第四話
その日の深夜、莉璃は衣裳の肩掛けを完成させた。
あとは微調整をして、期日に提出するだけ。
そう安堵して、その夜は作業場の床の上で深い眠りに付いた。
期日まで残り三日ということで、白影も気を遣ってくれたのだろう。
「今日からの三日間、あなたの部屋を訪ねることはいたしませんので、どうぞ仕事に没頭してください」との
おかげで莉璃は、彼の言葉どおり、一心不乱に衣装と向かい合うことができたのだ。
そうして迎えた明くる朝。
太陽がようやく顔を出した早朝に、事件は起きた。
「
作業部屋の扉がけたたましく叩かれ、莉璃は弾かれるように飛び起きた。
声は昨日も訪ねて来た礼部の官吏のものだ。
いったい何が起きたの? びっくりしながら立ち上がる。
「鳳莉璃さま、いらっしゃいますね!?」
「ええ、少々お待ちくださいませ」
時刻は卯の刻。
なぜこのような朝方に訪ねてくるのか、不思議に思いながら、近くに置いてあった
「何かございましたの?」
驚くことにそこには六人の男たちが立っていた。
「あの……いったい何が?」
莉璃が不安をあらわにすると、成官吏がいつものように穏やかに微笑んだ。
「いやはや、申し訳ございませんな、騒々しく起こしてしまいまして。実は由々しき事態が発生いたしまして……お部屋でお話をさせていただきたいのですが、よろしいですかな?」
「それはもちろんかまいませんが……少々お待ちいただいてもよろしいでしょうか」
「なぜですか?」
問うてきたのは悠修だ。
「何か見られてはまずいものでもあるんですか?」
彼はどうしてか、そのような言い方をする。
「お恥ずかしい話なのですが、かなり散らかしておりまして。今、急いで片付けますから」
床に広げたままの衣裳の図案や、いろとりどりの糸、はさみや生地の切れ端など、作業部屋の中は雑然とした状態だった。
零真にも手伝ってもらわなければと、莉璃は踵を返す。
けれど成官吏に腕をつかまれ、止められた。
「そのままでけっこうです。いや、むしろそのままでなければいけないのです」
「どういうことですの?」
眉根を寄せると、成官吏の背後に控えていた男――二十代半ば程度に見える厳めしそうな雰囲気の男が、ずいと前に出てきた。
「鳳家の莉璃姫だな。私は
御史台というと、たしか官吏の監察をし、弾劾を取り扱う部署だ。
王直属とも噂され、ときに国の重要案件の調査なども任されると聞いたことがある。
「鳳莉璃と申します。それで、わたくしに何用でしょう?」
雰囲気にのまれてはいけないと、できる限り平静を装った。
けれど刻周から聞かされたのは、とても平静ではいられないようなことだった。
「
「え……?」
「昨夜のうちに、柳家の作業部屋に忍び込み、盗んだ輩がいたのだ」
「ど……ういうことですの?」
いきなりのことに思考がついていかずに、目をまたたく。
「何度言わせる気だ。柳家が製作中の衣裳が盗まれたと言っている」
「盗まれたって、本当に……? 本当に盗まれてしまったのですか……!?」
莉璃は答えを求めて成官吏や悠修に視線をやった。
しかし息つく間もなく、「待て」と刻周が割って入ってくる。
「この件に関して、ここからは我が御史台が取り仕切らせてもらう」
成官吏は複雑そうな表情で口を開く。
「今回は主上の婚礼に関わる案件な上に、
「あっ、ちなみに僕は自主的に刻周殿たちのあとを付いてきただけですよ。朝、この殿の近くを通ったら、柳家の部屋のあたりが大騒ぎになってましたのでね」
ただのひやかしなのだろう。悠修は興味津々といった様子だ。
「よって貴殿の部屋を調べさせてもらうぞ。――始めろ」
御史台の刻周が合図した途端、彼の部下らしき青年二人が動いた。
「僕も手伝っちゃおうかな」
悠修も莉璃の横をすり抜け、さっそく室内へと入っていく。
「お待ちください! そこの図案を踏まないで! あっ、その
幸いなことに莉璃たちが製作した衣裳は無事だ。
部屋の中央に置かれたそれは、あとは微調整を残すのみの状態で人形に飾りつけてある。
ふとあたりを見回してみるが、この部屋に賊が侵入したような気配や形跡は見当たらなかった。
――信じられないわ……まさか衣裳が盗まれてしまうなんて。
気づけば莉璃の手は、怒りにがくがくと震えていた。
「莉璃さま、いったい何事ですか?」
やがて隣室から現れた零真は、昨日と同じ翡翠色の
急いで女装をしたのだろう。髪の結い方も、いつもよりだいぶ簡素だ。
「こちらの方たちは? どなたです?」
「御史台の方らしいわ。なんでも柳家が製作中の衣裳が盗まれてしまったんですって」
「盗まれた……? 貴妃の花嫁衣装がですか!?」
驚くのも無理はない。
莉璃だとて、いまだ信じられない心地でいるのだ。
「幸いわたくしたちの衣裳は無事だけれど……どうしてそんなことになったのか……」
ひと月以上をかけて製作してきた衣裳を盗まれるなんて絶望の境地。
朝、目覚めたときに衣裳が消えていることを想像するだけで、心臓が凍りつきそうになる。
製作の締切は明後日だ。となれば柳家も、おそらく最後の仕上げに入っていたことだろう。ともすれば完成していた可能性だってある。
「どうなってしまうというの……?」
不安と戸惑いを声にすると、
「華燭の儀には周辺諸国の要人も参加する予定だ。日程は動かせない。ということは柳家の衣裳が発見されなかった場合、鳳家か
「ですがもう一度作り治すことも可能なのでは?」
「日程的にどうだか。衣裳は直前に仕上がればいいというものでもなかろう?」
それは一理ある。
衣裳が決定したあとには貴妃に袖を通してもらい、微調整をする必要があるのだ。
「嬉しいか? 戦わずして敵がひとり減るんだ。本当は歓喜しているんだろう?」
まるで決めつけるようにそう言われて、さすがに莉璃はむっとした。
「見くびらないでくださいませ。主上にも貴妃にも、当初の予定どうりに選定していただくことが最善と考えます。こういったものは実力で選ばれなければ意味がないもの」
なんて失礼な人なの。
胸のうちで呟きながら、刻周のことを睨みつける。
と、その時だった。
「失礼するわ!」
甲高い声が、莉璃の鼓膜に突き刺さった。
気づけば出入口のあたりに数人の女人が立っている。
彼女たちは成官吏を押し退けるようにして、作業部屋の中に入ってきた。
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