第7話 花輪の冠を編んで
エリイシャはハーレ男爵家の長女として生まれた。
生まれた時から泣きはすれど表情の変わらない赤子に違和感を覚えた父が友人の医者に見せたところ、表情筋が働いていないとの診断が下ったのだ。
物心ついた頃から表情のない子供だったので、受け入れるのは早かった。
ちなみに父の友人の医者はガデルの叔父だったため、早々に親友と出会えたこともエリイシャが人生を嘆かなかった要因の一つでもある。
そんなエリイシャが筋肉に興味を持つのは当然の流れだろう。顔の筋肉について学びつつ、全身の筋肉へと学びは広がる。ガデルと熱い筋肉談義を交わしたこともある。たいてい一方通行の熱い情熱だったが。
そんな筋肉大好きな少女がアイガンを初めて見たのは王城で開かれたデビュッタントのときだった。
15歳で初めて夜会に参加し、大人の仲間入りをするのだ。緊張もしたが、相変わらず自分の表情筋は働かない。
ここで見初められ、婚約にこぎ着ける令嬢が多い中、美少女だが表情の変わらない娘は一夜にして鉄面皮のあだ名がついてしまった。
そのことに両親は激しく落ち込んだが、エリイシャはそれどころではなかった。初めて目にした憧れてやまない筋肉に出会えたからだ。
視線は国王の横に控えていた長身の男に釘付けだった。壁のような体躯に赤褐色の鋼のような短い髪、猛獣を思わせる鋭い金の瞳。
だが近寄りがたい容姿など二の次で、剥き出しの首から背中にかけた僧帽筋と斜角筋の盛り上がりに胸が激しく高鳴った。鼻血を出さないように必死で興奮を落ち着けたものだ。
夢に見た理想の筋肉と出会えた喜びにうち震えつつ両親に彼の名前を聞いたことを昨日のことのように思い出せる。
その後も夜会に出る度に、彼の姿を探してはそっと眺めた。
ガデルにも相談して彼の情報を集めまくった。
年齢は自分よりも10上の25歳。伯爵家の当主であり、父の跡を継いで若くして騎士団団長に就任したばかり。
滅多に動かない表情から鉄仮面の騎士と呼ばれているアイガン=バナード伯爵だ。自分は鉄面皮と呼ばれているのだから、お似合いじゃないかと嬉しくなってガデルに語って心底呆れられたこともある。
呆れられたこともきちんとわかっている。
家格は釣り合っていないので、声などかけられない。そもそもガデルからはただでさえ少ない嫁の貰い手が壊滅するから性癖がばれるような行動は慎むように言われているので、影からこっそりと眺めるだけだ。
それでも初めての恋にエリイシャは浮かれていたし、満足もしていた。
だが、そんな生活も六年目にして突然の終わりを迎える。
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アイガンの姿をできるだけ眺めて満足したエリイシャが夜会の会場から家に帰ろうとしていると、回廊で突然呼び止められた。
振り返ると30代くらいの知らない男が、にやにやとした笑いを浮かべて立っていた。
「いつもお高くとまっているが、所詮は男爵令嬢だろ。遊んでやるから、こっちにこい」
自分はもう21歳で、結婚適齢期としては終りもいいところだ。浮いた話一つもないのだが、時折こうして声をかけられる。どうやら一部の男たちの間では、自分の容姿は愛人候補として受けているらしい。
もちろん、エリイシャにそんな気はない。声をかけられる度にガデル直伝の人体の急所を刺激して逃げてきた。
今日も同じ結末になると思いながら、一歩近づいたとき地を這うような重低音が響いた。
「そこで、何をしている」
聞きなれた低い声に顔をむければ、想像通りの人物がいた。
アイガン=バナードだ。騎士団団長らしい鎧に、マントをつけた格好は夜会にはふさわしくはない。なぜなら彼は警護としてその場にいるからだ。もちろん恋に盲目なエリイシャには、誰よりもステキに映る。
思わず興奮してしまい、めまいを覚えた。
「フーリガ伯、そんなところで若い女性と何を?」
「き、貴卿こそ…なぜ、こんな時間にこんなところへ?」
アイガンは常に国王の傍についている。この国一番の騎士の称号を得ているからだ。確かに、夜会の途中で、こんな回廊にいるのは不思議ではある。
「それは―――」
「余もおるからな」
大柄なアイガンが一歩横へとずれると、小柄な国王が現れた。年は60過ぎだが、まだまだ足腰はしっかりしており、眼光も鋭く威厳に溢れている。
「へ、陛下?! なぜ、このような…」
「庭をご覧になりたいと仰せで、こちらを通って退出したのだ。わかったら、控えろ」
「申し訳ございません!」
フーリガと呼ばれた男は、そのまま逃げるように会場へと戻ったが勝手に御前を退出したのは果たして失礼にあたらないのだろうか、とエリイシャは混乱した。
「彼は若い女性とよく揉め事を起こしていて…その、大丈夫だったか?」
気遣うような金色の瞳を向けられて、エリイシャは居住まいをただした。
「いえ、助けていただきありがとうございました。御前での無礼もお許しください」
「よい。むしろ、助けてやれと命じたのは余なのだ。あの男はあちこちでその手の騒動を起こしていてな。バナード伯はそのまま送ってやれ」
「は…? しかし、私は…」
「少しは女性と話してこい。お前の父親も浮いた話の一つもない息子を心配して余にまで仕事を減らすように進言してくるほどだ。このままだと家が途切れる、とな」
「それはなんとも申し訳ありませんが、その…私は女性に怖がられるので…」
「先ほどから見ているが、お前を恐れているようには見えない。怖い思いもしたことだし、きちんと安心させてあげろ」
それだけ告げると、国王はさっさと庭へ向かって歩き出した。アイガン以外の騎士や付き人が国王に続く。
回廊に二人で取り残されると、おずおずと彼が口を開いた。
「申し訳ないが、入り口までお付き合いいただきたい」
「私は構いませんが、あの…お仕事のお邪魔ではありませんか?」
「一度言い出したらきかない方なので…もちろん嫌なら、このまま見送らせていただくが」
「いえ、嫌では決してありません! では、ご迷惑でなければ、よろしくお願いいたします」
アイガンはほっとしたようで、金の瞳を緩めた。
思わず可愛いと心の中でつぶやいてしまったことは内緒だ。
だが、一瞬にして意識は隣にある重量感の筋肉に囚われる。
鎧に包まれていても、顔を支える首や籠手の隙間からのぞく腕など、見える場所は多い。またちらりと見える部分が艶めかしくもどかしい。それがさらに興奮を煽ってくる。
腕橈骨筋が呼んでいる。まるで歌っているかのような、誘われているかのような姿に夢見心地だ。地に足がついていないかのような錯覚を覚えた。
「そういえば、私はエリイシャ=ハーレと申します。改めまして、助けていただいてありがとうございました」
「ああ、いや私はとくには…ええと、私はアイガン=バナードです」
「存じ上げておりますわ、騎士団長さま。立派なお仕事ですもの、尊敬しております」
「は…あ、あの、ありがとう…」
言葉数は少ないものの、アイガンの無骨な言葉はエリイシャの好感度をぐんぐんと押し上げていく。素晴らしい筋肉の持ち主は、性格も素晴らしいようだ。男らしくて精悍だ。
エリイシャの胸はときめきっぱなしで、苦しいくらいだった。
あっという間に城の入り口までついてしまい、エリイシャは家の馬車に乗せられ見送られた。
そのまま一夜の夢として終わるはずの美しい思い出が、それからも続くとは夢にも思わずに。
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