第四話
「あら、あなたが
「はじめまして、鳳莉璃と申します。このたびのご婚礼、まことにおめでとうございます」
翌日の昼過ぎ、莉璃は後宮――王や
身につけているのは銀糸のぬいとりをした水色の
複雑に結い上げた髪には花飾りを挿し、顔にはうっすらと化粧をほどこしている。
「ありがとう。どうぞ楽にしてね。お顔を見せてくださるかしら」
言われて顔を上げれば、莉璃の目の前に座る女人が優しげに微笑んだ。
彫刻が見事な朱色の椅子に腰掛ける彼女は、たしか莉璃と同じ十七歳だったはず。
――おきれいな方。
長いまつげにふちどられた大きな目に、桃色の小さな唇。
結った焦茶色の髪には宝玉が輝くかんざしが挿され、彼女が笑うたびにきらきら光る。
身にまとうのは紫と桃色を基調とした襦裙だ。体はほっそりと華奢で、かもし出す雰囲気は気品に満ちあふれていた。
彼女が
「莉璃姫さま、実はわたくし、月華館の――あなたのお母さまが製作された花嫁衣装を拝見したことがあるの。わたくしの知り合いの方が三年ほど前にお願いしたらしくて」
貴妃は鈴が転がるような可憐な声で、気さくに話しかけてきた。
椅子に座る彼女の背後には、三十前後に見える女官二人が立っている。どちらも洗練された佳人だ。
やはりここは王の居城。部屋の調度品なども贅の限りを尽くしたもので、莉璃は思わずめまいを覚える。
「蒼貴妃、わたくしのことはどうか莉璃とお呼びくださいませ」
「でもあなたは由緒正しき鳳家の姫で、わたくしとそう立場は変わらないもの。世が世なら、今ここにこうして座っていたのはあなたかもしれないわ」
たしかに鳳家は蒼家に次ぐ四星家の二の位。
歴史を紐解けば、過去、鳳家から王族に嫁いだ女人も存在する。
「お気持ち、感謝いたしますわ。ですが蒼貴妃がお気を許して『莉璃』と呼んでくださらなければ、わたくしもひどく緊張してしまいます」
すると貴妃は、肩を揺らして笑った。
「ふふっ、そう言われてしまったら、莉璃と呼ぶしかなくなってしまうわね」
「ええ、ぜひ」
「わかったわ。どうぞよろしくね、莉璃」
「こちらこそ、よろしくお願いいたします」
莉璃はふたたび深々と頭を下げた。
「さあ莉璃、そちらの椅子に座って。うしろのあなたはなんておっしゃるの?」
「わたくしの部下の零真と申します」
「零真。あなたも椅子に座ってちょうだいね。三人でお話ししましょう?」
そうされ、莉璃と零真は貴妃の対面に用意された長椅子に腰を下ろす。
――蒼貴妃。お心までもとても素敵なお方だわ。
出会ってまだわずかだが、さすが名君と名高い王が、自ら選んだ女人だ。
笑顔が可憐で、気取っていなくて、身分が下の零真のことまでも気遣ってくれて。
「蒼貴妃、さきほど月華館の衣装をご覧になられたとおっしゃられていましたが、失礼でなければお知り合いの方の御名をうかがってもよろしいでしょうか」
「
「
「華燭の儀にわたくしも参加したのだけれど、とても素敵で感動したの。胸下からゆるやかに広がった可愛らしい形で、刺繍も豪華で、色味が綺麗で……朱月さまの雰囲気にぴったりだったわ」
「そうおっしゃっていただけて光栄です」
母の仕事を褒められれば、自分のことのように嬉しくなる。
なにしろ莉璃は、その衣裳をこだわって製作していた母の姿をこの目で見ているのだ。
「それで、わたくしにはどのような衣装を作ってくれるのかしら?」
「それはこれからご相談の上、決めさせてくださいませ」
「そうね。あなたの前にここに来た
それらの衣裳はきっと、莉璃が作るそれとはまったく違ったものになるはずだ。
彼女たちはいったいどのような衣裳を仕上げてくるのだろう?
それを目にするのも楽しみで、莉璃の心は自然と浮き立つ。
「わたくしもこの世に二つとない衣裳を作れるよう、努めさせていただきますわ」
いよいよ仕事開始だ。
気を引き締めるために一度、大きく深呼吸し、居住まいを正す。
「まず、蒼季妃にはいくつかの質問に答えていただきたいのです。あまり深くお考えにならずに、直感で答えてくださいませ」
「あら、なにかしら」
莉璃が目で合図を送れば、隣に座っていた零真が紙と筆を手にとった。
彼は貴妃の返答を記す記録係だ。やがて「準備が出来た」と言わんばかりのうなずきが帰ってくる。
「ではひとつ目です。――蒼貴妃は結婚というものに、どのような印象をお持ちですか?」
予想外の質問だったのか、貴妃はきょとんとした顔で目をまたたいた。
「結婚……そうね。愛する人のもとに嫁いで、彼と命が終わるその瞬間まで一緒にいられて……とにかく幸せな印象かしら。誰からも祝福されて、愛や安心や絆を手に入れて……もちろん責任や忍耐も必要になるけれど」
あれこれ想像しながら語ってくれる貴妃の表情は、極めて幸せそうだ。
そのほがらかな微笑は、まるで小さくて可憐な満天花のよう。それを模したかんざしを髪に刺したらどんなにきれいだろうかと、莉璃の中に新たな想像が生まれ出る。
「ではこれから迎える華燭の儀は、どのような印象でしょうか」
「それはやはり深紅と金銀の印象だわ。主上もわたくしも深紅の婚礼衣装を身につけ、金銀の宝冠をかぶる。わたくしは深紅の花籠に乗って、主上の元へと嫁いでいく」
「花籠を降りて、主上の元へと歩いて行く場面を想像してみてくださいませ。足もとには深紅の絨毯が敷かれますが、その時、たくさんの花が左右を彩ります。それはどのような花でしょう?」
「花……そうね……」
しばらく考えたのち、貴妃は口を開いた。
「金色の花、かしら」
「金色……?」
莉璃は目をまたたいた。
――意外だわ。まさか金色とおっしゃられるなんて。
かつて莉璃が出会った花嫁たちは、同じ質問に対し、白や赤や桃色など身近に存在する花の色を口にすることがほとんどだった。
金色と答えた花嫁は、貴妃が初めてである。
――どのような形の花かはわからないけれど、とても重要な題材になりそうだわ。
そもそも花嫁となる女人に、こうしていくつもの質問をぶつけるのは、母から引き継いだ月華館のやり方だ。
どのような衣裳を着たいか? などと端的に聞いても意味がない。
なぜなら多くの花嫁はぼんやりとした想像しか持っていない上に、自分にどのような衣装が似合うのか把握していないからだ。
そのためあらゆる角度から質問し、花嫁の理想を引き出すことに努める。
その上で花という要素は、とても重要だ。花の印象は式だけでなく、衣装の印象にも通じてくるからだ。
「蒼貴妃、金色とは、いったいどのようなお花を想像していらっしゃいますか?」
普段から莉璃は、仕事に役立つと考え、花の品種の勉強もしている。
しかし今まで見たどの図譜にも、金色の花は載っていなかった。
「名はわからないの。あれは何年前だったかしら……わたくしが幼い頃に、両親に連れられて訪れた旅行先で、生まれて初めて華燭の儀を見たの。今思えば、地方貴族の娘だったのね。真っ赤な衣装を着た花嫁がとても美しくて……今でも昨日のことのように思い出せるわ。本当に夢のような光景で、幼心に激しく憧れたの」
貴妃は頬に手をやり、ほうっと熱っぽい息を吐く。
「それでね、旅先のその儀で、美しい金色の花を見たのよ。花嫁が歩く深紅の絨毯の横にたくさん生けられていて……あれはなんていう花だったのかしら」
どうやら貴妃自身、品種を特定しているわけではないらしい。
だがその花は、貴妃の脳裏にずっとあり続けた。初めて目にした華燭の儀の思い出とともに。
「とにかく、儀式を想像した時、その花が頭に浮かぶの。わたくしの憧れはあの時のまま、幼い頃で止まっていて少しも成長していないんだわ、きっと」
貴妃はおどけるように肩をすくめた。
と、その時、背後の扉が開く音がする。
「――なんだ、なにやら可愛らしい話をしているではないか」
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