第10話 妖精の歌を口ずさみ

夫婦の寝室で本を読んでいると、風呂から上がったアイガンが入ってきた。体を起こしてベッドの端に座りながら彼を見つめれば、大股で近づいてきた夫はそのまま上体を屈めてエリイシャにキスをする。


言葉数の少ないアイガンの夜の行為の始まりはいつも突然だ。


「んっ…ま、待ってく……」


覆いかぶさるように口づけをする彼のたくましい胸をそっと押し返す。

熱い体と鋼のような筋肉に思わず手を滑らしそうになるが必死でこらえた。大きな体が揺らぐことはないが、アイガンは動かず金の瞳でじっとエリイシャを見つめてくる。


エリイシャの体は今日の慣れない山歩きでボロボロだ。足は痛むし、植物で手も切っている。それにアイガンの筋肉を少しでも労わってあげたい。

何よりこれ以上心労を重ねる必要はないのだ。

跡継ぎが欲しくて焦るのはわかるが、少しでもいいから体を、引いては筋肉を労ってほしい。


「お仕事で疲れていらっしゃるでしょう? 今日はゆっくりなさってください」

「お前を抱きたい」

「ダメです。私がここにいて眠れないというなら出ていきますから。もうお休みになって」

「そんなことは許さない」


アイガンは言うなり、ベッドへとエリイシャの体を押し倒した。先ほどよりずっと性急に深い口づけを受ける。思わず小さく喉を鳴らすと、不安げに揺れていた金の瞳が明るく輝いた。


「お前も喜んでいる」


息もできない口づけに震えるエリイシャの舌を、肉厚な舌が絡めとり蹂躙する。

気が遠くなるほどの長いキスは、まるで宥めているかのようだ。このまま流されてほしいという彼の懇願が込められている。

酸欠で思考が鈍くなりながらも、アイガンのために体を離そうと足掻くが、やはりびくりともしない。

このまま甘美な刺激を感じていたいと思うも、頭の片隅には彼の素晴らしい筋肉を守らなければならないという使命感に似た感情もある。だが、抵抗しようとする体からは力が抜け、力なく敷布の上に腕が沈む。濃厚な口づけに溺れ始める。

微かな喘ぎ声が漏れ始めた頃、ゆっくりとアイガンの手が寝着の中に侵入してしっとりとした乳房に触れた。

彼の手は大きいので、自分の平均的な胸など易々と掴めてしまう。胸を押し上げるように揉まれると、痺れるような甘い感覚が腰から広がる。無骨な指が寝着の下で膨らみを撫で、優しく指を食い込ませるのがわかった。

女の体は恋しい相手にはすぐに濡れてしまう。体を重ねるようになって気付いた事実に、エリイシャは泣きたくなる。

アイガンにとっては好きでもない女を抱かなければならない苦痛を与える行為なのに、喜んでしまう浅はかな体が恨めしい。


「やぁあ…ん、ダメ…今日、はあ…痛ッ」

「どうした?」


官能の息とは違う、鋭い悲鳴にアイガンの表情も険しいものになる。

心配をかけたくはないが、体は痛みを訴えている。このまま、痛がっていればやめてくれるかもしれない。だが山歩きをして体を痛めたと知られるのは困る。夫の筋肉を維持したいから活力がつくものを探したなどと知られたくはない。つまりは自分の嗜好まで話さなければいけなくなる。

慕わしくもない妻の異常ともいえる筋肉愛などさすがの優しい夫も逃げ出したくなるに違いない。

彼を愛しているエリイシャは傍にいられるだけで満足なのだ。自分の女としての感情が泣き叫ぶ。


エリイシャの思考はぐるぐると巡るが、正解にはたどり着けない。


「どこか痛めたのか」

「いえ、……その、あの…」

「もう待てない」


困惑していると、またアイガンが口づけを落としてくる。今度は首筋に吸い付かれて軽く食まれる。

いつになく性急なのは少しでも苦痛に思う時間を少なくしたいという彼の心情の現れなのだろう。


「ゃあン」

「感じやすい体なのは、知っている」


ふっとアイガンが嗤った。褒められてはいないのに、エリイシャの体は勝手に期待してそれだけで歓喜に震える。彼のためにも拒まなければならないのに、体は勝手に熱を帯びていく。

それは彼にも伝わったのだろう。そのまま寝着をすっぽりと脱がせると、さっさと下着も取り払われてしまう。


「俺は脱がないから、いいだろう?」

「そうじゃな…っふぁ、はぁん」

「もうすっかり準備ができている」


彼の太い指が、濡れた秘所を確認しながら中へと入ってくる。それだけで、エリイシャの思考は止まった。

甘やかな声をあげて、彼に触らないようにするだけだ。


こうして、いつもの夜が始まったのだった。

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