第6話 怪しげに輝く瞳に

エリイシャは王都の外れにある小さな診療所にやってきていた。

ここは親友のガデルが医者として開業したところだ。彼は伯爵家の次男だが身分に分け隔てなく診ているため、昼夜問わず人で溢れている。貴族などは自身の屋敷に医者を呼びつけるのが常なので、必然的に診療所にやってくるのは平民だ。


それを手伝いの13歳の少年ナルと二人だけで切り盛りしているのだから、何時でもてんてこ舞いだ。

ちなみにナルは元患者で、足を骨折して運び込まれて以来、ずっと手伝いをしてくれている。よく気が付くし手際もよくガデルは将来有望だと自慢している少年だ。


エリイシャは結婚する前も後も、午後の診療所に手伝いにきていた。だが、午前中にはほとんど来ない。朝の混雑はひどいがガデルが手伝いを拒むのだ。もともと雑用と少し筋肉や骨について話すしかできない自分では午前中の病気中心の患者は足手まといにしかならないからだ。患者も心得ているので怪我や腰痛、肩こりの相談の場合は午後にやってくる。

もしくはエリイシャの問答無用の治療に恐れている患者の一部は午前に来る。


「ひー、なんで嬢ちゃん医師が朝からいるんだあ?!」

「俺は兄ちゃん医師でいい、大丈夫だ、待てる!!」


待合の一角では軽い騒動が起きるが、エリイシャはガデルの指示で外傷や筋肉、骨に異常のある者を相手に対応していく。ある者には外傷に消毒し包帯を巻き、ある者には痛みの部位に消炎剤を貼って、ある者には外れた骨をはめてやる。逃げ出す者にはナルに捕まえてもらって問答無用で処置を施すので、雄たけびもしばしばあがる。

騒々しいことこの上ないが、エリイシャの表情は常にない。整った顔立ちは人形のように無表情で人によっては恐しい印象を与えるらしい。


もちろんエリイシャは慣れているので、相手が真っ青な顔をしようが、泣きわめこうが気にせずに処置を済ますだけだ。


その目まぐるしい時間がひと段落した診察室の机に向かってガデルは書類を書きながら短息した。金茶色の髪は丁寧に整えられているが、緑色の瞳には疲れたような光が映る。端正な顔立ちの彼だが全体的にくたびれたように見える。


「何もこんな朝から来なくてもいいだろうに…というか、私の大事なジンモくんに血をつけるなよ。やるなら、君のために特別に作ったキンニくんにしてくれ」


診察室の壁際に立っている2体の人体模型を眺めていたエリイシャに、ガデルが慌てて忠告する。

この2体はガデルのお手製だ。骨や筋肉、内臓などは実物そっくりに作られている。なんの素材を使ったのかは医者の秘密だそうだが、精巧のあまりエリイシャはこの人体模型『ジンモくん』を眺めているだけで鼻血を出したことが数回ある。

しかもガデルは筋肉大好きな自分のために、筋肉増し増しの人体模型『キンニくん』まで作ってくれたのだ。診療所に手伝いにきつつも、本命はこのキンニくんを眺めに来ていた。

だが、それも昔の話だ。今ではすっかり理想とする筋肉が傍にいるので、見劣りのしてしまうキンニくんに興奮することも少ない。


「もうかつての私とは違うのよ、残念だけれどキンニくんでは物足りないの。それより診療所をきちんと手伝って待っていたんだからいいでしょう」

「なんで私の大事な人形が振られたような気分にならなきゃいけないんだ…まあ人手不足なのはいつものことだが、今回は確かに助かった、礼を言うよ。まだまだ朝は寒いだろう。筋肉を強張らせたり、膝の痛みを訴える人が多いんだ。で、今日はなに。キミの趣味がばれたのか?」


エリイシャが筋肉に異常に興奮するアレな性格だと知っているのは、彼だけだ。なぜなら、図鑑を見ながら興奮した幼いエリイシャが鼻血を盛大に吹き出した時に傍にいたのだから。彼はエリイシャにドン引きしながら、そんな変態は家族や好きな男ができたときに嫌われるぞと忠告してくれた相手でもある。その後に医学をかじっていた彼は、体の血液の1/5ほどを失えば失血ショックの症状が出るとかなんとか解説し始めたのは今となってはいい思い出だ。


彼はアイガンの想い人を知っていて辛い境遇にいるエリイシャの善き相談相手にもなってくれる。


「恐ろしいことを言わないで! 朝の鍛錬はこっそりのぞいているし、極力旦那さまには触らないようにして、筋肉も見ないように努力しているわ。そうじゃなくて、旦那さまの大切な筋肉が輝きを失ってしまったのよ! だから、活力をみなぎるものを教えてもらおうと思って」

「え、岩男にあれ以上に力をつけたいの?」

「人のステキな旦那さまに何てことを言うの!」


岩男だなんて失礼だ。アイガンは鋼のようなとか鍛え抜かれたとかの形容詞がぴったりなのだから。

若干ガデルが引いたが、エリイシャは構わなかった。それよりもこの一大事をどうやって乗り越えるかが問題だ。彼の筋肉の輝きを守ることはエリイシャに与えられた崇高な使命のようなものだ。


「旦那さまのお体を維持するのも妻としての立派な仕事だわ。もちろん、子供を産むためだけの妻だとしてもね」

「なんか聞こえはいいけど、キミの邪な欲望を知ってるからな…まあ、いいけど。ええと、どれだったかな。これ、かな? ああ、こっちか。よし、これをよく見て」


ガデルが机の上に置いてあった植物図鑑を取り出して、ページをパラパラとめくって広げて見せる。


「これはフェガテイムという植物だ。山や森によくある植物なんだけど、朝いちばんに開く花を料理に混ぜて食べれば、キミの大好きな旦那さまも一瞬で元気になるよ」

「ありがとう、ガデル。早速、探してみるわね」


エリイシャは近くにあった紙とえんぴつを握ると、図鑑の植物を模写し始めた。


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