第17話 暗がりの中に浮かぶ唇は

「というわけで、あの指輪は大事なものなのだ。返してくれるというのなら、君とこの男の結婚も許そう」


宿屋のソファに腰かけていた男が穏やかに告げたが、エリイシャの頭の中は霧に包まれたようにはっきりとしない。

というか、話の前提がさっぱりわからない。


「あの、お聞きしてもよろしいかしら。…誰と誰の結婚の許しとおっしゃいました?」


一応、相手は隣国の侯爵家嫡男ということもあり、比較的平穏に聞こえるように努めながら声を絞り出す。


「だから、君と彼だ。エリイシャ=バナード伯爵夫人とグレン=エバーソンだな」


自分がバナード伯爵家に嫁いだという認識はあるらしい。だが、それを離婚させてまでなぜグレンと婚姻を結ばなくてはならないのだろう。


「何故でしょうか」

「指輪を返して欲しいからだと先ほど説明したと思うんだが…君は頭が悪いのか」


残念な子を見るように呆れられても、エリイシャの疑問は同じだ。

確かに彼、バンデミオン=グルクスが説明した話は理解した。

彼の妹がグレンに惚れて家宝の指輪、それも当主しか持つことが許されないグルクス家の印章入りの指輪を渡してしまった。グレンはそれを何故かエリイシャに送ってきた。

そのため、こうして次期当主が遥々海を越えて渡ってきたとのことらしい。

素直に指輪を返せば話は簡単に終わる筈なのに、何故かアイガンとの離婚が確約されている。

摩訶不思議としか言いようがない。

その上、好きでもない従兄弟との結婚が待っているとか地獄でしかない。


「心配しなくてもバナード伯爵家は分家に当たる。こちらの方が主家筋だから、命じれば全て上手くいく」


どこかで聞いた家名だと思ったら、物置部屋を整理しながら作っていた年表擬きの目録に書いたバナード伯爵家の縁者だ。何かあれば駆けつけるなどの盟約が交わされた手紙を確かにエリイシャは読んだのだから。


「これで僕たち結婚できるんだよ」


嬉しそうにグレンが笑い、エリイシャの細い肩に手を置いた。一瞬でおぞけが走る。不快感で眩暈がしそうだ。


すくっと立ち上がると、エリイシャはグレンの手を取ってひねり上げた。


「いたたたたた…え、エリイシャ、離して…っ」

「随分と隣国で好き勝手羽目を外してきたようですけれど、まさか私達の間の出来事すべて覚えていないだなんておっしゃらないわよね?」


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