小話 親友の苦悩

ガデルが初めてエリイシャに会ったのは、幼い頃だ。

叔父の家に遊びに来たときに、彼の友人が一緒に娘を連れてきていて、紹介された。

一目見て人形のようだと思ったのを覚えている。


全く表情がなかったからだ。それなのに、瞳だけはキラキラとしていて、興味深そあにこちらを見つめてくるので戸惑った。

彼女は生まれつき表情筋を動かせないらしく、それを医者である叔父に相談に来たのだと後から聞かされて納得したものだ。


だから、彼女に筋肉について書かれた本を見せてあげた。

ガデルも将来は叔父のような医者になりたかったので、勉強のための本の一冊だった。そこで彼女は盛大な鼻血を吹いて倒れたのも今となってはいい思い出だ。

それから、ガデルはなにかと彼女の面倒を見ている。

友情だけでなく特殊な性癖に導いてしまった罪悪感もあったのは否めない。まあ、自分が誘わなくても彼女ならば勝手に嗜好の世界の扉を開けてしまっただろうとも思うが、自分がきっかけになってしまったのも事実なのだから。


そんな彼女は今日も元気に悩んでいる。


「はああ……ガデル、どうしたらいいと思う?」

「うん、そうだね。とりあえず、胎教に良くなさそうだから悩むのをやめればいいんじゃないかな」

「そんな簡単にはいかないから、こうして相談しているのよ……」


盛大な息をはいては、お腹を優しく擦る。

幼かった幼馴染みは理想の筋肉を持つ男に出会って今では一児の母になろうとしている。そう思えば感慨深い。

ただし、昔から彼女の悩みの種類はあまり変わっていないのが不思議だ。

いや、一見惚気のようだから、多少は成長しているのかもしれない。自分にとってはどちらも大差ないが。


「だって、アイガン様ったら毎晩服を脱いで迫ってくるのよ?!」

「まあ、それが他所の女性相手なら問題だろうけど、自分の妻にするならいいんじゃない?」


少し聞くだけでも彼女の夫が変態のように思えてしまうのは、いいのだろうか。


「妻なのに問題になってるから、困ってるんじゃない……」

「問題としてるところが問題か」


言葉遊びのようになってきたが、確かに。

親友の夫は彼女の理想の筋肉を持つ男だ。

あんなに大柄な男のどこがそんなに素敵に映るのか人の趣味はわからないものだが、確かに昔からエリイシャが興奮して鼻血を出すのは筋肉だったのだから。

筋肉増し増しの人体模型を作った時は、本当に興奮しっぱなしで、大変なことになった。今は貧弱な筋肉と称されてしまうので、なんとなく服を着せるようにしている。シャツを羽織っただけだが、入ってくる患者が気が付いて最初びくりとしていたのが印象深い。

兄ちゃん先生が本気の人形遊びか……なんてつぶやいていたが。

今では患者たちもすっかり慣れて、こんな服を着せた方がいいなどどアドバイスをくれるほどだ。

つまりそれと同じということだろう。


「慣れるしかないんじゃないかな、これ以上鼻血を出して貧血になるのも胎児によくないだろうし」

「そうよね、わかっているわ。わかっているから、こうして相談しているのよ。遠くから眺めているだけでも鼻血が出るんだもの。近くであの熱量と質感を感じたら、もうダメなの。あっつくて硬くて、でも滑らかで、ピクピクしている動きだけでももうたまらなくなっちゃって……どうすれば興奮しないかしら」

「キミさ、セクハラだからね」

「夫への愛を語ってるだけなのに?!」


エリイシャの夫への愛は一部分に特化しすぎて重いのだ。

もっと分散すればいいのだろうが、そんな器用なことができればとっくにやっている。


「とにかく触りまくって、慣れる。これしかないよ」

「触りまくる……」


つぶやいた途端に彼女からぶしゅっと鼻血が飛んだ。

ガデルは、近くにあった清潔な布を渡しながら、道のりは長いと知るのだった。

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訳あり男爵令嬢の朝活バラッド マルコフ。/久川航璃 @markoh

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