第5話 妖精の娘のようで
物置部屋で毎朝の活動を行いながら、エリイシャの手は思わず震えた。レンズの向こうには、いつもの上半身裸の二人が剣を構えている。喜び溢れる光景の筈だ。
しかし手は震え続ける。オペラグラスが揺れ視界がぶれるが、構うものか。
「そんな、嘘でしょう…」
何度も確かめるが、今見えているものが現実のようだ。
剣を打ち合わせる姿は変わらないのに、彼が纏う筋肉は別人だ。まるで艶のない筋肉に絶望的な気持ちになる。
確かに最近はややくすんで見えたような気がした。だから、昨日は精一杯オペラグラスのレンズを磨いたのだ。だが、それは気のせいではなかったらしい。夜はどうだった、と思い出そうとしたが夜はいつも目を閉じているので彼の筋肉の状態がわからない。
だが、アイガンの筋肉はすっかりやる気をなくしてしまっている。ここ数日でなにかあったのだろうか。
肩の三角筋も大腿四頭筋もいつもの輝きがなく、軋んだ悲鳴が聞こえてくるようだ。
まさか、想い人と上手くいっていないのだろうか。
もしくは、偽りの妻と性行為をすることに気疲れを覚え始めているとか。
前者ならエリイシャは関われない。彼の想い人に自分はいつでも身を引くと告げたところで相手の気が変わるかは別問題だ。アイガンの完全な片想いなのだから。
だが後者ならば回数を減らすなどすれば、対応出来るのではないか。
伯爵家の跡継ぎを望んでいる義父には申し訳ないが、何よりアイガンの筋肉の輝きのほうが大事だ。
心の気鬱を晴らすには、みなぎる活力が必要になる。
一大事だと、オペラグラスを構えながら、エリイシャは決心した。
愛する筋肉のためならば、どんなことでもやる所存だ。
こうと決めたら迅速な行動あるのみだ。
エリイシャは夫婦の寝室へと慌てて戻るのだった。
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いつものようにアイガンを見送ると、義母であるマイヤがエリイシャを見つめた。相変わらずきっちりと髪を結い上げてしゃっきとした佇まいだが、向けられる視線は困惑げだ。
だが、それどころではないエリイシャは勢い込んで口を開く。ただし、無表情は変わらないが。
「エリイシャは、今日は何をして過ごすのかしら?」
「私、本日は朝からお友達のところへ行ってまいりますわ、お義母さま!」
「え、あら、そうなの。お昼ご飯はいらないのかしら?」
「いえ、一応昼には帰ってくる予定ですが遅くなってしまったらお先に召し上がってくださいね」
「わかったわ、気を付けていってらっしゃいね」
マイヤが目を瞬かせて、そのまま自室へと引き上げていくのを見送って、エリイシャは颯爽と自室へと足を向けた。
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