小話 義母の苦悩

バナード伯爵家に嫁いだマイヤは政略結婚だった。

小柄な自分は大きな男性よりも線の細い方が好みではあったが、舞い込んだ縁談の相手は国でも屈指の巨体を誇る人物で泣く泣く嫁いだのは今思い返してみても辛い記憶だ。相手が高位貴族で断れなかったことも大きい。なぜ自分が見初められたのか恨んだこともある。


だが産まれた子供も夫に似て大柄で強面だった時には何の呪いだろうと青ざめたほどだ。


世継ぎをいたく気に入った夫は幼いうちから鍛え上げ息子の体はみるみる夫そっくりに成長してしまった。

もはや瞳の色でしか区別がつかないほどだ。

そんな息子が成長し結婚適齢期を迎えても、なかなか婚約者どころか恋人すらできないのは当然だと言えた。

むしろ男色家の噂まで囁かれるほどになり、仕事場で淡い恋を繰り広げているらしい。確かに女の影など微塵も感じさせない息子だ。投げ遣りな気分になりつつ肯定するしかなかった。


だが夫は違うようで、痺れを切らした彼が恐れ多くも国王に何か訴えた数か月後、何処からか息子が見つけてきた結婚したい相手がいると言われた時には、その憐れな令嬢に同情したものだ。

男色家の噂のある威圧感増し増した男が相手など、さぞや嘆いていることに違いない。


申し訳なくて居たたまれなくて、心の中で何度も謝罪したが、何処か自分と同じく悪鬼に見初められた相手ができたことが嬉しくもあった。

義理の母になることだし、義娘として愚痴も聞くし優しくしようと決心して、息子の嫁を家に迎えた。


相手はすらりと背の高い恐ろしく美しい女性だった。金色の髪に輝くサファイアブルーの瞳が印象的で目を引く。よくもこのような相手に声をかけられたものだと呆れるやら感心するやら忙しない心境に陥ったが、彼女の表情が硬いところを見ると結婚は受け入れられなかったのだろうと簡単に想像できた。相手は男爵令嬢とのこと。上位貴族からの申し出など断れるはずもない。自分と同じ境遇の娘かと憐れんだが、実際見てみると素直に同情できない部分もある。

むしろ、悪鬼のように強面の息子と並べば別な意味で迫力の増す二人だ。ある意味お似合いと言えるかもしれない。


夫は義娘を気に入ったようで、非常に感謝していた。息子も相当入れ込んで溺愛しているようで、始終ご機嫌だ。表情に乏しいと言われる息子だか、さすがに母親をしていればその感情の機微くらいはわかる。浮かれていて、常に嫁に付きまとっている。優しくしているのだろうが、女心の疎い息子がどこまで彼女の心を掴めているのかは不明だ。


ちなみに夫にどこが気に入ったか聞いたら熱気のような威圧感だと答えるし、息子に同様に問えば目力だと告げられた。

それは果たして妙齢の女性に対する誉め言葉なのかと疑いたくもなるが、もちろん該当するわけもない。

脳筋には女心などわかるまいと諦めた。


息子の浮かれようも続かないだろうと思っていたが案の定、結婚して数ヶ月過ぎると落ち込みだした。社交界では再度、男色家の噂が持ち上がった。

やはり妻の心を掴むような行動はできなかったようだ。


そんな息子とは対照的に嫁は一向に気にした様子もなく、淡々と日々の生活を過ごしている。物置部屋に籠って掃除をし、友人の手伝いと言って街外れの診療所に向かう。


何度かお茶に誘って話を向けるが、少しも息子の悪口にはならない。


ある日の午後のお茶の時間に思いきって聞いてみることにした。

サロンに呼び出して、席を勧めると嫁は優雅に腰かけた。

所作も完璧で、無表情でなければなんの問題もない。

内心で彼女の迫力にびくびくしているが、決して悟られないように口を開く。


「夫も息子も剣の鍛錬や仕事ばかりでごめんなさいね。さぞ退屈でしょう?」

「いえ。お仕事に励まれるのは素晴らしいですわ」

「でもあんなに大きくなくてもいいと思わない? 廊下を半分以上も占めて歩いていると暑苦しくて」

「決して! そのようなことはございませんわっ」


表情は変わらないがやや前のめりになった嫁は鼻息荒く告げた。

なんだろう、不思議な圧迫感を覚えた。熱量のようなものを彼女から感じるのだが、表情が動かないのでちぐはぐな印象を受ける。夫が誉めていたのはこれだろうかと首を傾げたが話を続ける。


「横に立たれるだけで視界がほとんど遮られるでしょう?」

「あ、安心感があって、よろしいかと思われます…」

「でもやっぱり暑い時期には鬱陶しくも思うでしょう。あの厚みのある体を見てると本当に呆れかえらない?」

「漢らしくて尊敬いたします…」

「腕も私よりもずっと太くて、足も胴まわりほどあるのよ。怖くはならない?」

「き、鍛えられていて素晴らしい…です」


何かを堪えるように必死で言葉を紡ぐ嫁に、無理をしているのだとマイヤは感じた。彼女の体は小さく震えているようにも見える。

きっと彼女も自分と同じようにあの強面の息子を苦手に思っているのだろうに、必死に耐えているのだろう。それなのに母親の前だからと決して悪く言うことはないのだ。なんて健気な女性なのだろうか。

あの女心などさっぱりわからない息子が、こんなできた女性を見つけてくるなど奇跡に近い。


ありがたくて泣けてきた。

多少無表情だろうが、彼女は心根の優しい立派な淑女だ。こんなできた嫁を迎えられて息子はなんて幸せなのだろう。

彼女にとってはものすごく迷惑なことだろうが。


せめて彼女が息子と離れている間くらいは快適に過ごしてほしい。憂うことなく屋敷で心を休めてもらうのだ。

これからも嫁のやりたいようにやらせてあげよう。

息子から逃がすことはできそうにないけれど、何があっても彼女の味方でいたい。

それが夫そっくりに生んでしまった息子を批難することもなく嫁いできてくれた彼女に対して、自分にできる精一杯の恩返しなのだから。


「そうそう、エリイシャさんは甘い物はお好きかしら。今日は王都で流行っているって噂のお菓子を用意させたの。お茶は少し渋めにしたのだけれど、構わないかしら」

「苦手なものはありません、ぜひいただきたいですわ」

「よかったわ、今用意させるわね」


ちりりんと呼び鈴を鳴らすと人払いさせてあったサロンにワゴンを持ってメイドが入ってきた。

テーブルに並べ終えると、優雅に一礼して傍に控える。


「さあ、いただきましょうか。こちらがラズベリーのケーキよ。花の砂糖漬けで飾られているの。素敵でしょう?」

「ほんとうに綺麗ですね。食べ物に思えないです」

「そうよね、食べるのがもったいないくらいだわ。そういえば、この前サラトナ伯爵夫人のお茶会にお呼ばれしたときに王都では新しい髪飾りが流行っていると聞いたわ、見かけたことはあるかしら」

「いえ、初めてお聞きしました」

「隣国から新しく出た石を使ったものなのですって。それも不思議な色をしているらしいわ。アイガンに言っておくから、買ってもらいましょうよ。今度行商の方を屋敷に呼んでおくわね」

「え、いえ…そこまでしてもらうわけには…」

「遠慮しないで。仕事ばかりで放っておかれてるのだから、これくらいは平気よ」

「仕事に打ち込まれておられるところは素敵ですわ」

「だからといって妻を構わない免罪符にはならないわよ、考えておいてね」


押しきれば、彼女は弱々しく頷いた。


「エリイシャさんは、診療所のほうのお手伝いはいかが? 何か困ったことはないのかしら」

「はい、忙しいようですが、それほど大きな病気や怪我の方は見られません」

「そう、よかったわね」


相変わらずの無表情だけれど、瞳は優しげに映る。

私こそあなたの味方だからと気持ちを込めて、大きく頷く。


「いつでも困ったことがあったら相談してね、精一杯力になるわ」

「はい、ありがとうございます」


こうして義理の母娘の会話は微妙にズレたまま、続いていくのだった。


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