第21話 そうして去らずに
「あら、アイガンさま」
現れた夫に、視線を向ければ彼の後ろにいたガデルが首を横に振っていた。
エリイシャはトウドの腕に置いていた手を慌てて離した。
「何をしていた、それにその男はなんだ」
アイガンが眉間に深い縦皺を刻みながら低く問う。
返答次第では命の危険がないと思わせるような声音だ。
だが、エリイシャのしていたことといえば気持ち悪さを興奮でごまかしていただけだ。傍目には男性を襲っているように見えただろうが。
「ええと、何と言われましても…立ち眩みがしたので休ませていただいておりました。こちら、助けていただいた通りすがりの方たちです」
バンデミオンたちは自身の身分を明かしたくないとのことだったので、ざっくりとアイガンに説明すれば、彼は瞳を眇めてさらに問う。
「なぜ、その男の腕を触る必要が?」
「ええ? お、落ち着くからでしょうか…?」
「では俺の腕を触ればいい」
「えっ、アイガンさまの腕はちょっと…」
触れば一瞬で鼻血を吹き上げるほど興奮してしまう。気持ち悪さはなくなるだろうが、別の問題が生じることは目に見えている。
正気を保つのも難しそうだ。
当然のように断れば、夫の表情はさらに凶悪な面構えになった。
「なぜ、夫の腕ではいけない?」
「ま、まあアイガン、彼女も無事だったんだし、ひとまず帰ったらどうだ」
ヴィレが不穏な空気を纏うアイガンを宥めたが、エリイシャはこの組み合わせがわからない。
なぜ、夫と親友と夫の想い人が三人揃って現れるのだろう。
カオスだ。
まさか、自分に別れ話をするために話し合っていたのだろうか。ふと頭に浮かんだ考えは、消すことができない。
夫とその相手は相思相愛だから、我慢できなくなった妻と離縁するために、ひとまず親友のガデルに相談したとか?
噂をもってきたのも彼だ。
もしや前々から打診されていたとか…
もうそれ以外の理由など思いつかなかった。
「アイガンさまはこそ、三人で何をなさっていたの?」
ここにくる前に聞かされた噂を思い出して、不意に口から言葉が溢れる。
「いつもご一緒でいらっしゃいますものね。私にはそんなご立派な胸もなければ逞しい足もないもの。剣だって扱えないしあなたを守ることもできないわ…いろいろ物足りないでしょうけれど……本当に我慢を強いていて申し訳ありません」
「エリイシャ?」
「待って、キミ誤解している」
慌ててガデルが口を挟むが、エリイシャの勢いは止まらない。
「あなたがその気なら、もちろん離婚に応じるわ」
「はあ?」
横に立っていたトウドがぎょっとして上擦った声をあげた。先ほどまで夫に愛を囁いていた女が、突然離婚を切り出したのだ。何がどうなったのかと驚いているのだろうが、彼に構っている余裕はもちろんない。
「つまり、俺を捨てるのか」
「アイガンさまが私を捨てるのでしょう?!」
「なぜ、俺が妻を捨てるんだ」
「だから、私には立派な筋肉はないですから」
「筋肉? 筋肉は別に求めていないが」
「でしたら包容力ですか、安心感? それともまさかの身長?! 男性特有のアレだっておっしゃられるならアイガンさまをちょっと軽蔑しますけれど、私にはどう足掻いたところで生えないものね…」
「何の話だ?」
「あなたがヴィレさまを愛している理由でしょう?!」
「「はああああっっっ?!!」」
声を揃えて驚愕しているガタイの良い二人の横でガデルが頭を抱えてやれやれと息を吐く。だが、エリイシャは息ぴったりじゃないの、と騎士たち二人に悲しみに似た憧憬を抱くのだった。
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