第19話 眠りから覚め
「———つまり、従兄弟の狂言ですわね」
バンデミオンの話をきちんと聞き終えた後、ちらりと床に転がるグレンを一瞥して、エリイシャはそう結論づけた。
「き、狂言とは…あなたは彼を愛していないと?」
「愛どころか、結婚願望すらありません。私はアイガンさま一筋ですわ」
「あなた方の結婚は不幸な政略結婚だと聞いていたが…」
「噂はあくまで噂です。私の気持ちに揺るぎはございません。夫を愛しておりますの」
「熱烈ですね、その表情は合っていませんが…」
バンデミオンが困惑げに呟く。
無表情のまま愛を囁かれても、何を基準に信じればいいのか迷うのだろう。
だが、ふうっと息を吐くと彼は小さく頷いた。
「それでも、あなたの言葉に嘘はないのでしょう。彼への仕打ちも容赦ありませんし…」
「ええ、その通りですわ。信じていただけて何より。まあ、夫とは一方通行な片想いなのですけれど。だからといってグレンとどうこうなるつもりもありませんし、彼から受け取った指輪は私が指示したものでもアイガンさまから頼まれたわけでもありません」
バンデミオンの話をよくよく聞けば、グルクス侯爵家はバナード伯爵家の主筋ではあるが、もともとは何代か前のグルクス侯爵の嫡男であったデリアがアウゼント王国を出奔し残った弟が家督を継いだらしい。放蕩な兄というよりは己の腕一本で戦場を渡り歩きたいと渇望した若者の熱い気持ちが放浪につながったのだが、残された弟は当時相当に悩んだ。病弱な自分よりも丈夫で体躯に恵まれた兄の方がずっと侯爵位に相応しいと考えていたようだ。もし兄が帰ってくるならばいつでも侯爵位を譲るつもりで自分の子供たちに言い聞かせた。
出奔したデリアのほうは、それが初代バナード伯爵ではあるが、ギルモンドラ王国に渡り、戦場を駆け剛腕を振るった。物置部屋に立てかけられた長剣で数多くの戦に参加し勝機を生み出した。その功績を讃えられあっというまに伯爵位を得た。そうして脈々と血脈が続いている。エリイシャの知る限り、グルクス家のことなど話題になったこともない。
一方のグルクス家としてはアウゼント王国の方が歴史が長く大国だ。その侯爵位なのだから、いつかバナード家が家督を寄こせと言いがかりをつけてくるのではと長年警戒していたらしい。
そこへたまたまグレンが家督の証となる指輪をバナード伯爵家に嫁いだエリイシャに送り付けた。さてはグレンは間者かとなり、そちらの言い分を聞く代わりに指輪を返してもらえるようにバナード家当主に秘密で内々で処理しにバンデミオンが遣わされたとのこと。家督以外の話であれば最大限の譲歩をすると、相当の覚悟でやってきたらしいのだが、エリイシャにはそんな気はない。
あっさりとグレンを沈めたことで、考えていた話とは違うようだと思い至ったバンデミオンはこうして腹を割って語ってくれたのだ。
「大方、二股か三股かかけたグレンがお嬢さまから逃げたくなって私と結婚しなければと嘘をついたのでしょう。彼は結婚して縛られることを何よりも嫌いますから。だいたい、他人からもらった宝石もすぐに換金したり横流しして別の女に貢いだりしていたので特に考えもせずに私に送り付けたのだと思いますよ。多分、ついていた宝石が自分の瞳と似ていたから送り付けてきたんじゃないでしょうか。従兄弟は自分のことが大好きですから。もちろん、指輪はきちんとお返しいたします。今はバナード伯爵家の自室にありますので、一緒に取りに来ていただけるとありがたいのですが」
「申し訳ないがバナード家には近づきたくはない。この男を連れて行ってくれ。名はトウド。私の従者で信頼のおける相手なので」
「わかりました」
「この男はどうする?」
「そちらでいかようにもなさってください。一切の苦情は言いませんので」
グレンの両親にもきちんと説明しなければ。今回ばかりは相手が悪すぎる。すべて愚かな従兄弟の所業のせいなので、説得は容易いだろう。
「では、行きましょうか」
すくっと立ち上がると、くらりとめまいがした。
思わずソファに座りなおしてしまう。
「大丈夫ですか、ご婦人にはさすがにツライお話でしたでしょうか」
「いえ、そういうわけでは…ここ最近、貧血をよく起こすんです。しばらくすれば治りますわ」
表情も変えずに淡々と告げるエリイシャにバンデミオンもどう対応すればいいのか測りかねているようだ。
「少し休んでからでも問題はないですよ。何か心を落ち着けるような…そうだ、お茶でもいかがですか?」
「そうですわね。ではお言葉に甘えて…腕を貸していただけないでしょうか」
「ん、腕?」
キョトンとするバンデミオンにエリイシャは力強く頷くのだった。
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