第三話

「今夜ここを訪ねたのは、例の件の話の続きをしたいと考えたからです。昼には邪魔が入りましたのでね」


 例の件、とは聞くまでもない。莉璃の仕事に関してのことだ。

 それについてはこちらも望むところだ、と、莉璃はごくりと息をのむ。

 と、すぐさま白影が口を開いた。

「昼にも言いましたが、半年後、私の妻になる際には、仕事はきっぱり辞めていただきます」

「半年後? それはいったいどういうことですの?」

「あなたの父君――双波そうはさまから聞かされていないのですか? つい一昨日、華燭の儀の日程が両家の間で正式に定められたのですよ」


 聞かされていなかったからこそ今、ものすごく驚いている。

 まさか、当事者である莉璃に相談無しに、そこまで話が進んでいたとは。


「のちにもめる原因となることは避けたいので、とにかく、仕事の件は今から覚悟しておいてください」

「でしたらやはりお断りさせていただきますわ」

「といいますと?」

「わたくしはあなたとは結婚いたしません」

 きっぱりと言い放てば、今度は白影が困惑する番だった。


「たしか昼にもそうおっしゃっていましたが……本気なのですか?」

「もちろん本気ですわ」

「それは、やはり私のような男とは結婚したくないと?」


 だから、なぜそこまで及び腰なのか。

 こんなにも女人に好かれる要素を持っている彼なのに、と、莉璃は不思議に思う。


「そういうことではありませんわ。……ありませんけれど、そもそもこの件は父が勝手に進めている話で、わたくしは最初から了承していないのです」

「……なるほど、そういう面倒な状況というわけですか」


 さっそく現状を把握したのだろう。

 彼は悩ましげに、こめかみを手でおさえている。


「昼にも言いましたが、わたくしの夢は王家の花となること。つまり生涯、この仕事を続けていきたいのです」

「だが私はあなたと必ず結婚すると決めています。そして仕事を続けることを許すつもりはまったくもってありません」

「必ずって……なぜですの? うちに――四星家しせいけの二位にこだわらなくとも、名家と呼ばれる貴族は多数ありますでしょう?」


 そう。ほう家の娘でなくとも、白影の出世の足しになるような相手はこの国に数多いる。今をときめく家なら、相手は選びたい放題のはずだ。


 ――たとえば四星家の三位であるりゅう家の圭蘭けいらん姫とか。


 位では莉璃にやや劣るものの、世間的に見れば不足のない相手だ。そしてどうやら、圭蘭自身もそれを望んでいる。

 それなのに。


「あなたに夢があるように、私にも必ず叶えるべき夢があるのです」

 白影は厳しい表情で、椅子から立ち上がった。

「……それは何ですの?」

 ただ気になって聞いてみれば、彼は莉璃の目の前に立ち、こちらを見おろすようにしてくる。


「私が出世することによる司家の繁栄。この国一の勢力になるほどに、です」


 彼の容姿や存在感に威圧され、莉璃は寝台の上であとずさった。

 莉璃が知っている数少ない異性の誰とも違う。この時の白影には、強さと自信のようなものが漲っているように感じられた。


「そのために必要なのは、四星家第二位の貴族の血。三位の柳家でも、四位のしゅう家でもありません。司家が求めているのは鳳家の血です」

「でしたらいっそ王家の公主の降嫁を望んだらどうですの?」

 すると彼は、嘲るように笑った。

「王族が司家に降嫁することが許されるとでも? 実力はあっても歴史はない一族ですよ」

「それは……たしかにそうかもしれませんが……」

 やはりそういうものなのだろうかと、莉璃の表情も曇る。


 その時、こちらとの距離を詰めるようにして、白影が寝台の上に片膝をついた。

 何をする気? 途端に莉璃は焦り始める。


「で、でしたらわたくしが仕事をすることを認めてくださいませ」

 そうしたら喜んで嫁がせていただきますわ、と、彼を睨め付けた。

「申し訳ありませんが却下です」

「なぜですの」

「司家に入ったあかつきには、あなたにしかできない仕事をしてもらう必要があるからです」

 白影は人さし指と中指を順に立てる。

「一つは私との子を産むこと。鳳家の血を引く、王族の婚姻相手にもなり得るような、気高い血を持つ子をあなたに産んでいただきたい。そしてもう一つは司家の内部を完全に掌握し、家を切り盛りすること。とても仕立屋の仕事をしながらできるものではないでしょう?」

「それは……」


 気づけば言葉を失っていた。

 たしかに白影の言うとおり、両立することは難しそうだと思えた。

 けれどやはりあきらめるつもりはなくて、せめてもの抵抗とばかりに首を横に振る。


「あなたの夢を奪おうとする私が憎いですか?」

 白影は真顔で問うてきた。

「そうは思いませんわ。だってみすみす奪われるつもりはありませんもの」

「ですが私はどうしたってあなたを手に入れたい」

「だったらわたくしはなんとしてでも白影さまから逃げてみせますわ」

「それでも、私はあきらめる気はありませんよ」


 あらためて宣言されたが、莉璃はもう口を開かなかった。

 どうせ平行線なのだ。これ以上、意見を交わしても、徒労に終わることは明白だ。


「正直、気の毒に思います。私のような男と縁組みさせられるなど……さぞかし苦しまれていることでしょう。けれどもこれもあなたが背負った宿命だと考え、あまり足掻かないでいただきたい」

 莉璃の髪のひと房が、ふたたびすくいとられる。

 彼の指でそっとなでられ、手の中でもてあそばれ、やがて強く握られた。


「わたくしはもう何も言うつもりはございませんわ。どうぞさっさとお帰りくださいませ」


 すると白影は、どこか悲しげな笑みを浮かべる。

「……わかりました。今夜はこのくらいで退散するといたしましょう」

 また後日、訪ねますから。

 そう言い残して、彼は莉璃の部屋から去っていった。


 ――わたくしは、どうすればよいのかしら。


 その場に崩れるように座り込んだ莉璃は、魂が抜け出てしまいそうなほどの息を吐いた。

 彼に口づけされた髪のひと房を、両手できつく握る。

 なぜか指に力が入らなくて、髪ははらはらと手の中から逃げていった。

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