閑話 夫の苦悩③(アイガン視点)
妻に避けられた。
ずんと沈み込みながら、机に両肘を付け両手で顔を覆いながら静かに心の内で慟哭する。アイガンの頭の中では、走り去っていく妻の小さな背中が何度もフラッシュバックしている。
呼び止めたいのだが、あまりに衝撃だったため立ち尽くすことしかできなかった。よくよく考えれば己の姿は上半身裸だ。いつも妻は肌を見せないように懇願してくる。それほどまでに自分の体は醜いのだろうかと自問して、醜いのだろうな、逃げるほどだものな、と自答する。
そもそも父を筆頭に祖先たちも嫁取りには苦労してきたと聞いている。懇願して金と権力に物を言わせることが多かったようだ。現に母は父の筋肉を毛嫌いしている。暑苦しい、邪魔だと侍女にぼやいているのを何度も聞いたことがある。
政略結婚の両親に比べれば、遥かに好きな女を妻にできた自分は幸福なはずだが心に受ける負荷が容赦ない。
シャワーを浴びて平素の騎士団の団服に身を包んで朝食の席につけば、いつもと変わらない妻が先ほどは申し訳なかったと詫びてくれた。緊急の用があったのだと弁明していたが、朝から逃げ出すように去る用件が思いつかず、彼女の気遣いに鷹揚に頷くにとどめた。
突き詰めれば、ものすごく傷つく自分の姿が容易に想像できたので。
それから数日は経ったが、妻の様子は特に変わらない。だが、やはりアイガンはあの朝の妻の逃げっぷりを思い出しては落ち込む日々が続いている。相変わらず彼女は自分に触れてくれない。その事実が落ち込みに拍車をかける。
「お前さ、落ち込んでるんだか元気なんだかはっきりしろよ…?」
いつもの団長室なのでもちろん同じ部屋にヴィレもいるが、彼の視線は机の下に隠れて見えないだろうある一点に集中している。
そのことに関して、アイガンはきっちりと反論したい。
自分にはまるで心当たりがないことに。そして心の機微と体の反応が別問題である状況に。
一応、普段は逃げられていないし夜の営みを始める前にも軽く拒否られてはいるが、押しきれば彼女はすぐに甘やかな声をあげて組み敷かれてくれる。
優しくて健気な妻だ。
そんな妻に無理強いをしている自分は本当に愚かだし情けないしなんならケダモノかとも思う。
エリイシャにも申し訳ない気持ちになるが、ベッドの上にいる彼女の妖艶な姿に抗えないのも事実だ。結果、性欲は毎日きちんと吐き出させてもらっているはずなのだが、なぜか朝から自分の息子がとても元気だ。
鍛錬を行っている朝はまだ普通なのだが、朝食を食べ終えて馬に乗りながら出勤するとすっかり自分の一物は屹立している。
隠すわけにもいかず、部下やヴィレは朝から元気なアイガンを目撃してしまうのだが。
「夜がうまくいってないのか…?」
「俺は満足している」
恐る恐るヴィレが聞いてくるが、アイガンは首を横に振る。
欲を言ってしまえば一回しかできないことにせつなさを感じるが、気を失うように眠りにつくエリイシャの体を拭き清め寝着を着せながら、いじらしく夫に付き合ってくれる妻にこれ以上の無理はいけないと押しとどめている。明日こそは、ゆっくりと平穏な夜を彼女に与えようと誓うほどではある。次の日にベッドの上にしどけなく寝転ぶ姿を見て脆く崩れ去る誓いではあるが。
「姿を見てしまうと自分を抑えることはとても難しい」
「ん、おい、アイガン…?」
「果てしない愚者ではあるが、どうしても触れて欲しい」
「おおい、ちょ、待てって」
「何も逃げなくてもいいだろう? そんなに怯えられると閉じ込めてみたくなる」
「だから、この部屋には俺と二人だって忘れるなよ!」
外では部下が団長が副団長に迫っているぞと囃し立てる声が聞こえてくるが、もちろん最愛の妻に語り掛けているアイガンには届くわけもない。
「これほど愛しているのに…」
「だから、俺がいるって言ってるだろうが―――!!」
おお、副団長からも熱烈な愛の告白だと騒ぐ部下たちに、誤解を含んだ噂はあっという間に広がっていくのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます