちっぱなしはよくないから、とりあえず座って」
空いている方の席へと促されて、大人しく腰つける。
茫然として頭がうまく働かない。
「じゃあ最後だ。おめでとう、バナード伯爵、エリイシャ。キミたちは立派な父親で母親だよ。また落ち着いたらきちんと検査させてくれ」
「ありがとうガデル! これでアイガンさまが我慢して抱かなくても済むから…あら、でも誤解だった?」
「ちょっと待て、我慢して抱くとは?」
「アイガンさまは跡継ぎが欲しくて私と結婚されたのでしょう??」
「エリイシャ…」
「お前、本当にヤることヤってて、肝心なところは全く伝わってないってどういうことだ」
アイガンは絶望的な顔をしているし、ヴィレは今にも射殺さんばかりの憤怒の視線を彼に向けている。
「俺は常々、お前には女性を大切にしろと、言葉をつくせと言ってきただろうが」
「いや、だが俺はエリイシャは他の男が好きだと思っていたから極力負担になりたくなくて……まさか子供目当てで結婚したと思われていたなんて…」
アイガンはすぐさまエリイシャの前に膝まづいた。
「アイガンさまっ?!」
大柄な彼が体を小さくさせながら、視線を合わせてくる。それだけで、せつなくて胸がきゅんとした。
ああ、やはり彼が好きなんだなと実感する。
「俺はエリイシャを愛している。初めて君と話した夜会の日から、ずっと好きだった。ただこの気持ちを告げても君の重荷にしかならないと思っていたんだ。誤解をさせていたのなら、本当に悪かった」
「ほ、本当に…好き…?」
なんだか唐突に始まった言葉に、眩暈を起こしそうだ。
現実味がなくて、どこか信じきれないでいる。
だが、アイガンは大きく頷いて、まっすぐに見つめてくる。
嘘偽りのない真剣な瞳に思わず息を飲む。
「ああ。君のサファイア・ブルーの瞳がきらきら輝くさまを見ているのが幸せなんだ。だから俺から取り上げないでくれないか」
「———このまま、アイガンさまの妻でいてもいいのですか?」
「もちろん。そうして俺に一生愛させてくれ」
金色の瞳が優しく慈愛を込めて自分に向けられる。だが、その中に恋情も見えて、エリイシャの頬は一気に赤くなった。
表情筋は働かないが、顔色くらいは変わるのだ。
アイガンからの誠実な告白に浮かれていたが、彼の筋肉を見てはっとした。
このまま黙っているわけにはいかない性癖が自分にはあるのだ。
「アイガンさま、私もあなたに話さなければならないことがあるのです」
「なんだ?」
「私はとても、あの筋肉が好きなのです」
「筋肉?」
「アイガンさまの体を見ているとすごく、その、興奮するといいますか…」
「興奮…?」
「ですから、夜もアイガンさまには肌を極力見せずにいただきたいのです。私からは決して触れることもできません。そんな妻でよろしいですか?」
「それは無理だ」
きっぱりと拒否するアイガンに、エリイシャは悲しみながら瞳を伏せた。
だが、続く夫の言葉に顔色を変える。
「俺は君に触れて欲しい。なんなら裸で抱き合いたい。君の滑らかな肌を全身で堪能したい」
「ひいい、それは私が無理です!」
「なぜだ?」
「ですから、興奮してしまうのです。取り乱して鼻血も出てしまうので…」
「では、少しづつ慣れていけばいい」
「慣れる?」
「剣でも最初から思う通りには振れないものだ。徐々に慣れていけば、きっと対応できる」
少しも揺るぎない夫の言葉に、エリイシャは思わず親友を見つめてしまう。
自分の嗜好に逃げていくと助言してくれたのは、ガデルなのだ。
彼は存外優しいまなざしを向けていた。
「大丈夫だと思うよ。君の旦那さまは相当君に惚れているようだから」
「本当に、私でよろしいのですか?」
「エリイシャがいいんだ。返事は聞かせてくれないのか」
「もちろん、『はい』です。でも、私にもあなたを愛させてください」
「ああ、わかった」
破顔したアイガンの顔をエリイシャは思わず凝視してしまった。
彼の大頬骨筋と笑筋は本当にいい仕事をするわ、と惚れ惚れしながら。
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